(30)


  ***



 清一と別れた数日後の夜のことであった。

 小屋で寝ていた藍次は、寒気を覚えて目を覚ました。

 見上げると、誰かが藍次を見下ろしている。学生服姿の彼は、藍次と同じ顔をしていた。


 ――清一だ。


 そう藍次は思った。

 起き上がろうとするのに、身体が少しも動かない。

 何とか視線だけを動かした先にあるのは、青白い清一の顔だ。悲しげな顔の中で、黒い目が硝子のように藍次の顔を映していた。

 ぽたりぽたりと落ちてくる雫と、血の臭い。

 白いシャツに広がるのは、大きな赤い染み。

 腹の辺りは真っ赤に染まり、その中心にはナイフが刺さっている。

 途端、藍次の腹にも痛みが走った。透明な血が溢れて、命が流れ出すのがわかった。

 身体がどんどん冷たくなっていき、身を引き裂かれる悲しみに襲われた。

 どれだけ離れていても、不思議な縁で繋がっていたはずの魂の片割れが、消えていくのを感じた。

 虚ろな目の彼は、音を立てずに遠ざかっていく。


 駄目だ。行くな。

 『俺』を一人にしないでくれ、清一。

 もう一人の、『僕』よ――。


 はっと目が覚めた時、冷え切った布団の中で藍次は泣いていた。心の半分を抉り取られたかのような深い喪失感に、涙が止まらなかった。

 そうして、藍次は清一の死を感じたのだ。



***



「最初は、ただの夢だと思いましたよ。……でも、何ででしょうね。分かってしまったんです」


 藍次は伏せていた顔を上げる。


「あいつが、もうこの世にはいないことが。もう二度と、会えないことが」

「藍次君……」


 藍次の虚ろな黒い目と消えた表情が、まるで死んでしまった清一のようにも見える。しかし、すぐに藍次は表情をおどけたものに変えて、目に強い光を取り戻した。


「でもまさか、本当に清一が死んでいたなんてね。しかも、腹を刺されていたってのも当たっていて、死体も見つかって。いやあ、こっちの方が驚きですよ」


 藍次はからからと笑ってみせる。芝居の上手な彼にしては空元気だとわかってしまう、自嘲じみたものだった。


「ねえ、当麻先生。あんた、こういう幽霊ってやつの専門なんでしょ。俺の前に現れたのは、清一の幽霊だったんですかね? それともやっぱりただの夢で、当たったのも偶然だったんですかねぇ?」


 おどけて尋ねてくる藍次を当麻は静かに見返した後、答える。


「残念ながら、僕はその支倉君の幽霊を見ていないから、本物だとは断言できないな。考えられるのは……」


 当麻は、人差し指を立てる。


「君が見たのは、やはりただの夢だったということ。君が支倉君と話した時、ひょっとしたら支倉君は何らかの不安を抱いていたのじゃないのかな。彼の不安を君は感じ取ってしまった。伝達した不安が、無意識に夢となって表れたという可能性がある」


 清一は無意識のうちに、古賀の執着に気づいていたのかもしれない。

 家を出ることを相談すれば、古賀が何かしらの行動を起こすのではないか、身に危険が迫るのではないか……。無意識下の不安が清一の中にあって、彼の表情や口調から藍次はその不安をこれまた無意識に感じ取った。

 清一の不安が伝達したことで、藍次もまた、無意識に何か起こるのではと危惧するようになる。さらには、清一がその後、姿を見せなくなったことで、不安はますます募った。

 やはり清一に何かあったのだ。ひょっとしたら、すでにこの世にいないのでは――。

 刷り込まれた藍次の懸念が、とうとう夢の形となって表れた。そして、清一の幽霊を見たと思い込んだのだ。


「君の不安から生まれた想像が、偶然にも現実と一致してしまった……という説も考えられる。もっとも、それにしては細かい所まで一致しすぎている。特に夢を見た日時、そして支倉君の死因に関してだ」


 人を死に至らせる方法など、幾らでもある。

 紐で首を絞める、石で頭を殴る、水面に顔をつけて溺れさせる、高い所から突き落とす、短刀で首を切る……凶器も手段も様々だ。

 なのに藍次は、凶器も手段も、刺された箇所まで知っていた。


「支倉君が殺された同日同時刻に、ナイフで腹を刺されて死んだ彼を夢で見たなんて、偶然にも程がある。この説だけですべてを説明するのは難しいな」


 当麻の説明を聞いていた藍次は、ふぅん、と皮肉気に片頬を上げる。


「んじゃ、幽霊ってことですか? 学者先生」

「心理学の講師と言う立場から言わせてもらえば、君に起きた心霊的現象は、精神感応現象、俗に言う『虫の知らせ』と分類できる。何か悪いことが起きそうな不安を感じることだ。この虫の知らせに関しては、学術的に認められる実例も数多く報告されている。

 これは、私達の精神が交感現象……遠隔の地にある人の精神と精神とが感応することで起きる現象だという説がある。また、『テレパシー』として、一人の人間の脳の意識が超五感的に他の人間の脳に伝達して知覚させる、一種の精神的機転と説明する学者もいる。

 この虫の知らせには遠方にいる臨終間際の人や、死んだはずの人が目の前に現れるという話も多く、この話では、死後人格の存続、いわゆる魂や幽霊の存在を示唆している。あるいは……君が千里眼的能力を有しているかだ」

「はぁ?」


 当麻の回答に、藍次は呆れた。そんな藍次に構わず、当麻は話を続ける。


「『千里眼』。聞いたことあるかな? 十五年くらい前に流行ったのだけどね。箱の中身を透視したり、遠い場所で起きていることを透視したり、あるいは近い未来を予言したりね。君にその能力があることで、遠方にいる支倉君の死を透視することができた、という説はどうだろう?」

「はっ、馬鹿らしい。千里眼なら聞いたことありますよ。結局あれはインチキだったんでしょう? ただの詐欺連中だ」


 言い切る藍次に、当麻はわずかに目を細める。今まで穏やかだった視線に急に冷たさが混じり、藍次の背筋にぞっと寒気が走った。

 幼い頃から大人の中で働いてきた藍次は、人の顔色を窺うのが得意だ。相手の感情の揺れを感じ取り、機嫌を損ねないように場を取り繕ってきた。

 ただならぬ気配を感じた藍次が身構える前に、当麻はにこりと微笑む。


「すべてが偽物かはわからないよ。だから僕は、心霊研究をしているわけだしね」

「……偽物の心霊現象を作っておいて、よく言うぜ」

「じゃあ藍次君は、支倉君の幽霊も偽物だったと言い切れるかい?」


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