(31)
「っ……」
藍次ははっと当麻を見た後、下唇を噛み締めた。
藍次もまた、あの夜の出来事が、身を引き裂かれるような悲しみが、ただの夢でないことは実感していた。
藍次は奇術師だ。様々な奇術の仕掛けを知っている。今回のように、宙に浮いてみせたり部屋から消えたりと、相手に幽霊だと思わせる芸当はお手の物だ。
幽霊なんているはずがない。
日頃からそう思っている藍次だったが、清一の幽霊を偽物だと思えなかった。
ただの夢だ、偶然だと切り捨てるにも、清一の死因がずばりと当たっていたことに、自分自身が一番驚いていた。
だからこそ余計に、あの夜に現れた幽霊が本物であったと思ってしまうのだ。
……清一の幽霊だと言うなら、なぜ藍次の前に現れたのか。
助けを求めたのか。別れを言うために来たのか。
それとも、藍次を恨んでいたのだろうか。
家を出たいと願った清一の背中を押すような言葉をかけ、死の原因を作ったかもしれない藍次を。
そうだ、心の底では清一に恨まれていたのかもしれない。曲芸団でのびのびと生きる藍次を、清一は羨やんでいたのではないか。かつて藍次が、贅沢な生活を送る清一を羨んでいたように。
あの悲しげな顔は、ついに自由になれなかった己を嘆き、藍次にその無念を伝えたかったからなのか。
考えれば考えるほど、藍次にはわからなくなってしまった。
答えを聞きたいのに、当の清一はもういない。本当に幽霊だと言うのなら、一度と言わず何度でも出てくれればいいものを。
恨みを、望みを告げてくれればいいものを――。
藍次は小さく吐き捨てるように答える。
「……俺に分かるわけがないでしょう。あんたが分かんないんだから」
「うん、そうだね。……でも僕は、君の前に現れたのは支倉君の幽霊であると思うよ」
「はぁ?」
「虫の知らせの現象がおこる理由として、とある博士がこう解説をつけた。『天も地も我身を忘れて、ただ逢いたいということだけを一心に念ずることで、人間の精神が肉身的感覚を超越し、念通力を発動することで、死の知らせが届く』のだと。
支倉君が死の間際に願ったのは、君にただ逢いたいということだけだ。そうして魂を、君の元へと飛ばしたんだ」
「……」
「そして藍次君は、支倉君のために動いた。支倉君も犯人も探し出してみせた。僕の勝手な憶測だが、支倉君は嬉しかったと思うよ。支倉君を心配して、ちゃんと見つけてくれる人がいたのだから。きっと、これでやっと彼は自由になれたのだろうさ」
「……」
当麻が柔らかく微笑むのを見て、藍次の胸を固く塞いでいたものが、喉から溢れ出そうになった。
――清一の死を知った藍次は、何もせずにはいられなかった。
行方不明の清一の死を明らかにしたかった。ちゃんと見つけて弔って、あの家から解放して、旅立たせたかった。それから、今まで傷付いてきた彼の思いを少しでも晴らしたくて、行動したのだ。
清一の葬儀の時、学生服姿の彼に扮して姿を見せたのも藍次の仕業だ。今まで清一に冷たく当たっていた連中に、少しでも意趣返しをしたかった。
もっとも、それらはすべて、藍次の自己満足に過ぎない。
結局は、清一への死の償いだ。清一を守ってやれず、力にもなれなかった自分を、許してもらいたかっただけだ。
それを当麻に看破され、慰められたような気がした。
藍次は深呼吸して
「慰めはけっこうです」
「おや、慰めたつもりはないのだけれど。慰めになったのかい?」
「……あんた、けっこう嫌な奴ですよね」
「そんな! 僕はただ、君が羨ましいだけさ。本物の幽霊に出会えたのだからね。ああそうだ、支倉君が出てきた時の状況をもっと詳しく教えてくれないかい? 幽霊には触れたのかい? 血はどうだろう、温かった? それとも冷たかったかな? 匂いはどうだった? 寒気がしたと言っていたね、気温が下がっていたのかな。君の身体にも痛みがしたということだが、それは何か双子ゆえの繋がり……テレパシーに関係するのだろうか。うん、聞きたいことはたくさんある。ねえどうだろう、今から僕の研究室に来ないかい!」
目を輝かせた当麻が、身を乗り出して藍次の手を握ってきた。藍次は慌てて手を振り払う。
「お断りだ!」
「ええ……僕、けっこう頑張ったのになぁ。今回の幽霊騒動に使った小道具の費用も僕持ちなのだし、少しくらい協力してくれてもいいと思うよ」
「あんたには感謝してますけどね、それとこれとは別ですよ! だいたい、清一以外の幽霊も怪奇現象も、俺は信じていませんから」
「だからこそ良いんじゃないか! そうだ、藍次君。ぜひとも僕の助手にならないかい? 君の奇術の腕は素晴らしい。奇術の仕掛けに詳しい君がいれば、偽物の心霊現象もすぐに見破れるだろう。僕の研究もはかどるというものだ!」
とんでもない勧誘をしてくる当麻に辟易しつつ、藍次はきっぱりと断る。
「そいつはどうも、お褒めに預かり恐縮です。ですが、俺はこの曲芸団の奇術師ですので、引き抜きの相談は団長にどうぞ」
一応は曲芸団の人気奇術師である藍次を、現団長である洋子もそうそう手放さないだろうが。
話を打ち切る藍次に、当麻はやれやれと肩を竦めて立ち上がる。
「仕方ない。今日はこれで退散するとしよう」
当麻は懐から紙幣の入った封筒を取り出して、座っていた木箱の上に置く。
中折れ帽を被ってステッキを握った当麻は、暖簾をくぐって外へと向かう。
あっさりと引いたことに拍子抜けしながらも藍次が見送ると、当麻は帽子のつばに片手を添えて笑う。
「また来るよ、藍次君」
「ええ、舞台の上でお待ちしてますよ」
舞台と同じ口元だけの笑みを浮かべて、藍次は幕を引くように優雅に一礼してみせた。
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