(20)


「……」


 声も出せずに硬直する古賀の前に現れたのは、『支倉清一』だった。

 白い肌と赤い唇、通った鼻筋。長い睫毛の下で、濡れたような大きな黒目が暗く光る。

 艶めいた美しい容姿を持つ、よく見知った青年がそこにいた。


「せ……せい、いち……?」


 無表情でそこに佇む清一に、古賀はわなわなと唇を震わせる。


「う……っ、嘘だ! どうせ偽物だろう!? 清一なわけ、あるはずが……だって、お前は、俺がっ……!」

「そう。あなたが、僕を殺した」


 赤い唇から零れ落ちた声に、古賀はひっと息を呑む。

 聞き間違えることは無い。古賀がよく知る、清一の声だった。

 そこにいたのは、紛れもなく『支倉清一』だった。

 古賀は穴の中にある黒い塊と、佇む清一を交互に見やりながら叫ぶ。


「どうしてっ、お、お前はっ、俺が……殺したのにっ……! お前はそこに埋めたんだ、そこにいるじゃないか!!」


 穴を指さす古賀に、傍らで様子を見ていた当麻が「やっぱり支倉君の遺体だったか」と確認するように呟く。


「やっと犯行を認めたね、古賀君。証拠はここにある支倉君の遺体と、君の言動を一部始終目撃した僕の証言で十分だろう。あとは警察で……」


 言いかけた当麻の横で、清一が動いた。宙を滑るように穴の横を通り過ぎ、古賀の前へと進み出る。

 古賀は悲鳴と共に鋤を投げつけるが、腕に力が入っていなかったのか、すっぽ抜けた鋤は清一の足元にガランと音を立てて落ちた。

 清一は鋤などに目も止めずに、また一歩、古賀へと近づく。


「どうして、僕を刺したの。なお兄さん」

「清一……!」


 古賀ははっとして、目の前の清一を見つめる。

 清一は年上の従兄である古賀を『尚兄さん』と愛称で呼んで慕っていた。


「ほ……本当に、清一なのか?」

「尚兄さん。どうして、僕を殺したの? そんなに、僕が憎かった? 僕の味方だと言って、いつも助けてくれたのに、嘘だったの?」


 今まで無表情だった清一の顔が、悲しげに歪められる。

 つられるようにして、古賀もまた顔を歪めて、首を横に振った。


「違う……違うっ! 俺は、いつだってお前の味方だった! いつもお前を庇って、守って、仲良くしてやったじゃないか! ……それなのに、お前が! 清一、お前の方が裏切ったんだ! この俺を!!」


 古賀の目に、悲しみだけでなく、怒りや憎しみの色が浮かぶ。激しく混ざり合った感情が、清一へと向けられる。


「自分は家を出る、支倉商社も家も弟が継ぐから支えてやってくれなんて、馬鹿なことを言い出したのは、お前じゃないか! あの浅草の女と駆け落ちする気だったのか? 今まで俺が、どれだけお前を大切にしてきたと思うんだ? それなのにお前は、女のために支倉の家を出て……この俺を、捨てようとして……っ」


 古賀は唾を飛ばして激昂する。


「許さない、絶対に! お前は俺とこれからもずっと一緒だ! だから……だから、俺が……!」


 言いながら、古賀が己のポケットの中に入っていたものを取り出す。鈍く光を反射したそれは、小型のナイフだ。

 古賀はナイフを構えると、目の前の清一に向かって躊躇なく突き出した。清一は避けることもできず、腹部に深々とナイフが突き刺さる。


「が……っ……」

「支倉君!」


 当麻が声を上げるが、すでに遅い。勢いよくナイフを抜かれた清一の腹部から、赤い血が飛び散り、溢れる。

 さらにもう一度、古賀は清一の腹へとナイフを深く突き立てた。


「っ……」


 清一は力を失ったように膝から崩れ落ち、倒れる。

 地面に赤い血だまりがじわりと広がっていく。流れ出る血の量からして、明らかに致命傷であった。

 動かなくなった清一を見下ろし、血塗れのナイフを手にした古賀は引き攣った笑みを浮かべた。


「……これで、やっと死んだ。もう、どこにも行かせないぞ……やっと、俺のものになった……ああ、安心しろ、清一。お前はずっと、この場所で俺が守ってやるからな。約束通り、お前と一緒に、支倉商社を守って……邪魔な奴は、全部埋めてしまって……」


 ナイフを握り直した古賀は、据わった目で当麻の方を見た。犯行の目撃者である当麻に狙いを定めた古賀が、ゆっくりと足を向ける。


「古賀君、君は……」


 倒れた清一を置いて逃げることもできず、当麻は緊張した面持ちで古賀を見返した。

 しかし、当麻の頬が不意に強張る。当麻の視線は古賀ではなく、彼の背後に向けられていた。

 古賀は当麻の表情の変化に気づいたのか、何気なく後ろを振り向いて、当麻と同様に表情を強張らせる。見開いた目に、恐怖が浮かぶ。


「せ……清一!?」


 腹部を深く刺されて死んだはずの清一が、平然と立ち上がっていた。

 学生服の下の白いシャツを真っ赤に染めながら、口の端から血を流しながら。青白い顔で、清一はゆっくりと唇の端を上げた。

 血に染まった唇は紅をさしたように美しく、その妖艶で壮絶な笑みに古賀は「ひっ」と喉を震わせる。


「……また、僕を殺したんだね。尚兄さん」


 清一の声に殴られたかのように、古賀は後ろへよろめいて尻もちをつく。近づく清一から逃れるように、古賀は必死に後ろへと這いずった。


「なんでっ! どうして、死んでないんだっ……清一!」

「死なないよ。……だって、僕は――」


 清一が腕を上げて、古賀を指さす。


「あんたに殺された清一の、『幽霊』なのだから」

「っ!」


 後ろへ着いた古賀の手が、空を切る。

 そこは、古賀自身が掘り返した穴の上だった。

 古賀はそのまま穴の中へと転げ落ちる。


「ひっ、ぎゃ、うわあぁぁっ⁉」


 恐慌に陥った古賀が、穴から出ようと懸命にもがく。やみくもに伸ばして振り回した両手が黒い布をひっぱり、破ける音がした。古賀の指先は土を掻くだけで、地上を捉えることなく滑り落ちる。

 そうして、無様に這いつくばった古賀の目に映ったのは。

 破けた黒い布の裂け目から覗いた、清一の――


 死人の、青白い顔だった。


「っ――」

 

 古賀は悲鳴を上げることもできず、恐怖のあまり意識を失った。



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