(10)
扉をノックするような、テーブルを叩くような、何か固いものを叩く音だ。
当麻達は寸の間、顔を見合わせる。
「……あの、今のは?」
島崎が恐る恐る尋ねるが、須藤も当麻も頸を横に振って否定した。誰も、テーブルを手で叩いたわけでも、足先をぶつけたわけでもない。
きっと気のせいだ。皆がそう思い込もうとする前に、今度は「パキッ」と木が軋んで割れるような音が響いた。「ひぃっ」と引き攣った声を上げて、島崎が肩を跳ね上げさせる。
当麻は本棚のある壁、隣室の境となる壁の方を見やった。島崎も須藤もつられて本棚の方を見やる。どうやら、奇妙な音はそちらからするようだ。
コンッ、パキッ……。
断続的に鳴る音に、須藤がわずかに顔を青ざめさせながら尋ねる。
「せ、先生……隣に誰かいるのですか?」
「いや、隣は空き部屋だよ。今は物置きとして使っていて、鍵は僕が持っている」
そう答えて、当麻は立ち上がった。扉へ向かう当麻に、須藤と島崎も慌てて席を立つ。
「先生、どこに行くのですか?」
「隣の部屋だ。君達も来てくれるかい?」
「えっ……」
二人は狼狽えるが、部屋を出る当麻を慌てて追った。奇妙な音がする部屋に取り残される方が恐ろしいのだろう。
隣の部屋の前に立った当麻は扉のノブを回すが、ガチャガチャと音を立てるだけで開かない。ちゃんと鍵は掛かっている。
当麻はベストのポケットから鍵を取り出して開錠し、扉をゆっくりと開いた。
扉の向こうには、がらんとした空間が広がっている。
物置代わりに使われている部屋だが、それほど物は置かれていない。部屋の片側の壁には冬場に使用する火鉢やストーブが寄せられている。もう片方の壁にある本棚は、当麻が持ち込んだ古い雑誌や資料、幻灯機のフィルムが入った紙箱で半分ほど埋められていた。隅の方には、いつから置かれているのか分からない古いカーテンなどの備品、持ち主不明の将棋盤などが重ねられている。
部屋が広いせいもあってか、空洞の方が目立っていた。もちろん人が隠れられる場所などなく、一目見ただけで部屋には誰もいないことがわかる。
……ならば、さっきの音は何だったのか。
須藤と島崎が顔色を変えて、思わず廊下へ後ずさる。
しかし当麻は平然と部屋の中に入り、電灯を点けてぐるりと見回した。念のため、積み重なったカーテンを持ち上げて覗いてみたが、そんな所に隠れられるのは猫や鼠くらいだ。上げ下げ式の窓も閉まっていた。
「どうやら、誰も出入りした様子は無さそうだ」
当麻が須藤達の方を振り返るのと同時だった。
バンッ――!!
突如、激しい音が部屋に響いた。
何かを殴りつけるような、はっきりとした物音にさすがに当麻も目を瞠った。音が鳴ったのは、己の部屋の方の壁からだ。
当麻も、廊下にいた須藤達も固唾を呑む。
静まり返る中、再び、ドンッと壁や床を殴りつけるような大きな音が響いて、島崎が小さく悲鳴を上げた。ガタ、ガタンッ、と何かが床に落ちるような音も続けて聞こえてくる。
――何かが、当麻の部屋にいる。
それに気づいた須藤は青ざめ、島崎はよろめいて廊下に尻もちをつく。
今、当麻の部屋に誰もいないことは、廊下にいた島崎と須藤は十分にわかっていた。三階の突き当りにある当麻の部屋に入るためには、二人がいる廊下を必ず通らなければならず、誰もそこを通っていないからだ。
ガタガタと震える島崎を、須藤は混乱しつつも手助けして立ち上がらせる。その横を当麻は早足で通り過ぎた。
当麻が自分の部屋に飛び込めば、数分前まで整頓されていた部屋の中は、まるで嵐が通り過ぎたように散らかっていた。
床には本や物が散乱し、先ほどまで当麻達が座っていた椅子が倒されている。作業台の鍋や三脚はひっくり返り、ティーテーブルの食器も転がって、紅茶が床へと滴っていた。
立ち止まる当麻の後ろで、須藤と島崎もその異常な光景に立ち竦んだ。
「い、いったい何が……」
「どうしてこんな……ひぃっ!?」
そこで、島崎が息を呑んだ。
彼の視線の先、正面の窓の外に学生帽を被った青年がいる。
夕暮れの光を背後にした彼は、白い能面のような表情のない顔でじっとこちらを覗いていた。
その濡れたような黒い眼差しは、当麻が三日前に見たものと同じだ。
――支倉清一。
彼は三階の窓の外、何もない宙空に浮かんでいた。
誰も言葉を発せずにいる中、やがて支倉は夕陽の影に沈み込むように姿を消す。当麻が急いで窓に駆け寄って開くと、冷たい風がかすかな血生臭さと共に吹き込んだのだった。
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