(5)
北棟の三階の廊下を進み、当麻は突き当りの右手にある自分の部屋に入った。
室内は広く奥行きがあり、正面と左手に上げ下げ式の大きな窓がある。部屋の左手側の奥に書き物机と椅子、手前には小さな食器棚と作業台があった。
窓のない右側の壁には大きな本棚が置かれ、本や書類がずらりと並んでいる。
その多くは心理学に関する書籍や学術雑誌だ。明治に発行された「六合雑誌」に「哲学会雑誌」、日本初の心理学専門雑誌である「心理研究」に「日本心理学雑誌」、それに「変態心理」もあった。アメリカから取り寄せている「Psychological Review」もある。
かと思えば、「西洋奇術狐狗狸怪談」や井上円了の「妖怪玄談」「妖怪学雑誌」。明治にこぞって出版された「心理応用 魔術と催眠術」「実用催眠学」「催眠心理学」といった催眠術研究の本や、「心霊の現象」「心霊万能論」「霊怪の研究」などの心霊学関連の書籍も揃っていた。
また、棚の空いた場所には幻灯機や置時計、西洋カルタや花札、電流計やベルの入った箱もあれば、アルファベットや数字が記されたボードや、小さな脚輪がついたハート型の板、紐で結んだ三本の竹と木桶……と、何に使うかわからないような物も置かれている。
本棚の横には来客用兼仮眠用の長椅子があり、その座面にはなぜか、赤い着物をまとった日本人形とレースたっぷりのドレスをまとった西洋人形が並べて置かれていた。どちらも人間の子供ほどの大きさがあり、生きているかのように精巧な造りをしていて、どことなく不気味だ。さらにその上の壁には、立派な鞘に納まった日本刀やサーベル、古びた能面やどこの国のものか分からない恐ろし気な面も飾られていた。
奇妙な雰囲気を漂わせる部屋の一角を意に介した様子もなく、当麻は講義で使った資料を机に置き、上着を椅子に掛けた。
食器棚から水差しを取り、階段近くの給湯室まで水を汲みに行く。そうして向かったのは作業台だ。
綺麗に片付いた作業台の隅には、アルコールランプと三脚、金網、それに持ち手の付いた小さな銅製の鍋、砂時計が置いてあった。文学部には縁遠い実験器具のようなそれらを、当麻は慣れた様子で配置していく。
鍋に水を入れて金網を敷いた三脚に載せると、アルコールランプに火を点け、鍋の下へと移動させた。橙色の炎がゆらりと揺れ、鍋の下で潰れて台形の形になる。
「さて……」
鍋の位置を少し調整した後、当麻は浅草オペラで昔聞いた『恋はやさし野辺の花よ』を小さく口ずさみながら、食器棚を覗き込んだ。
棚の中には、華やかな陶磁器の世界が広がっていた。
白地に紺色、豪華な金彩と繊細な花模様が美しくかつ上品なトリオ。白地に青色のオールドローズが描かれたイギリスらしさが溢れるティーセット。それから
イギリス留学時に現地で購入した思い出のものもあれば、日本に戻ってきて輸入品店や骨董市で一目惚れして買ったものもある。自宅にはこれの倍、いや、大きな食器棚が一つ埋まるくらいの量がしまわれており、気分や季節で中身を交換していた。収集品が増える度、家の女中のイネからは「榮介坊ちゃんはお茶器ばかり集めて」と呆れられている。
もっとも、この部屋で自慢のティーセットが使われたことは皆無に等しく、日に一度、テーブルに飾られては仕舞われて、時折埃を拭くばかりではあったが。
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