(25)
***
青い暖簾で仕切られた奥が、藍次の私室のような場所であるらしい。
当麻を招くも、藍次は椅子を進めることなく、自分だけ寝床代わりの長椅子にどっかりと座った。行儀悪く組んだ足に肘を乗せ、頬杖をつき当麻を見上げてくる。
改めて見ると、藍次は本当に支倉清一とそっくりの顔をしている。しかしその鋭い目つきと勝気な表情は、まったく異なる別人のものだ。
じぃっと当麻が見つめていると、藍次は綺麗な形の眉を顰めた。
「何です?」
「いや……やっぱり支倉君とは違うと思っただけさ」
「あっはは! そりゃそうだ。藍次とあの坊ちゃんじゃあ、育ちが違いすぎらぁ!」
けらけらと笑う汰一に藍次が再び拳を握り締めた時、暖簾の向こうから声が掛けられる。
「失礼します、
断りを入れた後、暖簾の隙間から顔を見せたのは、白い肌の美しい少年だった。
汰一と同じ年頃であろう彼の髪は淡い色で、ぱっちりとした目は明るい鳶色をしている。愛らしい顔立ちは西洋人形のように整い、華奢な体つきは少女のようにも見えた。
彼は当麻に気づくと、小さく頭を下げた。
「お久しぶりです、当麻先生。いらしていたのですね」
「やあ、乙也君。『からくり人形』の演目、素晴らしかったよ」
「ありがとうございます」
当麻の賛美に、乙也ははにかむ。その可憐な笑みは、『からくり人形』の美しい西洋人形のものと相違なかった。
右手で杖を突いた彼の、左足の動きはぎこちない。それもそのはずで、膝丈のズボンから覗くのは硬い木製の義足だった。
乙也はくるりと視線を巡らせて、藍次の長椅子の下に隠れようとしていた汰一を捉えた。
「汰一、やっぱりここにいたんだね。ご飯の準備、さぼったでしょう?」
「仕方ねぇじゃん。藍次のお客さん、案内してたんだからな」
「案内が終わったのなら、すぐに戻りなよ。
「うげぇ」
潮というのは、青藍の脱出劇に登場した坊主頭の男の一人だ。強面ながらも曲芸団の料理番を任されている男で、普段は寡黙で穏やかな人柄だが、怒るとそれはそれは怖いのだ。
汰一は慌てて立ち上がり、出て行こうとする。
だが、暖簾をくぐろうとしたところで当麻の方を振り返った。
「センセー! オイラの分の金、ちゃんと藍次に渡しといてくれよ!」
「ああ、勿論さ。ここまで案内してくれた駄賃も付けるよ」
「やったぁ!」
ちゃっかりと小銭を稼ぎ、ご機嫌な汰一が嵐のように去っていくのを、乙也が呆れたように見送った。
「まったくもう、汰一はお調子者なんだから……藍兄さん、当麻先生、失礼しました」
丁寧に礼をした乙也もまた、暖簾の向こうへと消えていった。
藍次と二人きりになった空間で、当麻は手近にあった木箱を引き寄せて腰掛ける。
「ところで……藍次君、お腹の怪我は大丈夫だったのかい? 古賀君に刺されたとき、血がずいぶんと出ていたようだけど」
「言ったでしょう? ありゃあ舞台で使う偽物の血ですよ」
心配げな当麻を、藍次は鼻で笑う。
「念のため
そう、あの夜古賀の前に現れたのは幽霊でも何でもない。
藍次だ。
あの夜だけではない。尤学館大学に現れた清一の幽霊は、すべて藍次が扮したものであった。
「そういえば最初に会ったときも、君は血塗れだったな。いやあ、あの時は驚いたよ」
十月の末、当麻の部屋に現れたのも、もちろん藍次である。
藍次は外から、三階の当麻の部屋に侵入していた。
曲芸団育ちで軽業の得意な藍次には容易いことだ。石壁と雨樋を伝って三階まで上り、鍵の掛かっていない窓から入り込んだそうだ。まさか三階の窓から侵入されるとは思っていないから、当麻も鍵を掛けていなかったのだ。
そうして侵入した藍次は、清一の恰好をしてシャツに偽物の血を付けるだけでなく、魚の内臓を漬け込んだ腐臭を放つ液体を辺りに撒いていた。室内に漂っていた生臭さはそのせいだった。
「いやあ、おかげで後の掃除が大変だったよ」
あっけらかんと言う当麻に、藍次はわざとらしく大きな溜息を付いてみせる。
「大変だったのはこっちの方ですよ。幽霊のふりをして脅かそうとしたのに、あんたときたら……」
藍次はその時のことを思い出したのか、苦虫を嚙み潰したように眉を顰める。
当麻が幽霊に怯えて逃げる、あるいは動けない間に、藍次は闇に紛れて窓から逃げる算段であったという。
しかしながら、藍次が隅の暗がりに隠れようと時、当麻は怯えるどころか喜色満面に『待ってくれ!』と言い放った。そうして勢いよく向かってきて、隠れようとしていた藍次の腕をがしりと掴んだのだ。
その時の言葉が、『君、本物の幽霊かい? 嬉しいなあ、初めて見たよ!』である。
逃亡を阻まれ、焦ったのは藍次の方だ。
偽物の幽霊には脈も体温もあったため、当麻はすぐに相手が人間だと気づいてしまった。幽霊ではないと残念がる当麻を、藍次は得体の知れないものを見る目で見てきたものだ。
そんな経緯で早々に正体を見破られた藍次は、すぐに開き直って、その場で当麻に依頼をしてきた。
それが、清一を探すこと、もとい『清一の遺体を見つけること』だ。当麻は幾つかの疑問を抱きつつも、藍次の依頼を快く引き受けた。
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