第26話 王都にて07
宿に着くと、辺りはすっかり暗くなっている。
少し鬱々としてしまった気分を変えようと私はとっとと聖女服を脱ぎ捨て、いつもの冒険者姿になってとりあえず銭湯に向かった。
いつものように、
「ふいー…」
と息を吐きながらお湯につかる。
そして、
(一応私も医者の端くれなんだよねぇ…)
と思った。
私は薬学の方は真剣にやったけど、医学の方はほんの少しかじった程度だ。
私がリリエラ様に対してできることなど何もない。
(内科を本気でやってたエリオット殿下と違って私はちょっとかじった程度だからなぁ…)
と改めて自分の限界を悟る。
そして、私のため息が湯気に溶けていった。
(はぁ…。私が落ち込んでたって仕方ないじゃない。一番辛いのはリリエラ様なんだから)
と思うが、またため息が出てくる。
出来ないことは出来ない。
わかっているはずなのに、そのことが妙に歯がゆく、腹立たしく思えた。
「パシャンッ」
と自分の顔にお湯を掛ける。
少し気持ちを切り替えるつもりで私はしばらく銭湯の天井を見上げてぼーっと心を整えた。
やがて、
(できることを一生懸命やろう。今の私にできるのはそれだけだ)
ということに思い至る。
私はまた、
「パシャンッ」
と自分の顔にお湯を掛けると、
「よし」
と短くつぶやいて、風呂から上がった。
一杯ひっかけることも考えたが、こんな気分の日はいいお酒にならないだろうと思って適当な定食屋で軽めの食事を済ませて宿に戻る。
宿に戻って寝る支度を整え、ベッドの上に身を投げ出すと、また妙な無力感に襲われた。
(もう…。切り替えたはずじゃない)
そう思うが、人間の心というのはそう簡単に操作できるものではないようだ。
私は少し気分を変えようと思って、ここ数日で起きたことを思い起こす。
(思えば怒涛の日々だったわね)
と盗賊のことや教会のこと、侯爵家のことを思い出し、苦笑いを浮かべた。
そんな中、私はチト村のことを思い、
「ユリカちゃん喜んでくれるかな?」
とリリトワの続編が手に入ったことを思い出してそうつぶやく。
そして、
「明日はクッキー型を買うから、道具屋街ね」
と独り言を言って目を閉じた。
相変わらず気持ちはどことなく重たい。
それでも、明日は来るし、楽しみも待っている。
そう思うと私の心はほんの少しだけ軽くなった。
またチト村のことを思い出す。
(早く帰りたいな…)
そう心の中でつぶやくと、私はいつの間にか眠りに落ちていた。
翌朝。
ややすっきりした気持ちで目覚める。
荷物を持って宿を出ると、まずは馬房に向かった。
甘えてくるエリーに市場で買ってきたニンジンをあげて、
「もうちょっと待っててね。お土産買ってくるから」
と撫でながら声を掛ける。
そして、少しご機嫌斜めな顔をするエリーに軽く謝ると、私はまず下町の道具屋街へと向かった。
朝食に適当なハムとチーズが入ったホットサンドを買ってパクつきながら道具屋が立ち並ぶ区画を目指す。
道具屋街の店先には鍋なんかの台所用品から一見何に使うのかわからないものまで種々雑多な道具類が所狭しと並べられ、ご家庭の主婦と思しき人から料理人のような人まで様々な人達で意外と賑わっていた。
私も目的の物を探しつつ、冒険に使えそうなものはないかと思ってぼちぼち見て歩く。
(あ。これとかちょうどいいかも)
と小さなスキレットを手に取ったり、携帯に便利そうな折り畳み式のナイフを見たりしながら何軒かの店を覗いていると、やがて調理器具の専門店らしき店を発見した。
こちらも、どこに何があるのやらという感じで様々な道具が雑多に置いてある。
私は店内をうろうろと見ながら、クッキー型を探すが、なかなか見つからない。
そこで、なにやら商品の陳列をしている店員に、
「あのー。クッキーの型っておいてありますか?」
と訊ねてみた。
「ああ。それでしたら、店先にはおいてないんでちょっと取ってきますね」
とにこやかに答えてくれるお姉さんを見送りつつ、その辺の商品を何となく眺める。
(これ、何に使うのかしら?)
