第25話 王都にて06
翌朝。
昨日晩餐の後で、そのまま着替えて帰ろうとした私を侯爵が引き留め、結局1泊させてもらって、朝食までご馳走になると、寂しそうな顔でアリシア様のスカートの裾をつまみ、私に、
「また、遊びにきてくださいね」
と可愛くお願いしてくるエリザベータ様の姿に私はユリカちゃんを重ね、
「はい。機会がありましたら必ず」
と答えてまたあの豪華な馬車で侯爵邸を後にする。
帰りも宿の受付係に驚かれつつとりあえず宿の部屋に入ると、
「ふぅ…」
と息を吐いて、ベッドにゴロンと横になった。
(なんか怒涛の一日だったわね…)
と、昨日のことを思い返す。
見たことも無い初めて食べる料理の数々。
そして美味しい紅茶。
しかし、一番印象的だったのは、侯爵家の暖かい雰囲気だった。
(なんかいいなぁ…)
となんとなく憧れのような気持ちを抱く。
(私の人生ってこれからどうなっていくんだろう?)
その漠然とした問いかけに明確な答えは出てこない。
いや、出てくるはずがない。
しかし、私は何となくそこに希望があるように感じた。
(ふふっ。私はどんな家族を作っていくのかな?)
と、ふと思う。
きっとそこにはユリカちゃんがいてアンナさんがいてくれるはずだ。
いや、あの2人抜きの家族なんて考えられない。
(なんだか、自分勝手な考えね。…でも、そうなったらいいな)
と心の中で微笑みながらつぶやいた。
ほんの少しのつもりで目を閉じる。
王都の下町の安宿の1室。
私は幸せな気持ちで未来の家族のことを想像した。
私はいつの間にか軽く眠ってしまっていたらしい。
ふと目を覚ますと軽くお腹がなっている。
(まったく、私のお腹は正直ね)
と苦笑いしつつも、起き上がって軽く身支度を整えると、昼で賑わう町へと出かけていった。
(さて、屋台で軽めに食べて町でもぶらつきながらゆっくり向かえばちょうどいいかな?)
と考えながら、市場を歩き、学生時代から何度も買ったことのある屋台で、サンドイッチを注文する。
頼んだのはBLTサンド。
この屋台のサンドイッチはなんでも美味しいが中でもBLTが抜群に美味しい。
軽くトーストされたパン表面のサクサク。
レタスのシャキシャキとトマトの柔らかさ。
そして、程よい厚みに切られたベーコンの歯ごたえ。
それぞれに違う食感の楽しさを口いっぱいに頬張り、堪能しながら、私はゆっくりと下町を抜けた。
やがて、貴族街に入りその閑静な町をさらに中心地を目指して進んで行く。
やはり聖女服の効果だろうか。
私に奇異の目を向けてくる人はいない。
むしろたまに会釈をされるほどだ。
(服ひとつでこの違いって…)
と苦笑しながら歩いていると、やがて王宮の正門が見えてきた。
(いつ見てもすごいわねぇ)
と、感心しつつ、見上げるほどの壮麗な門を横目に王宮の外壁に沿って歩いていく。
下町とは違って石畳は綺麗に整備されおり、道幅も驚くほど広い。
(いったい馬車が何台並んで走れるのかしら)
と変なことを考えつつ進んでいると、馬に乗った騎士とすれ違った。
やはりここでも咎められることはない。
私は、
(やっぱり聖女ってすごいんだなぁ)
と他人事のように思いながら、のんびりと進み王宮にいくつかある門のうち、一番小さい門を目指して歩を進めた。
しばらく歩くと、先ほど見た正門と比べればずいぶんと小さい、しかし、馬車は十分に通れるほどの広さがある華麗な門が見えてくる。
私は門の前に立つ門番の衛兵さんに、顔見知りの姿を見つけると、
「こんにちは。ご無沙汰しております。ジル…ジュリエッタです」
と声を掛けた。
するとその衛兵さんは、
「こちらこそご無沙汰しております。一瞬わかりませんでしたよ」
と、微笑む。
私も、
「あはは。私も慣れなくて困ってます」
と言って笑うと、その衛兵さんも笑いながら、
「エリオット殿下から伺っております。ご案内させていただきます」
と言い、仲間の衛兵になにやら言付けてから、
「どうぞ」
と先導してくれた。
しばらく衛兵さんの後をついて進む。
侯爵邸で見たような荘厳な庭ではなく所々に野の花が咲く野趣に富んだ、美しい小径を抜けると、瀟洒な建物が見えてきた。
私とその衛兵さんが建物に近づくと、玄関先で何やら掃除をしていたメイドさんが私たちに気が付く。
「お久しぶりです。セシルさん」
私がそう声を掛けると、そのメイド、セシルさんも、
「まぁ…。ジュリエッタ様。なんともご立派に…」
と驚きながら微笑ましいものを見るような顔を見せてくれた。
私が、少し照れながら、
「リリエラ様のお加減はいかがですか?」
と聞くと、セシリアさんは、
「ええ。本日は特に調子がよろしいようですわ。きっとジュリエッタ様にお会いできるのを楽しみにしてらしたらかでしょうね」
と、嬉しいことを言ってくれる。
私も、
「それは良かったです」
とひと言笑顔で返し、
「さぁ、どうぞ」
と言うセシリアさんに続いてさっそく離れの中へと入って行った。
「今日はリリエラ様の調子もようございますから、お庭にご案内いたしましょう」
