第24話 豊かな世界で
次の日はジュンの仕事についてまわった。マリアの働く土産物屋の取材ということで、朝食から徒歩での出勤、品出し、接客、といった何気ない彼女の一日をカメラ片手に追いかけた。ジュンはマリアを撮影し、マリアを撮影するジュンを、マナカは自分のカメラに収めた。
ジュンは写真を撮るだけでなく、マリアと一緒に品物を並べたり、観光客と会話をしたりしていた。マリア本人や他のスタッフともよく話し、お昼前には皆にすっかり気に入られ、誰の家で昼食を食べるかでちょっとした争いが起こった。中年女性による自分を巡る争いにしばらく苦笑いを浮かべていたジュンだったが、結局マナカの存在をダシにして全ての誘いを断り、自由に昼休憩を過ごす権利を得た。
「どこの国でもおばちゃんは元気だなあ」
大きく伸びをしながらジュンが言う。その顔には店長のダニエラからもらったサングラスが乗っていた。
「昼食どこで食べますか?」
「うーん、あんまり空いてないんだけどね」
マナカは? と尋ねられたのでうなずいて同意を示す。今日は屋内での活動がほとんどだったためか、午前十時のおやつの時間に店で分けてもらったサンドイッチが、まだ胃に残っていた。
「市場で買いませんか?」
徒歩圏内に昨日セブと遭遇した市場がある。マナカは密かに、おいしそうなトルティージャが売られているのを記憶していた。ジュンはマナカの提案をあっさり受け入れると、さっそく市場の方角に歩き始めた。
「カルラとは仲良くなれた?」
「まあぼちぼちです」
「セブとは?」
「ちょうど昨日、初めて話せました」
「よかった。日本語が上手なんだってね」
セブが日本語を話せることを、ジュンはマルティン夫妻から聞いていたらしい。彼は耳がとてもよく音に対する記憶力も抜群で、大抵の言語は一ヶ月も勉強すれば話せるようになるそうだ。いわゆる『天才』と呼ばれるレベルの耳のよさだが、それゆえに集団生活の音が苦手で、学校にはあまり通っていないらしい。特出した能力を持つ子どもには珍しくない話だ。
「セブのギターは胸に訴えてくるものがあるよね。まあ俺としては、彼の恋模様の方が気になるけど」
薄い唇を緩めてジュンが言う。マナカが目を丸くして見上げると、「あれ、わからなかった?」といたずらっぽく首を傾げた。
「セブはカルラのことが好きだよ」
「そうなんですか?」
「まあ、断定はできないけど。でもどう見てもそうじゃない」
確かになんだかんだ仲良さそうな二人だが、それは幼馴染同士だからだと思っていたマナカである。色恋沙汰とは無縁の学生生活を送ってきたマナカにとって、他人の恋愛感情を推測することほど難しいものはない。
「マナカはそういうの興味なさそうだなあ」
のんきに笑うジュンに対して一ミリも反論できず、マナカは黙り込んでひたすら歩みを進めた。途中、「ジュンさんこそ他人のこと言うほど経験あるんですか」という当てつけのようなセリフが喉まで迫り上がったが、口には出さないでおく。
市場までは更に十分ほど歩いた。目星をつけていた店でトルティージャを買い、ジュンと並んで街を歩きながらふわふわの生地にかぶりつく。スペイン風オムレツとも呼ばれるトルティージャは、ケーキのような分厚い卵生地にジャガイモや玉ねぎが入っていて、食べ応え抜群だ。
「写真もスペイン語も慣れてきたんじゃない?」
広い空を見上げながらジュンが言った。その視線の先には、心地良さそうに翼を広げる鳥がいた。
「まだまだです」
つられるようにして鳥の挙動を追いながらマナカは答えた。頭の中をよぎるのは、店の人と雑談をするジュンの流れるようなスペイン語や、先日彼が肩から下げていたレンズ入りの鞄だ。
「俺もいつかジュンさんみたいになれますかね」
無意識のうちに呟いていた。あ、と思って隣を見ると、ジュンは満更でもなさそうに口元を緩ませて、でもどこか困ったような表情で、サングラス越しの視線をマナカに注いでいた。
「嬉しいけど、マナカはマナカの夢を追えばいい。カメラは手伝ってほしくて頼んだだけだし、サーベントの翻訳機能があれば、旅行くらいなら世界中どこへでも行ける」
「……知ってますよ」
写真の技術も語学力も、一般の人間が磨かなければならない時代はとうの昔に過ぎ去った。『いい感じ』の写真も異国の人とのコミュニケーションも、世界中の人々が身につけているサーベントによってそのほとんどが事足りる。
それでも、ジュンの写真に、ジュンの言葉に、マナカは心惹かれたのだ。どれだけ拙くとも彼の真似をしてみたいと思うくらいには。
「俺は自分の過去をはっきりさせたい。でもそれが済んだら、今度はジュンさんみたいになりたいと思ったんです」
マナカの言葉にジュンは唇を開きかけ――結局何も言わずに、閉じた。
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