第7話 野木カナエ

「お、来たね。変わり者くん」

「マナカです」



 こんにちは、と頭を下げると、野木カナエは十年前と変わらない飄々とした笑顔で手を上げた。『ロホ』を一人で管理・運営するカナエは、今日は白い長袖シャツにジーンズ、長靴という出立ちで、入り口付近のコニファーを剪定しているところだった。



「また横着して。危ないですよ」

「大丈夫、大丈夫」



 カナエは脚立から身を乗り出すように腕を伸ばし、右斜め上に飛び出していた枝先を切り落とすと、ぴょんと身軽に地上に降り立って木全体を見渡した。そしてうんうんとうなずいてから、ようやくマナカの方に歩いてくる。



「学校はどう?」

「いつも通り」

「あ、そ」



 カナエがポケットから取り出した端末にサーベントをかざす。いつも通り、三百円がマナカの『財布』から引かれていく。



「俺、いつまで三百円なんですか?」

「一生よ、一生。君は私にとって、いつまでもお子ちゃま」



 これ見よがしに煙草に火をつけながら、カナエは笑った。白い煙の奥で、腰まで伸びたウェーブがかった黒髪が艶やかに光る。西洋人のような高い鼻と白い肌は、おとぎ話に出てくる魔女のようだ。



 通いなれた庭園内をいつも通りにじっくりと歩く。桜の樹こそないものの、ハナミズキやライラック、ハナズオウが白やピンクの花を咲かせ、目を楽しませてくれた。マナカの好きなナツツバキはまだ枯れ木のままで、今年の夏はあの白くて可憐な花を見れるだろうか、とふと考えた。



 マナカが戻ってくると、入り口のガーデンテーブルに湯気を立てたティーカップが二つ、向かい合うようにして置いてあった。その片方に腰掛けて少し待つと、『営業中』の札をひっくり返したカナエが、表から帰ってきた。



「風が出てきた。雨にならなきゃいいけど」



 自分を抱きしめるような格好でカナエは細い両腕をさすった。春の風は、強く吹くと急に冷たい。



「俺、明日からスペインに行くんだ」



 マナカは呟いて、目の前で紅茶をすする赤い唇を見つめた。カナエは少し驚いたように目を見開いて、「勉強熱心ね」と言った。



「いつまで?」

「わからない。ジュンさんの仕事の様子で変わるから」

「一緒に行く人?」

「そう」



 マナカは『紺野純』を検索しようとサーベントに指を伸ばしかけたが、ふと思い直して、尻ポケットからもらったばかりの写真を取り出した。



「これを撮ってくれた人」



 カナエは長い指で写真を受け取り、じっくりと眺めた。



「いい写真ね」

「うん」

「気をつけて行きなさい。シャラの花が咲く頃には、一度くらい帰ってくるのよ」



 マナカはが「わかった」と返事をして、それ以降は何を話すでもなく時が流れた。いつも通りのこの空気が、マナカには嬉しいようにも、もどかしいようにも感じられた。

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