(6)


 思い返した藍次はまた顔を顰めそうになるのを抑えて、テーブルの黒板を見る。

 当麻に依頼してきた人の話では、交霊会の最中、石盤に死者……息子の名前が書かれたことで、奥方は交霊会にのめり込むようになったそうだ。高額の入会金以外にも毎回参加料を払っており、家の中でも降霊の真似事をすることが多々ある。精神も不安定になり、さすがに心配になって見かねた家族からの依頼だった。

 さて、どんな仕掛けがあるのやらと藍次は石盤を見ながら、女の声色で傍らの当麻に尋ねる。


「ねえ、おじ様。この石盤に霊が文字を書くのでしょう?」

「ああ、そうらしいね。石盤書記と呼ばれるものさ」


 当麻は笑いを堪えるように口元を押さえた。藍次の女性になりきった演技がおかしいのだろう。女装しろといったのはそっちだろ、と内心で思いながらも、藍次は怯えた表情を作ってみせた。


「どうやって霊が書くのかしら」

「そんなの、イカサマに決まっているだろう」


 答えたのは当麻でなく、煙草をふかしていた眼鏡の男だった。

 短い髪を後ろで撫でつけ、目つきの鋭い精悍な風貌をしている。眼鏡があまり似合っていない男は、こちらに近づいてきたかと思えば石盤を手に取って鼻を鳴らした。


「こんなインチキ交霊会、俺が暴いてみせるぜ。あんたよりも先にな。なあ、当麻榮介博士」


 男は石盤に煙草を押し付けて火を消す。ぢっ、と小さな音と共に、煙の匂いが鼻についた。


「おや、私のことをご存知でしたか」

「そりゃあ知ってるさ。幽霊研究に熱心な変人教授ってな」


 男の失礼な言動にも、当麻は顔色一つ変えずに微笑んだ。


「正確には心霊研究ですね。私の研究対象は幽霊だけではありません。透視や予言、千里眼、はたまた、こっくりさんや呪い、人の理解を越えた現象も含まれます。それから、一つ訂正するならば、博士号は取っているとはいえ、私は教授ではなくただの講師です。買い被って頂けるのは恐縮ですが、まだまだ研究者としては未熟でして」

「なっ……」


 当麻の冷静な指摘に、眼鏡の男はかっと頬を赤くする。だが、周囲の目もあってかそれ以上は突っかかることなく、悪態をついて石盤をテーブルの上に投げた。若い女性二人がその粗暴な様子に眉を顰める。

 部屋の雰囲気が悪くなりかけたところで、扉がノックされた。


「皆様、お待たせしました」


 入ってきたのは、白装束に白い羽織を纏った恰幅の良い男性だ。五十代半ばといったところで、白髪交じりの長い髪を後ろで一つに縛っていた。細い目をさらに細めた彼は、部屋の一同を見回して一礼する。


「初めての方もいるようですな。私は竹崎陽明たけざき ようめいといいます。この交霊会において、皆様の案内役を務めさせて頂きます」


 彼の後ろには、白い洋装姿の女性がひっそりと立っていた。足首まで隠れる、ゆったりとした異国風の白い服を纏っている。頭から白いレースのヴェールを掛けているせいで、顔は良く見えない。

 主催者の竹崎はにこやかに女性を紹介する。


「こちらが神納美彌子かのう みやこ様です」


 神納は小さく頷く仕草で挨拶をした。その白ずくめの恰好から、白婦人とも呼ばれているらしい。彼女が、霊界と交信する霊媒というわけだ。

 竹崎は、白いレースの手袋で覆われた神納の手を引いて、テーブルへと進む。


「それでは皆様、席にどうぞ」


 神納はテーブルの一番奥、上手に神納を座らせる。その左隣に竹崎が座ろうとしたのを押しのけ、乱暴に腰を下ろしたのは当麻に突っかかっていた男だ。


「高野様」

「イカサマ防止のためだよ。なぁに、こいつが本物の霊媒だったら、何も問題はないだろう?」


 眼鏡の男――高野は偉そうに言って、椅子の背もたれに寄りかかる。竹崎はわずかに眉を顰めたが、高野をそれ以上は窘めることはなかった。


「おい、幽霊博士。あんたも隣に座ったらどうだい?」


 高野が当麻に声を掛ける。しかし、当麻が答える前に今まで黙っていた神納が傍らにいた竹崎を手招きし、何やら耳打ちした。竹崎は神妙な面持ちで当麻の方を見やる。


「申し訳ありません。両側に男性がいると陽の気が強くなってしまい、あの世との交信を美彌子様がし辛くなってしまいます。できれば女性……そうですね、当麻様のお連れの方などどうでしょうか?」

「ええ、構いませんよ」


 当麻はあっさりと頷いた。


「男は陽、女は陰。陽は生、陰は死。陰陽思想ですか。だから立会人に女性が多いわけだ。イギリスで参加した交霊会では、男女同数で交互に座るというのが基本でしたが……こちらでは、陰の気を増やして霊と交信しやすくするという理由でしょうか?」

「ええ。さすが当麻様、お詳しいですな」


 室内にいる女性の数は、霊媒師を含めて五人。もっとも、その中の一人は女装した男、藍次であるが。

 当麻が藍次を女装させた理由はこれだろうか。陰陽の気が何たらと言って、相手を論破するつもりか。

 横目で藍次が様子を窺うと、当麻は小さく微笑んだだけだ。


「よろしく頼むよ、藍子さん」

『君ならすぐに見抜けるだろう?』


 浅草で言われた言葉が重なって聞こえたような気がした。

 ……なるほど。一番近くで、仕掛けを見破ってこいというわけか。

 心得た藍次は緊張する少女らしく振舞って、当麻に背を押されつつ恐る恐る席に座った。


「他の皆様も席にお着き下さい。ええ、お好きな席へどうぞ」


 藍次の隣には年配の夫婦が座り、当麻、竹崎、さらに若い女性の二人組といった配置になった。

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