(29)


 清一はその後も、新楽曲芸団が東京で公演をする度にやってきた。公演が終わった頃にこっそり裏手の小屋に遊びに来ることも、団員達の間で周知されるようになった。

 もっとも、高等学校に進学してからは清一も勉学が忙しくなったようで、会う機会も時間も減った。公演も観ずに、裏手に少しの間顔を出すだけということも増えた。

 藍次もまた忙しくなっていた。軽業と奇術の腕が認められて舞台に上がることが増え、助手だけでなく、主役としての演目も少しずつ任されるようになっていたのだ。


 会う時間は少なくなったが、それぞれに成長する藍次と清一は、幼い頃よりも心が通じ合うようになっていた。

 双子で、何か見えない絆があったからだろうか。清一も藍次も、出会うまでは時折、心の隅にぽっかりと欠けているものがあるような、ひどく寂しい気持ちになることがあった。

 生まれてすぐに離れ離れになった、双子の兄弟。きっと自分達でも知らぬうちに、魂の片割れを求めていたのだろう。


 曲芸団では騒がしくてろくに話もできないので、次第に二人は、浅草公園のひょうたん池の林で待ち合わせるようになった。そうして、足りないものを埋めるように会話を交わした。

 支倉家では冷遇されている清一であったが、兄のように優しく頼もしい従兄の『尚兄さん』がいるという話を聞いて、少し安堵した。その従兄が通う尤学館大学へ進学し、心理学の面白い講師がいることも聞いた。

 藍次は藍次で、『青藍』という名で、曲芸団の奇術師として活躍するようになっていた。林の中で会う時、奇術師・青藍とわからぬよう女装してきた藍次に、清一は最初に出会ったときみたいだと懐かしそうに笑った。そういえば清一は、少女の恰好をしていた藍次を妹だと勘違いしていた。


『ふん、お前だって同じ顔のくせに』

『ふふ、そういえば、大学で女性と間違えられたこともあるよ』


 そうして互いの近況を報告し合っていると、清一はふと口にする。

 もう僕は、支倉家にいらないかもしれない、と。

 聞くと、清一には十歳離れた腹違いの弟がいて、小さい頃は病弱で入院しがちだったが、ようやく体調が安定して普通に暮らせるようになってきたという。それは喜ばしいことではあったが、弟の母――昌枝が、支倉家の跡取りをその弟にすると強く主張するようになった。

 妾の子と正妻の子、どちらが跡取りに相応しいか。親族内では、支倉家も、昌枝の実家である古賀家からも、弟の方をと強く声が上がっているらしい。

 それはさぞかし居心地が悪かろうと藍次は思った。清一が暗い顔をしているのはそのせいが多分にあるだろう。

 薄暮に陰った池の水面を見ながら、清一は呟く。


『僕は、いったい何者なのだろうね』


 深淵を覗き込んでいるかのように、彼の黒い瞳に影が落ちる。


『あの家に、僕はいない方がいいんじゃないかな。……いいや、そもそも最初から、僕はいなかったのかもしれない。幽霊のようにね。誰も僕のことを、見てはいないんだよ』


 そのまま深淵に身を投げ出しそうな絶望が、そこにあった。

 藍次は咄嗟に、清一の腕を強く掴んだ。


『だったら! ……だったら、曲芸団うちに来ればいいじゃないか』

『……藍次』


 藍次の言葉に、清一は顔を上げた。

 虚ろな黒硝子の目に、自分の顔が映っていた。その顔に、舞台で鍛えた演技で勝気な笑みを浮かべてみせる。


『お前がうちに来たら、もっとすごい奇術が披露できそうだ。何せ、俺とお前は双子なんだからな。そうだ、二人で違う箱の中に入って、瞬間で移動したように見せるのはどうだ? 謎の天才奇術師として名を馳せようぜ。俺がお前に奇術を教えてやるよ。みんなのアッと驚く顔が見たくないか?』


 藍次がにっと笑って見せると、呆然としていた清一は、やがて顔をくしゃりと歪めた。今にも泣きそうなのに、嬉しそうに笑う。


『……そうだね。それはとても、面白そうだね』


 破顔する彼の目尻には涙が滲み、光が戻っていた。




「その日、清一は言いました。従兄や親しい友人に相談をしてみると」


 清一は、支倉家で幽霊のように生きる自分に疑問を抱いた。父に言われるまま勉学も社交も頑張ってきたが、清一が跡を継ぐことを皆が望んでいない。清一もまた、自分がそれを望んでいないことを自覚した。

 まずは信頼できる従兄や友人と相談して、今後のことを自分で決めていきたいと清一は藍次に告げた。


『藍次、もしも……もしも僕に行く当てが無くなってしまったら、その時はどうか、曲芸団で雇ってくれるかい?』


 不安げに尋ねてくる清一に、藍次はふんと鼻で笑ってみせる。


『いいぜ、最初は下働きからだ。汰一や乙也以上に扱き使ってやらあ』


 腕を組んでふんぞり返って言う藍次に、清一は笑った。少しでも清一を元気づけようとする藍次の、下手くそな慰めを分かっていたのだ。

 すっかり日が暮れた中、家へと帰っていく清一の後姿を見送ったのが、彼を見た最後になった。



「……もしかしたら古賀君は、支倉君が君と会っていたところを目撃したのかもしれないね」


 古賀が言っていた、浅草公園で清一が女と密会していたという話は本当だったのだろう。

 もっとも、その“髪の長い女”は女装した藍次であり、二人は駆け落ちするわけではなく、ただ兄弟として語り合っていただけだった。


「支倉君の言葉で、彼が最後に会ったのが従兄、あるいは彼の親しい友人だと、藍次君は考えたというわけか」

「ええ。それからぱたりと清一が来なくなりましたからね。相談すると言った矢先のものだから、そいつらを疑うのは当然でしょう」


 当麻の疑問の一つは解けた。だが、一番肝心の部分をまだ答えてもらっていない。


「支倉君が来なくなったから、君は彼が死んだと思ったのかい? しかも、『ナイフで腹を刺されて殺された』と。それはいささか想像が過ぎないか?」

「……」


 当麻の問いに、藍次はしばし口を閉じた。黒い目をゆっくりと瞬きさせた彼は、顔を伏せて訥々と語りだす。


「俺ね、幽霊に会ったんです。……清一の幽霊に」



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