第18話 カルラ・マルティン

 マリアとレオに朝の挨拶をし、朝食のチュロスを食べた後は、駅から車をチャーターしてセビージャへ向かった。夫妻の一人娘であるカルラ・マルティンを迎えに行くためだ。カルラはセビージャでフラメンコの修行をしていて、普段はかなり忙しくしているのだが、今回は珍しくまとまって休みをもらえたためマルティン家に帰ってくることにしたらしい。



 待ち合わせ場所になっているスペイン広場は多くの観光客で賑わっていた。相変わらずの強い日差しを反射して、太い川面とそこにかけられた二本の橋がきらきらと輝いている。広場を囲む半円形の建物はイスラム建築とキリスト教建築が融合した造りになっていて、随所に散りばめられた色鮮やかなタイルが不思議な陽気さで人々の目を惹いていた。



「Gracias!(ありがとう)」



 スペイン広場で待ち合わせをしたカルラは、肩からかけたボストンバッグを揺らしながら駆け寄ってきた。高い位置で一つに結った黒髪を左右に揺らしながら、満面の笑みを浮かべている。マリアとレオは久しぶりに再開した娘と熱い抱擁を交わすと、連れ立っている二人の日本人について説明をしているようだった。



「こんにちは」



 カルラは日本語で挨拶をして、白くて長い腕を差し出した。マナカはその発音の自然さに驚きつつ、あどけなさが残る細い腕を握り返す。澄んだ緑色の瞳と目が合うと、カルラはそばかすが目立つ頬で微笑んだ。



 昼食は広場近くのレストランで食べた。スペインでは、一日の中でのメインは昼食になる。五人で前菜からデザートまでのコースを平らげ、血糖値の上昇によってマナカはまたもや睡魔に悩まされる羽目になった。



「ねえ、マナカはいくつなの?」



 午後の日差しがふんだんに差し込むテラス席で意識を失いかけているマナカに、カルラは親しげに話しかけてきた。自分のガーデンチェアーを引っ張ってきて、指にはティーカップを引っ掛けている。ふと気がつけば、ジュンとマルティン夫妻は何やら別の話題で盛り上がっているようだった。



「今年で十七。君は?」

「今年で十五歳。二つ違いね」



 そう言ってカップの縁に口をつける横顔は、すっきりと聡明で美しかった。「日本語が話せるんだね」と声をかけると、カルラは「日本の映画が好きなの」と破顔した。



「お店にもたまに日本人のお客さんがくるわ。日本語でお喋りできると、チップをはずんでくれる」

「フラメンコを踊るだけなんじゃないの?」

「踊る時もある。でも普段はテーブルを片付けたり料理を運んだり……まあ、雑用係ってところね」

「そんなのAIに任せればいいのに」

「それも勉強なの」



 マナカはふと、シノのことを思い出した。彼女も自分の仕事のことを『勉強』だと言った。マナカは自分が中学生の頃を思い出してみる。マナカもまた、学校に行って『勉強』をしていた。果たしてそれは、カルラやシノの言う『勉強』と同じ意味を持つだろうか。



「踊るところ、見てみたいな」



 マナカがつぶやくと、カルラはぐいっと身を乗り出してきらきらとした瞳でマナカを見つめた。



「フラメンコが好きなの?」

「好きっていうか、動画でしか観たことないんだけどね。実際に見たらきっともっとすごいんだろうなって思って」

「Déjame a mí. だったら私に任せて! 私、実は村のお祭りでも踊るのよ。練習のお客さんになってくれる?」



 カルラに愛嬌たっぷりに微笑まれて、マナカは自分の顔がぱっと熱くなるのを感じた。彼女の人懐っこい性格に少し芝居がかった話し方がよく似合っている。旅先にふと入ったお店で、こんな風に母国語で話されたら、確かにチップをはずんでしまうかもしれない。



「Carla,ven aquí.」

「¿qué?」



 マリアに呼ばれたカルラは、自分の椅子をひょいと持ち上げて元の席へ戻っていった。静かになったかと思えば、入れ替わるようにしてジュンが隣にやってくる。カルラの方に視線をやりながら「話せた?」と尋ねられた。うなずくと、ジュンは安心したように口元を緩めた。



「日本語が話せるらしいな。歳も近いんだし、色々教えてもらうといい」

「はい」



 年齢的にはマナカの方が二つ上だが、社会経験の豊富さからか、精神的にはカルラの方が何倍も大人に見えた。シノと言いカルラと言い、外国で過ごす女子中学生は強いんだなと感心したマナカは、彼女たちから学べるものがあるなら素直に学ぼうと決心する。



「二週間後の十字架祭りでカルラが踊るって話は聞いた?」

「はい。少し」

「俺の今回の仕事は、本番とそれまでの彼女の生活や練習の様子を撮ることなんだ。ソルブランコで思い思いに過ごす十四歳の彼女を、夫妻は記録として残しておきたいらしい」


 

 祭りが終わったらカルラは正式に村を出ていくんだって、と。


 

 何気ない調子で言って、ジュンは自分のティーカップを傾けた。

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