第20話 セブ・アブレゴ

「Seb!(セブ)」



 カルラが呼びかけると、一番前の椅子でギターをいじっていた少年がこちらを振り返った。ぱっちりとした二重に癖っぽい黒髪の彼は、カルラを視界にとらえた後、マナカにも視線をやって不機嫌そうに顔をしかめた。日本ではなかなか浴びることのない明確な拒絶の意思にまごつきながら、マナカは「Hola!」と言って軽く手を上げる。案の定、少年はそれには応えず、カルラに向かってスペイン語で何やら話しかけた。



 マナカは目の前にあった椅子に腰掛けて、二人が言葉を交わすのをぼんやりと眺めていた。少年は終始淡々とした表情で話していたが、カルラは全くそれを気にする様子もなくぐいぐい話しかけ、少年の方もどうやらそれが満更でもないようだった。



 少年――セブ・アブレゴとカルラは同じ十四歳で、幼馴染である。この小さなソルブランコ村で二人は家族のように幼少期を過ごし、時を重ねてきた。カルラが昔からフラメンコの練習に使っているこの空間はアブレゴ家の物であり、カルラの踊りにギターと歌をつけてきたのは、いつだってセブだった。



 たたたん、たたん、と乾いた靴音が聞こえて、マナカは顔を上げた。いつの間にかドレスに着替えたカルラが、そっけないステージの上でステップを踏んでいた。



 その表情にあどけない少女の面影は微塵も感じられない。まっすぐにこちらを射抜く視線は見る者をはっと惹きつける引力を秘めていて、化粧っ気のない唇が妖艶に歪む。いつもの素朴な可愛らしさはなりをひそめ、今のカルラは普段とはどこまでも別人だ。成熟した色香を振り撒く姿は、鮮やかなアゲハ蝶のように蠱惑的だった。



 カメラを構えることすら忘れて見入っているうちに、ギターの音色が切り込んでくる。緊張と高揚をはらんだメロディーラインがステップと絡み合い、マナカの心に確かな感情のうねりを生み出した。徐々に速く、激しく、陽気になっていく音の振動がそのまま心臓を打ち鳴らし、活気に満ちた祭りの風景が脳裏に浮かぶ――非日常の興奮と、少しの寂寥。



 今カルラが踊っているフラメンコは『タンギージョ』というスタイルで、カディスという港町の春の訪れを告げるカーニバルで生まれたらしい。本来はコルドベスと呼ばれる帽子を使って踊るそうだ。「村での祭りに向けてセブのママが見繕ってくれてるの」と、カルラが嬉しそうに話していた。


 

 que lo encontraba la gente

 a la orillita del mar

 fue la cosa más graciosa

 que en mi vida he visto yo.


 

 張りのある少年の声が石壁で反響する。カルラの横でギターをかき鳴らすセブは、瞼を半分閉じてギターを覗き込むようにしつつ、時折カルラに視線をやって呼吸を合わせている。その口元は満足げに緩み、楽しくてたまらない、という様子だ。



 しばらくパフォーマンスの熱気に身を預けてから、マナカは思い出したようにカメラを構えて写真を撮り始めた。カルラとセブを同じ画面に写したり、覚えたてのズーム機能で一人ずつ撮ってみたりと、素人なりに構図が被らないよう工夫を凝らす。激しい動きを捉えようと一つの構図で何枚もシャッターを切るので、辺りにはフラメンコの律動に混ざってパシャパシャと乾いたシャッター音がいくつも響いた。二人の芸術に異質な音が混ざることをマナカは心苦しく思ったが、当の本人たちは各々の表現に熱中しているようで、いくらシャッター音が響こうがカメラが近づこうが関係ないといった様子だった。



 激しく床を打ち鳴らしていたステップが、曲の終わりを告げるギターと共に鳴り止む。ポーズを決めた瞬間を正面から写真に収め、マナカが拍手をすると、カルラは額に浮かんだ汗をぬぐって清々しく微笑んだ。



「ありがとう。どうだった?」

「すごかった。本当に。もちろんセブも」



 マナカはギターを持って座ったままのセブにも賞賛の言葉を贈る。しかしセブはマナカの方を見向きもせず、ただぽろぽろとギターを鳴らして聞こえないフリを貫くのだった。



「Seb, eres grosero.」



 頬を膨らませたカルラが詰め寄っても、セブは全く動じずにギターを弾き続けた。しばらくスペイン語で何やら捲し立てるカルラだったが、脱いだ服と一緒に置いていたサーベントから祈りの時間を告げる電子音が発せられると、ため息をついて首を左右に振った。



「マナカ、ごめんなさい」

「大丈夫だよ」



 マナカのサーベントからもセブのサーベントからも、電子音に続いてAIによるアナウンスが流れる。サーベントは現在地を自動で検知するので、マナカのサーベントからも格式ばったスペイン語が聞こえてきた。

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