と万力のようなものにハンドルと針のついた機械をしげしげと見つめていると、先ほどの店員さんが、なにやら箱を抱えて戻って来た。
「あら。そちらもお求めですか?」
と聞く店員さんに、
「い、いえ。あのー。これってなんですか?」
と興味本位で聞いてみる。
「ああ。それはリンゴの皮むきですね。お菓子屋さんなんかで大量にリンゴを扱う所の人が使うんですよ」
と丁寧に教えてくれる店員さんの言葉に、
「ほう…」
と納得しつつも、さっそく店員さんが持ってきてくれたクッキー型に目を向けた。
見ると、猫、犬、星、お人形のような人型からなにやら紋章のようなものまでたくさんの型が箱いっぱいに詰め込まれている。
私はいっそのこと箱ごと買ってしまおうかとも思ったが、いくらなんでもそれは無いだろうと思いなおし、どれにしようかと悩みながら、結局、定番っぽいものを10個ほど選んで購入した。
クッキー型は意外と高く、10個で大銀貨2枚。
リリトワの本が4冊買える値段だったが、ユリカちゃんの笑顔を思えば安いものだ。
そう思ってさっそく会計に向かうと、その途中、いくつかのエプロンが吊るされているのが目に入ってきた。
「あ、すみません。あっちのエプロンも見ていいですか?」
「ええ。どうぞ」
という店員さんに向かって、私は、
「あのー。ちなみに子供用のものなんて置いてませんよね?」
と聞いてみる。
すると店員さんは、ちょっと考えたあと、
「ああ、たしか昔仕入れたのがあったような気がするんで、ちょっと見てきますね」
と言ってすぐに奥に引っ込んでいった。
(あー…。なんか面倒なこと頼んじゃったかな?)
と思いつつ、私は目の前に吊るされているエプロンに目を向ける。
(あ。そうか。一緒に作るなら私の分も必要よね)
と思いながら灰色の一番地味な物を手に取り、
(アンナさんはこのくらい自分で作っちゃうからなぁ…)
と思いつつも、やっぱりお土産は必要だろうと思って、前掛けというよりも腕まで包み込む服のようなタイプのものを選んだ。
やがて店員さんが戻って来る。
「一応、2着あったんですけど、どちらの色がいいですか?」
と私に差し出してきたのは、黄色と桃色。
私は迷わずユリカちゃんが好きそうな桃色の物を選び、結局クッキー型10個とエプロン3着、しめて大銀貨3枚を支払うと、
「ありがとうございました」
と店の前まで出てきてくれた店員さんにお辞儀を返しながら、ほくほく顔で再び馬房へと戻って行った。
「お待たせ」
と言って、また甘えてくるエリーをたっぷりと撫でてあげる。
いつものように荷物を積み込み、たくさんのお土産が買えたことを思って微笑みながらエリーに跨った。
本に、クッキー型。
エプロンに聖女服。
来る時より荷物は増えてしまったが、心は軽い。
(やっと帰れる。やっとあの日常に戻れるのね)
そんなことを思いながら王都の門をくぐる。
王都にいたのはほんの数日。
しかし、その間に起きたことが、ずいぶんと濃い内容だったからだろう。
私はずいぶんと長く滞在していたように感じていた。
麗らかな春の空気。
暖かな日差しが、私たちを照らしている。
そんな長閑の空気の中、忙しなく行きかう行商人を避けて、小さな花がそよ風に揺れる街道の端をのんびりと進んで行った。
エリーが、
「ぶるる」
と楽しそうに鳴く。
その声に私もなんだか楽しい気持ちになって、
「やっといつも通りだね」
と声を掛けてあげた。
また、エリーが、
「ぶるる」
と楽しそうに鳴く。
思えば今回の旅は家族というものについて考えさせられる旅だった。
結局、侯爵家でもただの居酒屋でしかないうちの実家でも、家族というものの根本は変わらない。
信頼という絆で結ばれ、笑いも涙も分かち合える存在。
それが家族というものの基本だ。
私の将来がどうなるかなんてまだわからない。
だけどそこに不安はない。
あるのは、希望だけ。
そう思わせてくれるのはきっと、チト村で私のことを待ってくれているユリカちゃんとアンナさんがいるからに違いない。
あの2人はいつも暖かく私を迎え入れてくれる。
そのことがどんなに心強いことだろうか。
私はそう思って、心の中でチト村との出会いにそっと感謝した。
「ふふっ。ユリカちゃん喜んでくれるかな?」
と、ふと思い出し笑いしながらつぶやく。
そのつぶやきにエリーが、
「ぶるる」
と楽しそうに鳴いて答えてくれた。
晴れやかな気持ちで街道を行く。
私たちの進む先にはのんびりとした春の空だけが広がっていた。
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