(28)


 再会以来、清一は新楽曲芸団の公演に度々訪れるようになった。

 曲芸団の皆はといえば、藍次にそっくりな清一を面白がり、あっさりと受け入れたものだ。

 もっとも、藍次は他の皆と違い、清一のことが気に食わなかった。

 上品な物腰で仕立ての良い洋服を着た清一は、見るからに良い所のお坊ちゃんだ。幼い頃に母を失い、曲芸団で働きながら育ってきた藍次と比べ、さぞかし良い暮らしをしてきたのだろう。美味しいものを食べ、綺麗な服を着て、何不自由なく幸せな生活を送ってきたに違いない。

 双子の兄とは言え、自分とは違う世界で悠々と生きてきた彼に、藍次は多少なりとも嫉妬と羨望を抱いていた。

 しかし、清一と交流を重ねるうちに、藍次は彼の境遇を知ることになった。


 清一は自分の出生、つまりは父親がよそで作らせた子であることを知っていた。

 血の繋がらない母である昌枝が、常に口にしていたからだ。

 昌枝は妾の子である清一を疎い、厳しく当たっていた。よそから引き取った、しかも芸者の子を育てなければならないことが、彼女の矜持を深く傷つけていたこともあったのだろう。しかもその頃には、ようやく生まれた幼い実子に清一が何かするのではと疑い、清一への態度はより悪化していた。

 父親はそんな昌枝を窘めはするものの、会社の経営で忙しく、自宅に不在がちで目の届かぬことの方が多い。使用人達は実際に家を取り仕切る女主人の機嫌を損なわないようにと、清一との交流を避けた。


 清一は、支倉家で孤立していた。


 それを藍次が実感することになったのは、小さな好奇心からだ。

 誰だったか、楽屋に来ていた清一と藍次が並んでいるのを見て、こう言ったのだ。『お前達が入れ替わっても気づかれなさそうだ』と。

 互いの服を交換し、藍次が長い髪をまとめて鬘の下に入れ込めば、鏡にはそっくりそのまま、清一の姿が映っていた。

 ふと、藍次はこの格好で支倉家を見てこようと考えた。

 清一がどんな暮らしをしているか、父親はどんな男か。

 好奇心に駆られ、洋子がやめておけと止めるのも構わずに、藍次は支倉家へ向かった。

 あらかじめ清一には、家の間取りや使用人たちの容姿や名前を聞いておいた。舞台で芝居もこなし度胸も十分にある藍次は、容易く清一に成りすまし、支倉の家に入り込んだ。

 広い庭に大きな家。曲芸団のテントも小屋もすっぽりと収まってしまう広大な敷地に、内心で驚きつつも、藍次はすまし顔で長い廊下を進んだ。

 すると、綺麗な着物を着た婦人が向こうからやってきた。昌枝だ。

 昌枝は冷たい目で、まるで汚らわしいものを見るように藍次を見た。そして、藍次を、否、清一を存在しないかのように無視してすれ違う。その視線の冷たさに、藍次の背中に冷や汗が伝った。


 ……あれが、家族を見る目なのだろうか。


 ぞっとした。あの視線に晒され、あからさまに無視されるのは、正面から罵倒されるよりもよほど応えた。

 昌枝だけではない。昌枝付きの使用人は、昌枝に倣って清一を無視した。

 他の使用人達は、一応は主人の息子である清一に丁寧な態度はとるもののどこか余所余所しい。腫れ物を扱うように、清一と関わらないようにしていた。

 そして実の父親は、家に帰ってきたかと思えば、すぐに夜会だ会食だと支度をして家を出る。目の前にいるのが清一の偽物だと気づきもしなかった。そもそも、ろくに顔を見もしなかったのだ。

 夜会用の礼服に着替えながら、ただ一声、『支倉家の人間としてふさわしい振る舞いをするように』とかけてきただけだ。

 口癖なのだろう。いつも清一に言っているのだろう。

 その日の夜、ひとりきりの夕食を終えた藍次は、部屋に戻るとすぐに窓から家を抜け出し、走って曲芸団の天幕へと戻った。


『おう、おかえりぃ、藍次』

『どうだった、藍次。うまい飯は食えたかい?』


 次々に掛けられる明るい声と笑顔にほっとしながらも、胸が引き絞られるように痛んだ。

 ああ、そういえば、支倉家に帰った時には、誰もこんな顔で迎えてはくれなかったのだと思い返した。

 団員達に囲まれた清一が促されて、照れ臭そうに『おかえりなさい』と言う。

 そんな清一を見つめ、藍次は何も言えず、ただ顔を顰めて唇を強く引き結ぶことしかできなかった。顰め面で黙ったまま藍次に、清一はどこか申し訳なさそうに微笑んだものだ。

 その時の彼の寂しそうな笑顔を、今も藍次は忘れることができずにいる。



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