(24)


 日が暮れ、人々が帰路に付き、浅草公園内の露店が店じまいを始める頃。

 今日の演目をすべて終えた新楽曲芸団の天幕でもまた、団員達が片付けや準備に奔走していた。

 表の華やかで煌びやかな虚構の世界とは違い、裏の空間は人も物も雑然としている。正面から見れば美しい背景も、裏に回れば剥き出しの木組みや誰が書いたか分からない落書きがあるものだ。衣装だけ脱いで化粧をしたまま掃除をする者や、野菜の籠や大鍋を抱えて夕飯の準備をする者など、そこかしこに人が暮らしている生活感があった。

 その中を勝手知ったように歩くのは、一人の紳士である。

 英国仕立ての三つ揃いのスーツを纏い、中折れ帽とステッキを備えて悠々と歩く姿は、さながら劇団の役者のようだが、見慣れぬ顔だった。

 堂々と通り過ぎる彼に最初こそ戸惑った団員達であったが、体格の良い男が一人立ち上がった。やんわりと、しかし警戒の色を乗せ、紳士に向かって誰何の声を上げる。


「ちょっと旦那、ここで何をしてるんです? 迷ったんなら出口はあっち……」

「あっ、待って待って! その人、オイラの知り合いだから!」


 割って入ったのは、小柄な少年だった。八歳くらいだろうか。くりっとした大きな目が特徴の彼は、『からくり人形』の演目に出ていた子供だった。


「なんだ、汰一たいちの知り合いか?」

「んー、まあね」

「だったらいいが、あまり一人でうろつかせるなよ。下手に道具に触られちゃあ、こっちの商売あがったりだぜ」

「はーい」


 汰一と呼ばれた少年の登場で、男や他の団員達は警戒の色を消して、自分達の仕事に戻っていった。

 舞台では愛らしい様子を見せていた汰一だったが、今はどこか大人びた様子で渋面を作り、高い位置にある紳士の顔を見上げた。


「当麻センセー、勝手に入られちゃ困るよ。客席で待っててくれりゃあ、迎えに行ったのにさ」

「ああ、汰一君。これはすまないことをしたね」


 生意気な物言いだが、紳士こと当麻は素直に謝罪する。

 汰一はにっと笑い、当麻の大きな手を握った。


「ま、呼びに行く手間が省けたからいいよ。ほら、こっちこっち」


 当麻の手を引っ張りながら、汰一は天幕の裏手に出て、雑然とした中を進んだ。奥の方には、団員達の仮の住まいである小さな掘っ立て小屋や天幕が幾つか並んでいる。

 その中の一つに、汰一はノックもなしに入った。


「らんじー! お客さんだぞー!」


 暖簾で仕切られた小屋の中、一番奥まった場所にある青い布を上げて顔を出したのは、白い仮面の青年、奇術師の青藍せいらんだ。

 顔の上半分を覆う仮面と青い衣装を見て、汰一が呆気に取られる。


「何だよ、まだ着替えてねぇの?」

「……汰一。ちょっと、こっち」


 演目中には一切声を出さなかった彼の声は、纏う雰囲気によく似合った、しっとりと艶めいた響きがある。

 汰一は「何なに? お駄賃?」と跳ねるように近づく。

だがしかし、無防備な彼に与えられたのは、お駄賃ではなく握り拳だった。少年の丸い頭の天辺で、ゴッ、といい音がする。


「いってぇ!!」

「年上を呼び捨てにするんじゃねぇよ。いつも言ってんだろうが」


 青藍は麗しい姿と声に似合わぬ、粗野な物言いをした。

 舞台で見せていた妖艶な印象と随分異なるが、当麻は驚きもせずに中折れ帽を掲げて挨拶する。


「やあ、青藍。……いや、藍次らんじ君だったね」

「どうも、当麻先生」


 赤い唇が、にっと笑みの形を作る。

 青藍こと、藍次は頭の後ろに手を回し、紐を解いて白い仮面を外した。長い黒髪がさらりと流れる。

 仮面の下から現れたのは、女性と見紛う繊細な造りの顔だ。濡れたように輝く黒い目が、睫毛の下でゆっくりと細められる。


「ようこそ、お越しくださいました」


 慇懃無礼な口調で不敵に笑うその顔は、『支倉清一』とまったく同じものであった。


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