(27)


  ***


 ああ、やはり。当麻は内心で呟いた。

 藍次の容姿からして、彼は清一の血縁者だと想定していた。

 しかし、まさか双子だったとは。道理でそっくりのはずだ。

 清一と同じ顔で、藍次は小さく首を傾げる。


「あんた、清一のことをどこまで知ってます? 古賀の奴から何か聞いていたでしょう」

「ああ……支倉君の父親がよそで作らせた子を引き取ったと聞いたよ。そのせいで母親と折り合いが悪いとか、産みの母が芸者で親族からよく思われていないとかね」

「ええ、その通り。その産みの母の芸者ってのが、俺と清一の母親ですよ」



 藍次と清一の母親は、佐野青子さの せいこといった。

 彼女は『清乃』という名で、新橋で芸者をしていた。美人で芸が達者で、温和な気質の彼女はたいそう人気があったらしい。支倉商社の社長も清乃こと青子を贔屓にしていた一人で、足繁く通っていた。やがて、妻との間になかなか子ができないことを悩んだ社長は、青子に子を産んでくれるように頼んだ。

 もっとも、青子を好いていた社長は子を産んでもらうことを口実に、彼女を妾にするつもりであったらしい。青子もまた社長を憎からず思っており、何度目かの懇願で首を縦に振った。

 だが――。


「まさか双子が生まれるとは、母も思っていなかったみたいですね」


 そっくりの二人の男の子を前にして、青子は悩んだ。しかし同時に天啓だと思ったそうだ。

 青子は最初から、妾になるつもりは無かった。ただ、好きな相手の子を産むことで、何かしら繋がりを残したかっただけだ。

 青子は生まれた子が双子であることを隠し、一人を支倉家に引き渡して、もう一人を自分の手で育てることを決めた。その後は社長に何も告げずに芸者を辞め、新橋の地を離れたそうだ。

 青子は男の子に『藍次』と名付け、小さな町で母子二人、ひっそりと暮らした。

 だが、藍次が六歳の時に青子が病に倒れた。死の間際、青子は芸者時代の妹分だった洋子ようこに、藍次を託した。当時、すでに芸者を辞めて新楽曲芸団に入っていた洋子は、青子の死後、藍次を曲芸団へと引き取った。


 そうして、藍次の曲芸団での生活が始まった。

 幼い子供であれ、曲芸団の一員。働かなければ生きていけない。守ってくれる母はおらず、引き取ってくれた洋子も藍次を甘やかすことはしなかった。

 曲芸団にいる子供は藍次と同じような境遇の者ばかりで、掃除洗濯、料理に繕い物と、皆で仕事を分け合いながら、朝から晩まで雑用をこなした。

 引き取られてしばらく経つと、雑用以外に軽業を仕込まれるようになった。他にも手品やナイフ投げ、武術や鍵開けといろいろな曲芸を団員達から教わったものだ。最低限の文字の読み書きや金勘定など、生きていくうえで必要なことも習った。

 藍次は幸いなことに、人一倍器用で運動も得意であった。機転が利き、呑み込みが早いうえ、母親譲りの美しい容姿を持つ。団長達に目を掛けられた藍次は、他の子供達よりも早く舞台へ出るようになった。

 しかし舞台に上がるときは必ず女装し、髪も長く伸ばすように言われた。幼くも男としての矜持を持つ藍次は、少し不満に思ったものだ。

 もっとも、今思えば、それらはすべて藍次の正体を隠すための洋子の配慮だったのだろう。

 当時の藍次は、父親のことは気にも留めていなかった。藍次にとって、家族は亡くなった母と母代わりの洋子、そして曲芸団で寝食を共にする皆であり、父親の存在は最初から無いものだったからだ。


 しかし、藍次が十二の歳、ついに己の出生の秘密を知ることになった。


 新楽曲芸団は旅回りの劇団で、東京や横浜、名古屋に大阪、京都、さらには九州の福岡まで日本各地を回っていた。浅草公園の演芸場もその一つだ。

 ある日、洋子に使いを頼まれた藍次は、公園内の仲見世から演芸場へ戻っていた。舞台に上がるようになったとはいえ、藍次はまだまだ下働き扱い。雑用を頼まれることはよくあった。

 その帰路で、清一に出会ったのだ。


「人攫いに捕まった間抜けな子供を助けたら、それが清一だったんです」


 露店の裏へと無理やり腕を引かれている子供に気づいた時、はじめは放っておこうかとも思った。いかにも綺麗な服を着て、日が暮れる時間に供も付けずに雑踏をうろついているなんて、かっこうの標的だ。

 呆れつつも藍次は石礫で人攫いの注意を引き、その隙に子供の手を取って逃げた。人混みを突っ切り、浅草公園の林の中に逃げ込む。木の陰に身を寄せた藍次は、息を切らしている子供の方を振り向いた。

 その時、藍次は心底驚いた。

 相手も驚いているようで、大粒の汗が浮かぶ額の下、大きな黒い目を見開いている。

 自分と同じ顔が、目の前にあった。

 まるで鏡を見ているようだった。見開いた目に、同じように大きな目を丸くした子供の顔が映っている。


『君は……誰?』


 自分が出したのかと思うくらい、声までそっくりだった。子供が再度尋ねてきたことで我に返った藍次は、思わずその場から逃げ出した。

 急いで曲芸団に戻り、奇妙な邂逅を洋子に話すと、彼女は表情を硬くした。洋子の態度に不信を覚えた藍次が問い詰めれば、彼女は藍次の出生についてしぶしぶ話し始めた。

 洋子は青子が死ぬ間際、藍次が双子であることを知らされていたそうだ。


『その子供、あんたのお兄さんかもしれないわね』


 父親の方に引き取られた、双子のかたわれ

 洋子から伝えられた事実に、藍次は愕然とした。自分に兄が、そして父親がいることが信じられず、その日はなかなか眠れなかったものだ。

 もっとも、藍次はその後、兄と父親を探そうとは思わなかった。

 母は藍次に何も教えなかった。それはつまり、藍次は知らなくていいことで、兄と父を探す必要はないということだ。

 浅草での公演が終わり、次の興行のための準備に追われた藍次は、そのうち清一のことを忘れていた。

 そうして次の年。再び浅草公園での興行の際、舞台の隅で助手をやっていた藍次は目を瞠った。客席に自分と同じ顔の子供がいたからだ。

 焦る藍次ではあったが、今の自分は少女の恰好をしている上、顔の上半分を仮面で隠している。気づかれることはないだろうと高を括っていたが、興行を終えて天幕の裏手に出た藍次の前に、あの子供が現れた。

 仮面を外していた藍次は慌てて背を向けたが、子供がその背に声を投げてくる。


『待って! 君……僕の、僕の“妹”じゃ――』

『俺は男だ!』

『えっ?』


 思わず振り返った藍次と、ぽかんと口を開けた子供は、顔を見合わせた。


『……ちょっと、こんな所で何してんのさ』


 気まずいまま見つめ合う二人に、声を掛けたのが洋子だった。こんな場所で騒がれちゃあ困ると、藍次と子供を裏手の小屋に連れ込んだ。

 そうして藍次は、子供が……己の兄が支倉清一という名であることを知ったのだった。

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