第12話 人間

「ではまた」



 店の前でそう言って、シノはマナカに背を向けて歩きだした。その小さな体をしばらく見送ってからサーベントを確認すると、まだ十一時前である。早めのお昼という手もあったが、ジュンがどういうつもりなのかわからないので一度ホテルに戻ることに決める。



 マナカは歩きながら、シノの幼い顔を思い出していた。附属孤児院の出身だと言っていたから、どんな事情にせよ身寄りがないことは確かだろう。マナカも両親がいないので、祖母がいなければ孤児院に入れられていたかもしれない。そう思うとシノに対して親近感がわく一方で、「あなたみたいな人には縁遠い話」という彼女の言葉が胸に引っかかっていた。



「戻りました」



 ホテルの部屋に戻ると、ジュンは自分のベッドで穏やかに眠っていた。起こさないように注意しながら荷物を置き、マナカも自分のベッドに寝転がる。ジュンを真似て仰向けになってみるが、落ち着かなくてすぐに体を横向きにした。



 すぐ隣で眠るジュンの横顔を、マナカは不思議に思いながら見つめた。つい一週間前までは顔も名前も知らなかった男が、同じ部屋で無防備に寝ている。ついこの間まで日本しか知らなかった自分が、空を渡り、異国の地を踏んで、中学生の女の子に嫌味を言われている。明日にはまた飛行機に乗って、今度はスペインに行くのだ。そこではまた、新しい出会いがあるのだろう。



 自分に起こった、そしてこれから起こるであろう様々な変化に対して、マナカはあまり実感を持てずにいた。新しい環境の刺激に頬を紅潮させながら、頭の奥の方には自分を観察する冷静な自分がいるのだ。果たしてこれが自分の性格なのか、それとも案外皆こういうものなのかは、マナカにはわからなかった。ただ、海外に対して自分が夢を見過ぎていたかもしれない、という点については、潔く認めざるを得なかった。



 思い返せば、ここ一週間で一番興奮したのは、意外にも上野公園でジュンが撮った写真を見た時だったかもしれない。あれは間違いなく、静謐で美しい『芸術』だった。意図も容易くあれほどの作品を生み出してしまうなんて、ジュンは化け物か何かだろうか。それとも、『プロ』ならそれが当たり前なのだろうか。



「マナカ」



 不意に名前を呼ばれて、いつの間にか沈んでいた意識が現実に引き戻される。目を開けると、ジュンの切れ長の一重がマナカの顔を覗き込んでいた。



「昼、食べに行くけどどうする?」

「あ……行きたいです」

「すぐ近くのチェーン店とちょっと歩くけど人間が料理を作ってる店だったらどっちがいい?」

「人間の方で」

「よしきた」



 ジュンが満足げに微笑んだ。軽やかに外出の準備をするジュンをぼんやりと見つめながら、マナカは思わず口を開いた。



「ジュンさんはAIが嫌いなんですか?」

「んー?」



 外出用のショルダーバッグをごそごそやりながら、ジュンはちらりと視線をよこした。目線による問いかけに答えるために、マナカは言葉を続けた。



「人間が料理を振る舞ってくれるお店をよく知っているので。探そうと思わないとあんまり見つからないですよね」

「まあそうだね。全くないわけではないんだけどね」

「わざわざ探して足を運ぶくらいだから、よほどAIの料理が嫌いなのかなあって思ったんです」



 ジュンは小首を傾げながら天井を見つめると、しばらく考えてからきゅっと目を細めた。



「俺はAIが嫌いなんじゃない。人間が好きなだけって感じかな。そうじゃなきゃ、この仕事はできないよ」



 両手でカメラのポーズを作り、そこからマナカの方を覗いて、得意そうな表情で笑う。その瞳は優しく温かく輝いていて、マナカは奇妙に切ない気持ちになった。


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