というセシリアさんについて、庭へと向かう。
庭に入ると、綺麗に刈られた芝生にティーテーブルが設えられていた。
「ただいまお呼びしてまいりますので、しばしお待ちを」
と言って、セシリアさんがいったん下がっていく。
私は、椅子に座り庭を眺めた。
この離れはリリエラ様の療養のために建てられたもので、花や緑が大好きなリリエラ様のために、庭には季節ごとに花を咲が咲くように植物が植えられ、小鳥や小動物も良くやって来るそうだ。
今はモモの花が満開の時期を迎え、下草の中にはスミレがちらほらと顔をのぞかせている。
(いつ来てもいいお庭だな…)
と感心しつつ、そのあまりにも美しい光景に目を細めていると、屋敷の中へと続く扉の開く音が聞こえたので私はそちらを振り返った。
「ジルちゃん!」
というまるで鈴を鳴らしたような可愛らしい声が聞こえる。
私は立ちあがって、
「ご無沙汰しております、リリエラ様」
と礼を取った。
「んもう。2人の時は『リリー』って呼んでくれる約束でしょ?」
とわざとらしく頬を膨らませるリリエラ様に向かって、私は、
「ごめんなさい。リリーちゃん」
と照れたような笑顔を浮かべてそう声を掛けなおす。
「うむ。よろしい」
と、わざとらしく尊大に言うリリエラ様の態度がおかしくてついつい笑ってしまうと、リリエラ様も、
「うふふ」
と楽しそうな笑顔を浮かべて、次に、
「会いたかったわ」
と言うと、そのまま私に抱き着いてきた。
「私もお会いしたかったです」
そう言って、リリエラ様を抱きとめる。
「もう…。もっと頻繁に来てくれなきゃだめよ」
と駄々っ子みたいにいうリリエラ様に、
「申し訳ございません」
と苦笑いで答えると、リリエラ様はまた、
「うむ。許してつかわす」
と冗談っぽくそう言って私の腕の中で微笑んだ。
「お久しゅうございます。ジュリエッタ様」
とリリエラ様の後からも声がかかり、
「お久しぶりですポーラさん」
とこちらにも挨拶を返す。
すると、リリエラ様が、
「あのね、ジルちゃん。今日はポーラに頼んでリンゴパイを焼いてもらったのよ」
と、まるで子供のように無邪気な笑顔で、嬉しそうに私に向かって今日のお茶菓子を教えてくれた。
「それは楽しみです。ポーラさんのリンゴパイは絶品ですからね」
と私もリリエラ様に向かって微笑み返す。
「うふふ。ご期待に応えられればよろしいのですけど」
というポーラさんの優しい微笑みを受けて、私たちは席に着くと、やがて絶品のリンゴパイを囲んで楽しいお茶会が始まった。
「最近はとっても調子がいいのよ。うふふ。きっとエリオットお兄様のお薬のおかげね」
と嬉しそうに話すリリエラ様に対して私が、
「それは良かったです。体調がいいとご飯が美味しく食べられますからね」
と言うと、リリエラ様が、
「まぁ、ジルちゃんったら」
と言っておかしそうに「うふふ」と笑う。
そうやってリリエラ様が笑うたびに、その亜麻色の柔らかい髪が春風にそよぐ野の花のように楚々と揺れ、私はその光景にまた目を細めた。
そこから他愛のない話と笑顔が続く。
私が聖女服を着ているのに驚いたとか、良く似合っているとかいうリリエラ様の言葉に私が照れているとそれを見たリリエラ様は天使のように微笑んで、
「ジルちゃんはやっぱりジルちゃんね」
と私にはよくわからない感想を述べた。
「もう。なんですか、それ?」
と私は頬を膨らませて反論する。
するとまたリリエラ様は、
「やっぱりジルちゃんはジルちゃんだわ」
と言って一人でおかしそうにコロコロと笑った。
チト村の話、下町の話、そして私の冒険の話なんかをリリエラ様は楽しく聞いてくれる。
しかし、気のせいでなければ、時折羨ましそうな目をしているのが辛い。
でも私は、少しでも喜んでもらおうと思って、ピザのチーズがどのくらい伸びるのかとか下町の豚バラサンドがいかに暴力的かという話をなるべく面白おかしく話した。
やがて、風にやや肌寒さを感じ始めたころ。
「リリエラ様、そろそろ」
とポーラさんから声がかかる。
「えー…」
とリリエラ様は拗ねたような顔を見せるが、私が、
「また伺います」
と言うと渋々玄関まで私を見送りに出てきてくれた。
「絶対。絶対また来てね」
と何度も念を押すリリエラ様に、何度も、
「はい。必ず」
と答えて離れを辞する。
帰りはセシルさんに案内されて門までやって来ると、
「本日はありがとうございました」
と頭を下げてくるセシルさんに、
「いえ。こちらこそ楽しかったです」
と頭を下げ返して、門を出た。
遠く王都の街並みが夕日に染まっている。
その美しくも切ない光景を見て、私は、
(私はリリエラ様のために何ができるだろうか)
と思うが、こうしてたまにお会いすること以外には何も浮かんでこない。
私はそんな自分の無力さを痛感しながら、ややため息交じりにとぼとぼと下町に戻って行った。
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