(9)


 支倉清一が行方不明という情報に、当麻は眉根を寄せる。

 大学の講師陣には知らされていなかった話だ。講師の幾人かは、真面目な支倉が講義に出ていないことを不審に思い心配していた。当麻自身も少し気になってはいたが、病欠、あるいは家の事情だと考えていた。

それがまさか、行方不明だったとは。支倉家が大学側に事情を話していないか、あるいは大学の上層部の方で情報が止まっているかだろう。支倉商社の令息が行方不明だなんて公にできるはずもない。


「それは心配だね。何かしら事故か事件に遭ったのか、あるいは、本人の意思で出奔したか……」

「そんな、まさか! 支倉君は、何も言わずにこんな、急に居なくなることはしません。責任感が強くて、真面目で、優しくて――」


 大人しかった島崎が、前のめりになって否定する。


「それに、支倉君は将来、お父上の役に立つためにといつも勉学に励んでいました。僕たちから見ても、いつも、すごく頑張っていて……そんな努力を無駄にして、全てを放棄していなくなるなんて、そんなことはしないはずです。だから、もしかしたら支倉君に何かあったのではないかと、思って……っ」


 島崎の声は震え、眼鏡の奥の目が潤み始めていた。今度は須藤の方が、島崎を落ち着かせるように肩を軽く叩く。

 島崎は唇を引き結んで泣くのを堪え、その代わりに須藤が躊躇いがちに口を開いた。


「先生、支倉の幽霊……幽霊らしきものを見たというのは本当ですか? それは本当に、支倉だったんですか?」

「……ああ」


 当麻は頷いて、窓の側の書き物机を指差した。

 外は日が沈みかけているようで、日差しに橙色が滲んでいる。そういえば、このくらいの時間帯の出来事だった。


「あの辺りに、立っていたんだ」


 三日前の夕方、鍵のかかっていた部屋に突如現れた。

 残照を受けて佇む学生服姿の青年を、当麻は今でも鮮明に思い出せる。


 ――白い肌、赤い唇。ぞっとするほど美しい、人形のような顔。

 赤黒く染まったシャツに、生臭い血の臭いまでも――。


 まるで青年が今もそこにいるかのように、当麻は視線を離さない。笑みの消えた目に、黒い影が落ちる。


「服装で学生だと分かった。振り向いた顔は、支倉君にそっくりだった。彼は綺麗な顔をしていただろう? 薄暗かったが、たしかに彼の顔だったよ。外套の下の白いシャツが赤黒い血で染まって、生臭い血の臭いが部屋の中を満たしていた。彼は青白い顔で『僕を探してください』と、そう言って闇の中に消えていった」

「……」


 当麻の示す先を見ながら、須藤も島崎も固唾を呑む。抑揚のない当麻の語りは、机の横に立つ血塗れの学生の姿を二人の脳裏に思い起こさせた。

 部屋に緊張が漂う中、当麻はふっと息を零す。


「とはいえ、僕は幽霊、特にこの場合は『霊姿』……霊の姿という意味だけれど、霊姿を見たのは初めてでね。本物だと断言できない」


 当麻の言葉に、須藤は不思議そうに首を傾げる。


「え? 先生は、交霊会に何度も参加されているんですよね? 交霊会には、その、幽霊は出てこないのですか?」

「確かに、イギリスでも日本でも、数え切れないほど交霊会には参加したよ。霊らしきものが出ることもある。だけど、霊姿は一度も見たことが無い」

「どういうことですか?」

「交霊会はその名の通り、霊と交信する会のことだ。でも、たいていは音を立てたり、机を揺らしたり、楽器を鳴らしたり、紙に文字を書いたり……霊は姿を見せずに、不可思議な現象で存在を示すことが多い。幽霊を見たという事例もあるけれど、僕自身がこの目で見たことは一度も無いね。ぼんやりとした影ならともかく、顔を認識できるくらいはっきりした姿を見たのは、本当に初めてだよ」


 きっぱりと当麻が言うと、島崎がばっと顔を上げた。


「それなら、部屋にいたのは幽霊ではなくて、支倉君本人だったのでは……!」

「もしあれが支倉君本人だったら、どうやって三階の鍵のかかった部屋の中にいたのか。そもそもなぜ、血塗れの状態で僕の前に現れて『身体を探して下さい』と頼んだのか、説明に困るところだ。彼がそんな凝った悪ふざけをするようには思えないが、ひとまずは本人の可能性も考えて、僕は『幽霊らしきもの』と言ったんだ」

「そ……そう、ですね」


 支倉の性格をよく知る島崎と須藤が肩を落とした時だった。


 ――コツッ。


 小さな音がした。


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