第29話 美しいひと
米や水、調味料を加えると一気に重量が増えたので、細腕のカルラに代わってマナカが炒め係を務めた。炊く前の米をフライパンで調理するのは初めてで、ついその変化をじっと観察してしまう。
「マナカは話しやすいね」
少し気の抜けたような笑いがカルラの口から漏れ出た。
「そう? 初めて言われたけど」
「余計なこと言わないじゃない」
「それはほめられてるの?」
あはは、と声を上げてカルラが破顔する。ここにカメラがあれば、と惜しい気持ちになるのは、マナカの生活にカメラが馴染んできている証だった。
「俺は正直、誇れるものがある二人が羨ましい。でもセブみたいに、それが苦しい過去と切り離せないものなのだとしたら、どれだけ辛いだろうと思うよ」
どうしようもなく自分の一部になってしまったかけがえのないものを、心から憎悪する羽目になってしまうというのは、正に生き地獄だろう。その苦悩すら羨ましいと思ってしまうのは持たざる者の身勝手だ。
マナカは感情的になってしまった自分を恥じると同時に、マナカの言葉でカルラとの対話を決意したセブを尊敬した。
「私、やっぱり捨てられない」
「うん」
例え隣にセブがいなくなっても、カルラは踊るのだろう。悲しい思い出は悲しいままに、それ以上の幸福や喜びを持ち続けることができるひとだ。だから彼女の踊りは美しいのだ。
「あ、もういいわよ」
フライパン内の米の様子を確認して、カルラが火を切るよう口を開いた。後は平らになるよう米をならし、具材を並べて加熱するだけだ。
「手伝ってくれてありがとう。いつも手が痛くなっちゃうから、助かった」
朗らかに言う彼女は、初めよりだいぶすっきりとした顔をしていた。「できたら声かけるね」と言われたので、マナカは大人しく二階の部屋に戻った。
三人で食べたチキンのパエリアはとてもおいしかった。結局その日はそれぞれが自由行動になり、ジュンは引き続きパソコン仕事を、マナカは昼寝や読書をして過ごした。
カルラはどこかへ出かけたようだが、地下ステージに行く時にいつも持っていく衣装や靴が入ったバッグが居間に置き去りになっていたので、練習には行っていないようだった。
次の日からは何事もなかったかのようにアブレゴ家での練習が再開した。マナカは相変わらずカメラを持って毎回練習に付き添い、ジュンもほしいカットがあるだとかで、引き続きふらっと地下ステージに顔を出した。カルラとセブは少しよそよそしい感じがしたが、ひとたびパフォーマンスが始まってしまえば、息ぴったりの舞台を演出してみせるのだった。
「二人ともプロですね」
隣に座るジュンにこっそり声をかける。ジュンはカメラを膝の上で抱えたまま、ステージの上で踊るカルラをじっと見つめていた。
「うん。でも、」
「でも?」
「いや」
長い指がカメラの横を小刻みに叩く。しばらく考え込むような表情をしていたジュンだった。しかし結局、その日の練習で彼がカメラを構えることはなかった。
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