第26話 動物性

「俺なんか、君より二つも上だけど、外国語なんか一つも話せない。誰かに認めてもらえるような特技もない。学校だってただ行ってただけで、なんとなく人に合わせて、自分のことすらよくわからなくて、」



 駄目だと思った時にはもう遅かった。目の縁に熱いものが溜まるのを感じながら、ただただ逃げることはしたくないという想いだけで言葉を続ける。



 ここ最近の目まぐるしい日々が脳裏をよぎった。卑屈になったって仕方がない。頭ではわかっていても、自分の不甲斐なさが、未熟さが、どうしてももどかしい。



「セブ、君はすごいよ。初対面の人に対する態度は最悪だけど……ちゃんと自分の言葉を持ってる」



 マナカの視界の先で、セブは大きくしなやかな指で傍らに置かれたギターのネックをなぞった。その指の腹は硬く分厚い皮膚に覆われているはずだ。



 しばらく沈黙していたセブは、やがてカルラを探すと言って地下ステージを出ていった。マナカとジュンもアブレゴ家を後にして、マルティン家の部屋に戻ることに決める。



「大丈夫?」



 ジュンは優しい声で尋ねた。その顔が正面を向いたままであることに、マナカは少し救われた。



「大丈夫です」



 熱の残る目元に穏やかな風が吹きつける。自分が涙を流したことにマナカはまだ驚いていた。泣くつもりなど全くなかった。恥ずかしさからうつむくマナカに、ジュンは「そう」とだけ相づちを打って、それ以降は何も話さなかった。



 長い長い上り坂をただ肩を並べて二人で歩いた。緑の扉までたどり着き、渡されていた合鍵を使ってマルティン家に入る。マリアもレオも仕事に出ているのか、室内には誰もいなかった。



 この村の人間はよく働くのだ。ジュンは二階の部屋で荷物を下ろすと、自分のパソコンを開いて電源を入れた。



「へえ」



 画像の編集をするというジュンは、作業を始める前にいつもチェックしているニュースサイトを見ながら興味深そうにつぶやいた。



「どうしたんですか」

「銃の違法所持だって」



 目の前に差し出されたパソコンの画面を、マナカはベッドに座ったまま目で追った。



 一般人の銃の携帯は二十二世紀半ば辺りから世界的に禁止されているはずだが、とある民家の地下室から大量の銃が発見されたらしい。



「あ」



 事件の起こった場所を見てマナカは思わず声を上げた。現場の写真に添えるようにして、『セビージャ』の文字があったのだ。



 上野で聞いた「世界中の犯罪率がこの十年で急激に増えてきている」というジュンの言葉は、日本にいる間は実感がなかったけれど、こうして物騒なニュースを見れば嘘ではないのだろうという気がした。



 世界宗教バベルによって築かれた平和なはずの社会で、実際には人を殺すための武器が大量に集められている。武器はなぜあるのか。それはもちろん、使うためだ。この報道が意味するところに次第に気づき、マナカは身震いをした。



「カルラは大丈夫ですか」

「わからない。でも今はもう、危ないことを全て避けては生きていけない時代なんだろうね」



 今回の事件は、水面下でうごめく犯罪予備軍のほんの上澄みに過ぎないのだろう。ウェイル・ボイスと共に訪れた人類の平穏は、少しずつ、確実に、崩壊し始めている。



「大丈夫だ。俺たちは強い」



 切れ長の瞳に強い光を宿して、ジュンが呟いた。



「自分で歩く足があるし、自分の行動を自分で決める頭がある。野生動物はどんな状況でも生きることを諦めないだろ? 人間だって動物なんだ」



 だからそんな顔するな、と微笑んで、ジュンはマナカの手からパソコンをさらっていった。壁際のデスクに置いてマウスをいじり、カメラと常に同期状態にあるフォルダーを開く。



 ジュンが一眼レフを使って撮った数々の写真が画面上にサムネイル表示されるのが、マナカの位置からも見えた。



 写っていたのはカルラだけではない。踊るカルラの横でギターを弾くセブや、自宅のキッチンで食事を作るマリア、タブレットをいじるレオ、村の美しい景色や人々が、いきいきとした表情で切り取られている。



 いつの間に撮っていたのか、無防備に笑うマナカの横顔まで撮られていた。



「俺の顔なんて撮ってどうするんですか」

「写真を撮るとね、輪郭がはっきりするから」



 画面に顔を向けたままジュンがぽつりと言った。マナカが意味を測りかねて黙ると、写真を選別する手はそのままに、ジュンは淡々と言葉を続けた。



「俺は元々浮き足立った人間なんだよ。頭の中ばっかり忙しくて目の前のことは二の次ってタイプ。でも写真を撮ったり、写真を撮るつもりで行動したりすると、世界の形がよく見えてくる。自分に合ったメガネをかけた時みたいに」

「ジュンさんって目悪いんですか?」

「いや? 両目で二・〇はあるかな」

「俺よりいいじゃないですか」



 なんなんだこの人は。



 マナカが苦笑すると、ジュンは「イタル先生の受け売りなんだ」と弁明した。その声色には、ほのかな懐かしさが滲んでいた。



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