(17)


 ひょうたん池は、浅草公園の西側に作られた人工の池だ。その周囲は浅草六区と呼ばれ、見世物小屋や活動小屋などあらゆる娯楽を楽しめる場所が密集した、大勢の人でにぎわう繁華街である。


「ひょうたん池か。近くには活動小屋が多いが、西側にはカフェーやバーも多い。浅草寺の裏側には花街もある。……もしかしたら、支倉君は誰かと密会するために、浅草公園に行っていたということかな?」


 当麻の指摘に、古賀はぎゅっと眉を顰めた。

 カフェーやバーには女給がおり、花街には芸者がいる。真面目な清一でも、大学の先輩に連れられて一度は花街に入ったことがあるだろう。もしかすると、その時に清一は女給や芸者と知り合い、良い仲になったのだろうか。

 人が多く集まる浅草公園であれば、外出しても疑いを持たれずにカムフラージュになる。そうして、ひょうたん池の林の中で逢瀬を重ねて……。

 しかし、そんな仲は間違いなく反対されるだろう。

 清一は支倉家の長男だ。支倉商社を、ひいては支倉家を継ぐ者として、それなりの家柄の女性と結婚することになるのは、清一も十分承知していたはずだ。

 だからこそ、彼は悩み、家を出ようとしたのではないか。


「もしかしたら、清一は家を出て、その女性と駆け落ちしたのではないかと……」


 新たな事実を知らされ、当麻は一つ息をつく。


「なるほどね。支倉君には出奔する意思があったというわけか」


 それならば、清一の失踪を支倉家が公にせず、大学の講師達が何も聞かされなかったのも頷ける。


「しかし、島崎君や須藤君の話では、支倉君は責任感の強い子だと聞いている。そんなに簡単に、家を捨てて駆け落ちするだろうか? しかも友人や君に相談もせずに、いきなり家を出たいなんて言うのは、いささか無責任に思えるが」


 当麻の言葉に、古賀は躊躇いながら口を開く。


「……先生、これから話すことは、誰にも言わないでもらえますか?」


 古賀はそう念を押した後、静かに話し出した。


「実は、清一は母親……昌枝叔母さんとは、血が繋がっていないんです」

「え?」


 当麻は驚いて古賀を見る。

 身内の内情を語るのは苦しいのか、眉根を寄せたまま古賀は話を続けた。


「清一は、支倉のおじさんがよそで作らせた子なんです」

「……そうだったのか」

「おじさんと叔母の間になかなか子が生まれず、おじさんは囲っていた愛人に子を産ませました。それが清一です。清一は、生まれてすぐに支倉家に引き取られて育てられました。

 生さぬ仲のせいか、清一と昌枝叔母さんは折り合いが良くなくて……しかも清一の産みの親が、その、芸者だったこともあってか、支倉の親族や、僕の父を含む古賀の親族からも良くは思われていませんでした。

 そのせいで、清一は親族の皆から厳しく当たられていたんです。しかも、清一が十歳の時に、昌枝叔母さんに奇跡的に子ができました。男子が生まれたことで、ますます清一への風当たりがひどくなってしまって……。最近では、清一ではなく弟の方に家も会社も継がせろと、声が上がっていたのです」


 古賀はいったんそこで話を途切れさせ、顔を伏せた。


「家の恥を晒す様で、申し訳ありません。ですが、清一が姿を消した理由には、そのせいもあるのではないかと思ったんです。でも、まさか、清一が家を出ようとするほど追い詰められていたなんて、僕も気づけなかった。僕が彼を引き留めて、考え直せなんて言ったせいで、清一が余計に苦しんでいたのだとしたら、悔やんでも悔やみきれません。僕が……僕がもっと、清一の力になってあげていれば……!」


 古賀は言葉を詰まらせる。その声も膝の上の拳も、小さく震えていた。

 当麻は彼の肩を軽く叩き、少し温くなった紅茶を示す。


「とりあえず飲みなさい。落ち着くよ」

「……すみません。取り乱してしまって」

「いいや、話してくれてありがとう、古賀君。支倉君のことがよく分かったよ。言い辛いことだったろうに。むしろ悪かったね」

「いいえ、清一のためなら……」


 古賀はそう言って、紅茶に口を付ける。「おいしいです」と感想を言う古賀に、当麻は微笑んだ。


「警察に、浅草公園の方を調べるようにそれとなく伝えておこう。……それにしても、支倉君が幽霊となっているなら、相手とは駆け落ちではなく、心中するつもりだったのだろうか。あるいはその相手に騙されたか……いずれにしろ、犯人も、彼の遺体も見つけてあげたいところだ」


 当麻は自分の椅子に腰かけて紅茶を飲みながら、話を続ける。


「あの交霊会で出た『S』のイニシャル。相手の女性に関係する名前か店名かは分からないし、これだけでは絞り込むのも難しい。もっと詳しく分かればいいのだが――」


 当麻はふと、言葉を途切れさせた。


「先生?」

「……古賀君、もう一度交霊会を開いてみるのはどうだろうか?」

「え?」

「あんなにはっきりとメッセージを残し、霊姿も現れた交霊会は他にない。もしかしたら、犯人に関する情報がもっと分かるかもしれない。彼の身体のある場所も尋ねれば、きっと見つけることができる。ほら、フォックス家の霊との交信でも、遺体がある場所が分かったじゃないか、地下に埋められているとね!」


 勢い込む当麻に対し、古賀はぎょっとする。


「また交霊会をするのですか。あ、あんな恐ろしい……」

「恐ろしいだろうが、ぜひとも古賀君達に協力してほしい。そう、須藤君、島崎君にも。支倉君の友人である君達がいれば、きっと僕らの呼びかけに答えてくれる。ぜひとも協力してくれたまえ。よし、そうと決まれば急いだ方が良い。遺体が腐敗したり、処理されたりしてしまっては見つけることができなくなる。明日にでも開きたいから、須藤君達にも知らせてくるよ」


 当麻は急いで立ち上がり、部屋を出て行く。取り残された古賀は、すっかり温くなった紅茶を手に呆気に取られていた。



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