(5)


  ***


 当麻に指定された場所は、銀座だった。

 京橋区にある銀座は、日本一の繁華街といわれている。明治末期には日本初の百貨店も登場し、流行の最先端が集まる皆の憧れの街だった。二年前の大震災で壊滅的な打撃を受けるも、驚異的な速さで現在も復興が進んでいる。

 あり合わせの木材や石材、トタン、破壊されなかった建築物を組み合わせたバラック建築が立ち並び、復旧した市電や自動車が道路を走り、人の往来も多い。

 そんな銀座から、少し離れた一角にあるサロンが、交霊会の会場であるらしい。

 待ち合わせの場所に着くと、すでに当麻が待っている。三つ揃いのスーツに中折れ帽、手にはステッキと、いかにも紳士然とした態で長身によく似合っていた。

 こちらに気づいた当麻が「やあ」と片手を上げかけたまま、ぽかんとした表情をする。


「……これはまた、化けるものだね」

「そいつはどうも」


 藍次は素っ気なく答え、肩からずり落ちそうになっていたショールを掛け直した。

 藍次は、襟の高い洋シャツと膝下丈のスカート、スカートと共布の上着を着ていた。胸元にはブローチ、右手には指輪。長い髪の上半分を後ろで一つにまとめてリボンを結び、下半分はそのまま肩に下ろしている。細面の顔には白粉が薄く塗られ、唇にはほんのりと紅。

 そう、藍次は女装していた。

 本来、和装の方が体の線は出にくいが、少し動きにくい。洋装は動きやすいうえ、大きさや布地を選べば骨格を隠すことができるし、立ち襟で喉仏も隠せる。

 藍次は男性にしては華奢な体つきをしているが、曲芸団で軽業をやっていることもあり、肩や腕には筋肉がついている。角ばった肩の線を隠すために、上着の上にはショールを羽織っていた。さらに、筋張った脚が見えないようにブーツを履けば、女性より少し大きい足も誤魔化せる。

 元々、女性と見紛う顔立ちもあって、今の藍次は遠目どころか近くで見ても女性として映ることだろう。


「すばらしいね! どこからどう見ても女の子だ」


 称賛する当麻に、藍次はしかし面白くない表情を浮かべる。

 藍次がこんな格好をしているのは、当麻から指示があったからだった。交霊会に参加する際、女装するようにと。

 なぜわざわざ女装なのかと疑問に思ったが、雇い主の命令では仕方ない。「藍子らんこさんと呼べばいいかな?」とどこか楽し気な当麻に藍次は溜息をつく。


「お好きにどうぞ」

「では藍子さん、行こうか」


 腕をすっと差し出してくる。自然な動作は、女性のエスコートに慣れた男のそれだ。藍次は舞台に出る時のように気持ちを切り替えた。


「ええ、参りましょう。榮介おじ様」


 高く作った女性の声で答える。設定は当麻の姪だ。にっこりと、親族に向けるような打ち解けた笑顔を作ってみせた。




 サロンに到着すると、二階へと案内された。煉瓦造りの建物を修復してできたサロンの壁は、色の違う煉瓦と石が重なっており、震災の跡を残していた。

 案内されたのは小さな部屋だ。中央には円形のテーブルと椅子が置かれており、窓には重たげな天鵞絨のカーテンが下がっている。天井から吊るされたランタンと、テーブルに置かれた蝋燭の灯りが、仄暗く室内を照らしていた。

 他の参加者はすでに到着しているようだ。藍次は当麻の腕に手を添えつつ、さっと全員を確認した。

 男が二人、女が三人。寄り添っている五十代くらいの男女は夫婦だろう。一人離れて、カーテンのかかる窓際で煙草をふかす眼鏡の男に、ひそひそと小声で会話する若い女性二人組、と年齢はまちまちだが、皆の綺麗な身なりからは中流以上の暮らしぶりが察せられた。

 颯爽と戸口に現れた当麻に、皆の視線が向けられる。


「あら、あの人……」


 当麻の顔を知っている者もいるようだ。当麻は軽く会釈するものの、特に挨拶するわけでもなく、テーブルに近づく。藍次もまた、共にテーブルの側に寄った。

 これが交霊会で使用するテーブルなのだろう。席は九つあり、さほど大きくないテーブルの周りにぎゅうぎゅうに詰められていた。座ったら隣の者の膝と触れてしまいそうだ。テーブルの上には、何の変哲もない石盤が二枚と白いチョークが置かれている。

