(11)
***
支倉清一の幽霊が出る――。
その噂は瞬く間に構内に広まった。
きっかけは当麻の講義での話だろうが、実は以前から、構内では奇妙な現象が起きていたという。
『誰もいないはずの部屋から妙な物音がした』
『物音がして行ってみたら、室内の椅子や机がすべて逆さまになっていた』
『真夜中の学舎の教室の窓から、学生らしき青年がこちらを見下ろしているのを見た』
『夕方、構内の北にある林の中で、宙に浮く人影と火の玉を見た』
これらの目撃証言と当麻の『支倉清一の幽霊らしきものに会った』という発言が重なり、学生達の噂は熱を帯びた。
そもそも、真面目な清一が十日以上も姿を見せないことを不審に思っていた者も多く、学生の間では様々な憶測が飛び交っている。
これにより、当麻の部屋を訪れる学生が増えた。彼らの主な用件は、幽霊の目撃情報や怪奇現象の報告だ。清一に最後に会ったのは自分かもしれないと名乗り出る者や、清一の幽霊がメッセージを伝えてきたと言う者もいた。もっとも、結局どれも曖昧なものばかりで、清一の行方は依然として知れないままだ。
当麻は来客が増え自慢の茶器が活躍することを呑気に喜んでいたが、騒ぎが大きくなってくると、元から当麻を目の敵にしている講師達は「学生達を惑わせるようなことをするな」とここぞとばかりに苦情を言ってきた。さすがに学長からも注意を受けたが、学生達の間で流れる噂通り当麻に恩のある彼からの注意は、やんわりとしたものであった。
数日が経った頃、島崎と須藤は放課後に再び当麻の部屋を訪れた。昨日の講義の後、この時間に部屋に来るように言われていたからだ。
「失礼します、当麻先生」
「やあ、須藤君、島崎君。よく来てくれたね。この間は片付けを手伝ってくれて助かったよ。ありがとう……」
礼を言いながら、当麻は島崎の後ろに目を止めた。彼の後ろからもう一人、背の高い学生が入ってくる。
凛々しい面持ちをしていて、切れ長の一重の目と強く結ばれた唇が生真面目、且つ神経質そうな雰囲気を漂わせていた。
当麻が首を傾げると、青年は背筋を伸ばして一礼する。
「経済学部三年の
「ああ、君か。島崎君が言っていた年上の従兄というのは」
「はい」
「はい」
「島崎君たちから聞いたが、支倉君と仲が良かったそうだね」
「ええ。僕は、清一の母方の従兄にあたります。小学校までは横浜の方にいたのですが、仕事で支倉のおじさんが度々横浜に来て、その時に清一を一緒に連れて来ることが多かったんです。それで小さい頃からよく一緒に遊んでいました」
古賀の父親は、清一の父親の友人であり『支倉商社』の横浜支所の所長を務める、いわば片腕のような存在らしい。それが縁で古賀の父親の妹……古賀にとって叔母にあたる昌枝が支倉に嫁ぎ、古賀家と支倉家は親戚となったそうだ。
互いの親が仕事で忙しい間、古賀は必然的に清一の遊び相手となった。清一は年の近い古賀を兄のように慕い、古賀もまた彼を弟のように可愛がっていた。古賀が中学に上がる時に東京に出て来てからも、二人の親しい関係は続き、大学も同じ所に通うことになったそうだ。
そんな古賀と島崎達に椅子を進め、当麻はいそいそと作業台に向かった。
ここ数日はティーセットが大活躍しており、紅茶の淹れ甲斐もある。もっとも、いまだに紅茶の味に感銘を受けてくれる若者が現れないのが残念だ。
ひょっとして自分の淹れ方が悪いのだろうか。腕が落ちてしまったか。ああ、英国で鍛えてくれたジェフに嘆かれてしまうではないか。
イギリスから茶葉を送ってくれる友人を思い出しながら、沸いた湯を高い位置からポットに注ぎ入れる。砂時計をひっくり返して茶葉を蒸らしていると、島崎が「あれ」と小さく声を上げた。
当麻が振り返ると、島崎は本棚の横の長椅子の方を見ていた。
「当麻先生、ここにあった人形は……」
「持って帰ったよ。先日、学部長が部屋に来たとき、驚いて腰を抜かしてしまってね。持って帰れと怒られてしまった。それに……ほら、この間みたいにポルタアガイストが起こって、人形に傷がついてしまっては大変だからね」
当麻は苦笑して答える。
数日前、島崎と須藤が訪れた時にそれは起こった。壁を殴りつけるような激しい物音。嵐が通り過ぎた後のように散らかった部屋。長椅子の人形もまた、床に落ちて手足を投げ出してはいたものの、幸いにも破損は見当たらなかった。預かり物だったので胸を撫で下ろしたものだ。
「壊して人形に呪われても困るしね……ん? いや、むしろ好都合か。呪いの検証をするのにちょうど良いかもしれない。もしかしたら、ポルタアガイストは幽霊の仕業でなく、あの人形のせいだった可能性もある。ここはもう一度持ってきて確かめた方が……」
「いや、止めた方がいいかと……」
青褪めた顔で神妙に反対する島崎の横で、須藤が首を傾げた。
「先生、『ぽるたあがいすと』と言うのは?」
「ドイツ語で『騒がしい幽霊』という意味だよ。心霊現象の一つで、誰も触れていないのに家具が動いたり、物音がしたりする現象だ」
砂時計の砂がさらさらと落ちていく様を見ながら、当麻は淡々と説明する。
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