(7)
***
大柄な短髪の学生は『須藤』、小柄なメガネの学生は『島崎』と名乗った。
「須藤君と島崎君。二人とも、さっきの講義にいたね」
戸惑いを見せる二人に椅子に座るよう勧めた後、当麻は作業台に向かう。
火にかけていた鍋の底から、小さな水蒸気の泡がぽつぽつと浮かんできている。鍋の湯を少しだけティーポットに移して中を温め、湯を捨てたところで茶葉をスプーンで四杯入れておいた。鍋の湯が完全に沸騰したところで火を消し、ポットに沸きたての湯を注ぐ。
この時、高い位置から湯を落とし、茶葉を躍らせるのがコツだ。そうしてポットに蓋をし、砂時計をひっくり返す。五分間しっかりと蒸らした後、カップへと紅茶を注いだ。
ソーサーに乗った三つの青いティーカップに、濃い赤色の透明の波が広がって満たされていく。ふわりと漂ってくる香りに目を細めつつ、当麻はカップを須藤と島崎の前に置いた。
「さあ、どうぞ。君達、紅茶は好きかい? 若い子は珈琲の方が好きなのかな。近頃は銀座で飲むのが流行っていると聞くけれど、僕はだんぜん紅茶の方が好きだね。繊細な味と香りは上品で奥深く、まさに紳士の飲み物だ。珈琲なんて、あんな墨色の焦げた味でただ苦いだけの液体を飲むなんてまったく気が知れないよ……ああ、失敬。口が過ぎたね」
唐突に紅茶愛を語る当麻を、二人はぽかんと見上げた。
もっとも、彼らは当麻の流れるような弁舌だけでなく、目の前で手際よく淹れられた紅茶や大皿に盛られた美味しそうな洋菓子、皺ひとつない白いクロスに映える美しい青の食器達……まるで高級なサロンのような当麻のおもてなしに驚いているのだが、当の本人は知る由もない。
さらに言えば、そんな華やかなティーテーブルとは対照的に、背後には怪しげな心霊関係の本や奇妙な器具が詰まった本棚がそびえ、壁には物騒な日本刀やサーベル、不気味なお面の一群が掛かっている。追い打ちをかけるように、長椅子に並べられた人形の存在感が、学生二人を落ち着かせなくしていた。
不安そうな面持ちで、島崎は長椅子の人形から目を逸らしながら問いかける。
「せ、先生、あの人形は……?」
「ああ、預かり物だよ。黒髪の子は生前の孫娘に似せて作らせた生き人形、金髪の子は持ち主が謎の死を遂げる呪いの人形と言われている。どちらも妙な現象を起こすそうで、持ち主から預かっているのだけれど、まだ実証できていないんだ。毎日髪や爪の長さを測っているけれど、変化無しで……自宅に持ち帰って夜に観察したいところだが、女中が怖がってしまってね。ああ、そうそう、その上にある壁の刀は、江戸の頃に介錯人……切腹する人に付き添って首を切り落とす人が愛用していたものらしい。古物商から貰ってね。一応壁に固定はしているけれど、時々勝手に刀が鞘から抜けることがあるそうだから気を付けて」
「そ、そうですか……」
青ざめた頬を引きつらせる島崎を横目に、当麻は自分の席に着くと、カップを持ち上げて顔に近づける。
紅茶の香りを嗅ぎ、一口飲んだ当麻は満足そうに頷いた。今日の出来は、まあまあというところだ。
本当なら、湯を沸かす際にもっと火力の強いガス焜炉が欲しい。カンカンに沸かした湯で、茶葉をしっかりと開かせて成分を抽出させるのがコツなのだと、留学先の友人から教わった。
だが、この建屋にはガスの配管が少ない。一階の給湯室でしか湯を沸かせず、三階端の部屋の当麻にとっては不便であった。誰か持ち運びできるガス焜炉を開発してくれないものかと頭の片隅で考えながら、当麻は長い足を組んだ。片手でソーサーを持ち紅茶を飲む当麻の姿は、優雅で様になっている。
「ほら、冷めてしまうよ」
当麻が再度促すと、ようやく二人はカップを手に取った。
一口飲んで、島崎は何とも言えない複雑な表情を浮かべ「おいしいです」とわかりやすい社交辞令を述べ、須藤は眉を顰めて口を引き結んだ。
……ああ、紅茶の良さを分かる若者は今日も来たらず――。
当麻は少し残念に思いつつも、菓子の乗った大皿をいそいそと二人の方に押す。自宅から持参した焼き菓子は、女中のイネの手製である。
「よかったらお菓子もどうだい? このショートブレッド、手作りなんだよ」
「しょうとぶれっど、ですか?」
聞き慣れない名前の洋菓子に、島崎も須藤も躊躇いがちに手を伸ばして恐る恐る口に入れる。途端、二人とも目を瞠り、ぱっと表情を明るくする。
紅茶と違い、これは分かりやすく美味しかったのだろう。成長期で食べ盛りの若者は、次々と珍しい西洋の甘い菓子に手を伸ばした。
当麻も自分の椅子に着いて、ショートブレッドをつまむ。イギリスの北にあるスコットランドの伝統的な菓子であり、バターと砂糖を贅沢に使ったイネ手製の焼き菓子は、店の味にも劣らぬ一品である。齧れば生地はほろりと崩れて、バターの香りが口いっぱいに広がった。
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