 それらを見ながら、藍次は昼に当麻の家で聞いた話を思い返した。


  ***


「交霊会、つまりは霊と交信する会を始めたのは、以前も話したようにフォックス家の姉妹だ。そして、交霊会の実演をするようになったのもね」


 フォックス姉妹はホールでラップ音の実演を行い、その催しは曲芸団の公演さながら有料とされ、一晩に四〇〇人もの観客が詰めかけたという。この人気に乗っかって、他の霊媒師たちもこぞって名前を上げ、二年後には『交霊会』と呼ばれるものが一〇〇以上も成立した。

 もっとも、観客全員が心霊現象を頭から信じているわけでは無い。最初のフォックス姉妹の開いた実演では「新しい驚くべき発展か、はたまた、ぺてんのからくりが暴かれる瞬間か」という触れ込みで、決して本物だとは言っていない。怪しい物音を懐疑的に受けとめる者もいれば、霊の仕業だと簡単に信じる人もいる。

 信じるか信じないか、本物か偽物か――。

 真実を追求するのは、交霊会の目的ではない。誰にでも常識を超えた不可思議なものへの好奇心はあり、交霊会はその好奇心を満足させるものだった。

 また、主催者は交霊会への『入会金』として多額の金を取るという。


「当会は決して金儲けのショーではない。神秘的な奇跡を体感する会であり、あなたは貴重な立会人なのです、ってね」


 大金を払ったからのだから、心霊現象を体験してみたい、いや、実際に自分は体験したのだ。そう思い込まないと、損をしたような気分になる。

 いつの間にか定着した交霊会の「式次第」なるものもまた、人々を引き込んだ。主催者と霊媒師という長と副長がいて、立会人は多くとも七、八人の少人数に押さえた集団で交霊会を開く。

 テーブルの周りを霊媒師と主催者、立会人が囲んで椅子に座り、お互いに手を繋いでから明かりを消す。そして、暗闇の中で霊と交信するのだ。


「少人数の集団、円座、皆で手を繋ぐ……。この一連の流れは、各人の連帯感を高める心理的効果がある。さらに、手を繋いでいることでインチキをお互いに牽制するという実際的な効用もあるんだ」


 手を繋いでいるから、イカサマはできない。つまりは本物だ、となるわけだ。主催者が「手を離すと一座にわざわいが起こらないとは保証できません」という警告もいかにもそれらしく聞こえる。

 また、「霊が光を嫌うから」というもっともらしい理由で、交霊会は暗闇の中で行われた。

 暗闇は視界を奪い、他の感覚を高める一方で、人の心を不安にさせて理性を鈍らせる。少しの音やわずかな空気の流れを敏感に感じ取り、それをただの物音や風と判断する理性よりも恐れが先立つ。警戒心を高めた心には恐れが生まれやすく、心霊現象へと繋げていくのだ。

 しかも、高い金を払って参加している、だから心霊現象は起こるはずだという無意識の思い込みも重なって、人々はほんの少しの異変も「これは霊の仕業では」と思う。

 何よりも、暗闇はイカサマをするにはうってつけであり、交霊会に必須の条件とも言えた。


「何ですか、そりゃ。最初からイカサマありきじゃないですか」


 参加する者は、わざわざ騙されに行くようなものだ。呆れる藍次に、「それでも人は好奇心を満たしたいものなんだよ」と当麻は答える。


「交霊会も最初はラップ音だけだったけれど、それだけじゃあ面白くない。ベルを鳴らす、テーブルを浮遊させる、石盤に死者からのメッセージを書かせる、テーブルに誰の者でもない手が現れる。さらには、手足を厳重に縛った霊媒師と、ヴァイオリンやラッパなどの楽器を一緒にキャビネットの中に入れて、楽器を鳴らしてみせる心霊ステージ・ショー! というものもあるよ。……藍次君、そんな顔をしないでくれ」


 当麻の話に辟易し、藍次は思いっきり顔を顰めていたものだ――。


  ***


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