第28話 断絶

「ああ………撮影、今日はごめんなさい」



 赤みは引いたもののやはり少し腫れぼったい瞼を伏せて、カルラは口早に言った。そそくさとキッチンへ向かう小さい背中に、マナカは慌てて声をかけた。



「セブとは話せた?」

「まあ、話はしたわ。分かり合えたとは思わないけれど」



 踏み込むに踏み込めず口をつぐむと、カルラは小さなため息をついた。



「頭を整理しないとやってらんない。マナカ、よかったら話を聞いてくれる?」

「うん」



 もちろん、とうなずき、マナカはカルラの後を追ってキッチンに立った。

 昼食にチキンのパエリアを作ると言って、カルラは冷蔵庫から鶏もも肉を取り出し、一口大に切り始めた。包丁は使えるかと尋ねられたので「なんとなく」と返すと、パプリカやインゲンといった野菜の下準備を頼まれた。



「日本人は料理をしないって聞いた」

「そうだね。一般家庭にも調理AIが普及していて、冷蔵庫から勝手に食材を取り出して料理してくれるよ」

「想像できない。どんな見た目なの?」

「キャスター付きワゴンに蜘蛛みたいなアームがいっぱいついてる」

「最悪ね」



 カルラの感想に完全同意のマナカである。マナカの家にはもちろん調理AIなど存在しないのだが、昔友人宅で見たそれはなんだかギスギス光っていて、お世辞にも可愛いとは思えなかった。ワゴンの一番上からは外界を認識するためのカメラがにょっきり伸びていて、昆虫とカタツムリのキメラを思わせる風貌である。



 一昔前の機械は人間や動物に近づけようとデザイン的に工夫されている物が多かったそうだが、AIが当たり前になった今、制作費の削減と作業効率を優先したモデルが主流になっている。



「セブのお父さんはフラメンコダンサーで、趣味で作曲もするような芸術分野に長けた人だったわ。セブのギターも私のフラメンコも、元を正せばセブのお父さんの影響ってことになるの」



 鶏肉の皮を包丁の刃先でまな板に押し付けながらカルラは言った。セブの父親の話を初めて聞いたマナカは、そういえばアブレゴ家では母親の姿しか見かけなかったな、とここ二週間弱の記憶をたどる。



 ふと浮かんだ疑問に答えるようにカルラが続きを口にした。



「セブのお父さんは私たちが七歳の時に逃げた。セビージャで出会った女の人と、駆け落ちだった」



 ぶち、と鶏皮の繊維が断絶される。カルラのぽっかりと空いた洞穴のような視線が、バラバラになった肉たちに注がれている。



「フラメンコに関わるような男なんて酷い奴ばかりだって、セブは言うの。お父さんのことがあったから仕方がないと思ってずっと聞き流してきた。でも今朝は、私の師匠のことまで悪く言うから……」



 カルラは流しで手を洗い、フライパンにオリーブオイルを垂らして電気コンロの火をつけた。マナカがみじん切りにした少し粒の大きい玉ねぎをニンニクと一緒にフライパンに放り込み、木べらでざくざく炒め始める。



 その機敏な動作とは裏腹に、カルラの喉元では様々な言葉が絡まり合って、なかなか吐き出せないでいるようだった。



「セブの言ってること、私わかるのよ。お客さんからの視線にねっとりした熱っぽさを感じることだってある。それが同僚の男の子とか、男性の先輩からってこともある。身体を使って仕事をするってそういうことから逃げられないんだって落ち込むことだってたくさんあるの。でも師匠は違う。私は彼の踊りが本当に好きだし、尊敬している」



 訥々と話し終えたカルラは、最後に悲しそうなため息をついた。



「それが、どうしても伝わらない」



 セブの過去を思えば、それは無理もないことだろう。結局彼がカルラに告白したかどうかはわからないが、セブは彼女に傷ついてほしくなくて必死なのだ。



「もどかしいね」



 マナカがぽつりとつぶやくと、カルラは「ええ」とだけ返して一心不乱に玉ねぎを炒め続けた。香ばしい匂いが辺りに立ち込め、自然とお腹が空いてくる。

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