第22話 追慕
今日は昼食を軽く済ませていたので、何か食べたい気分だった。夕食には早いこの時間でも村の入り口まで行けば観光客向けの店が開いているので、そこを目指す。それなりに食べないと、夕食までに胃袋がぺしゃんこになりそうだった。
来た道を戻って比較的大きな通りに合流し、そこから少し下ると、円形の広場に出た。山肌沿いに広がるソルブランコの、ちょうど中腹に位置する広場だ。中央には十字架を携えた初代村長のブロンズ像があり、その足元は鯨のレリーフによって囲まれている。
三メートル近くあるその像を見上げていると、背後で聞き慣れたシャッター音が鳴った。驚いて振り返ると、ジーンズにカーキ色のシャツを羽織ったジュンがしたり顔でマナカを見つめていた。
「無防備だね、君は」
「……盗撮ですよ」
非難の視線をものともせず、ジュンはさっさと近づいてきて、指に引っ掛けていたサングラスをマナカの顔に乗せた。暗くなった視界の奥で、薄い唇が三日月のような弧を描く。
「忘れるなって言ったのに」
その言葉に幼子を優しく叱るような甘さを感じ取り、マナカは自分の足元に視線を落とした。そのまま「ジュンさんの分は?」と問いかけると、「俺はファインダーを覗かなきゃいけないからなあ」という呑気な答えが返ってくる。
「どこに行くつもりだったの?」
「村のエントランス方面のカフェです」
「一緒に行こうか」
「いいです。ジュンさん仕事中でしょ」
「まあね」
肩から斜めにかけた少し大きめのバッグの紐をなぞりながら、ジュンは楽しそうに言った。あそこには、ジュンが本格的に仕事をする時に使っている一眼レフカメラの本体と、様々な種類のレンズが入っている。ジュンは無数の選択肢から被写体や状況に合わせて最もベストなものを選び、人の心を動かす一枚を撮っているのだ。
マナカはジュンと別れて村の入り口に向かい、観光客も多く利用するカフェに入った。自動案内に従って通されたのは窓際の一人席で、強すぎる日差しを遮るようにコーラルカラーのブラインドが下ろされていた。
タッチパネルでベーコンと卵のサンドイッチを選択し、少し悩んでチュロスを追加する。ホットチョコレートにフォンデュして食べるスペイン式のチュロスは、最近のマナカのお気に入りだ。
食事を待つ間、マナカはサングラスをかけてくれたジュンの瞳を思い出していた――マナカの不出来をたしなめた時の柔らかい声と、それを聞いた時の、胸の奥が一瞬締めつけられたようなあの感覚について。
初めてだらけのこの地で自分を守り導いてくれるジュンを、マナカはいつからか父に重ねていた。
ジュンが笑っているのを見るたびに温かい気持ちになるのは、失われた記憶の中で父と幸せに笑い合ったことがあるからだろう。怒られても悪い気がしないのは、幼いマナカを心配した父が、優しく叱ってくれたからかもしれない。
和らいだ日差しの中でこうしてぼんやり佇んでいると、日本に戻ってきたような心地になる。スペインの強い日差しで白飛びしていた小さな不安が、ゆっくりと鎌首をもたげた。もしジュンがいなくなってしまったら。父のように、ある日突然死んだと聞かされるようなことがあったら。
耐えられないと思った。孤独には慣れていたはずの心が、小さくて鋭いうめきを漏らす。Tシャツと短パンに身を包んだ六歳の自分が大きな瞳に涙を溜めて、今にも叫び出しそうな顔で歯を食いしばっている。
出会って一ヶ月も経たない男をここまで慕ってしまったのは、ジュンの人柄によるものか、はたまた自分の精神的な未熟さゆえなのか、マナカにはわからなかった。ジュンのことを思うと、他者に情を移した時の穏やかな温もりと喪失の恐怖が、ただただ胸の内で膨らんだ。
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