第21話 王都にて02

辺りをすっかり西日に染められた王都の石畳の道を歩く。

しばらく歩いて、宿に着くと適当に道具を取り出し、私はまず銭湯へ向かった。


「ふいー…」

と、おじさん臭い声を漏らしてどっぷりと湯船に浸かる。

(さて、今日の晩酌はどうしようかしら?)

と考えながら、ゆっくりと温まり旅の疲れを癒した。

夕方、まだ込む時間には少しだけ早い銭湯の湯船を広々と使って、これからのことを考える。

(たぶん明日はクレインバッハ侯爵に呼び出されるだろうから、一日つぶれちゃうわね…。その後はどうしようかしら?リリエラ様にお会いするにしても、きちんと約束は取りつけないといけないから、クレインバッハ侯爵の用事が終わり次第、門番さんに伝言を頼みに行かなくちゃいけないわね。とすると何日か待たされるだろうから、その間にお土産を買って…)

と、なんとなく考えを巡らせていると、徐々に銭湯が賑わいを見せてきた。

(おっと、そろそろお邪魔になっちゃうわね)

と思って湯船から上がる。

そして、さっさと着替えて銭湯を出ると、私はさっそく居酒屋を探して細い路地へと入っていった。


下町の活気の中をぶらぶらと歩く。

いくつかの店を見て回り、歩いていると、ふと気になる店を見つけた。

なんとも落ち着いた佇まいの外観に、

「酒・肴 銀釣亭」

と書かれた古くて小さな看板が掲げられている。

私がいつも選ぶ感じの大衆酒場とはちょっと違い、やや楚々とした感じを受けたが、なんとなく良さそうな匂いを感じ取り、思い切ってその店の扉をくぐってみた。


「いらっしゃいまし」

「1人だけどいい?」

「ええ。こちらのカウンターにどうぞ」

と迎えてくれたのは50代くらいの女将さん。

時間が早いからだろうか、客はまだ私1人。

「とりあえずビールください」

と言って、勧められたカウンターの席に座ると、目の前にはいくつかの料理が大皿に盛られている。

(お。そういう感じの店なのね)

と思いながら、それらの品々を物色していると、

「お待ちどうさまです」

と言って、女将さんがビールの入った、大衆酒場よりは少し小さめのジョッキを差し出してきてくれた。

「ありがとうございます。ああ、そっちのハムカツとポテトサラダをもらってもいいですか?」

と店の雰囲気に合わせてやや上品に頼むと、

「はい。かしこまりました」

と微笑んで、女将さんはさっそくハムカツとポテトサラダを取り分け始める。

私はそんな様子を見ながら、まずはビールを流し込んだ。

「ぷはぁ…」

思わず声が漏れる。

私のそんな飲みっぷりがおかしかったのか、女将さんは、

「晩ご飯の代わりにって感じでしたから少し多めにしときましたよ」

とやはり微笑みながら、ハムカツとポテトサラダを出してくれた。

「ありがとうございます」

と、その心遣いを嬉しく思いつつ、まずはハムカツにかぶりつく。

揚げてからあまり時間が経っていないのか、まだサクサクとした衣の食感を楽しみ、厚めに切ってあるハムのちょうどいい塩加減に満足すると、またビールを流し込んだ。

(そうそう。こういうちょっとお腹にたまる系でがっつりしたのが食べたい気分だったのよ。塩味の加減もちょうどいいし…。ちょっと良いハム使ってるのかな?大衆酒場とは一味違う上品なハムカツって感じね)

と満足しながら、次はポテトサラダに手を付ける。

(お。これぞまさしくご家庭のポテトサラダって感じね。味も甘めでちょうどいいし。少しさっぱりめだから、ハムカツとの相性もいいから文句なし。ハムカツの口直しにもいいし、軽めのおつまみとしてもいい感じだわ)

と悦に入りながら今度は少し控え目にビールを飲んだ。


まだまだ、晩酌は始まったばかりだ、飛ばし過ぎは良くない。

そう思ったが、それでも、さっぱりとした味のすっきり系のビールがハムカツの油を流し、口の中をさっぱりさせてくれるものだから、ついつい途中で、

「あ。お替りください」

と、もう一杯頼んでしまう。

そして、今度こそゆっくりと、お酒とつまみを楽しむと、またカウンターの上にある大皿に目を移した。

(あ。ナス味噌炒めとか美味しそうだな。あ。あっちの鶏と大根の煮物も美味しそう。あー、でもけっこうお腹いっぱいになっちゃったし、それに次は米酒に行きたいのよねぇ。となると…)

と、私が目移りしていると、女将さんが、

「小鉢や一品物もありますよ。今日はトウガンのおひたしと、あと稚アユの良いのが入りましたから天ぷらがおすすめです」

と今日のおすすめを教えてくれる。

「じゃぁ、その2つをください。あ、あとお酒を冷やで」

と頼むと、女将さんは嬉しそうな笑顔で、

「はい。かしこましりました」

と言って、いったんカウンターの奥へと下がっていった。


まずは冷や酒が来る。

徳利からおちょこに注いでくいっと引っかけ、ちょっと残っていたポテトサラダをつまんでいると、

「まずはおひたしですね」

と言って、女将さんが小鉢を出してきてくれた。

「ありがとうございます」

と言って、さっそくそれをつまんでみると、シャキシャキとした食感と優しい出汁の味がする。

(ああ、これはなにげにお酒が進むやつだわ…)

と思ってまたおちょこを空ける。

しばらくの間、ゆっくりとお酒とトウガンの優しい味を堪能していると、

「はい。天ぷらですよ」

という女将の声がして、お待ちかねの天ぷらがやってきた。

(あー。なにげに揚げ物続きね)

と思いながらも、さっそく塩をつけてがぶりとやる。

(お。これは…。小さいのにホクホクした身といい、癖の無い味わいといい。お酒にピッタリじゃないの…。ああ、でも微かにアユの風味がするから、いかにも春先取りって感じがするわぁ)

と、しみじみ味わって今度やややゆっくりとおちょこを口に運ぶ。

ふんわりと鼻から抜けていくお酒の香りに春の香りが乗って、なんとも言えない花やかな気持ちになった。


結局、お酒をもう1本頼み、春の味に胃も心も満たされて箸を置く。

「ふぅ…」

と満足してさてそろそろ、と思っていると女将さんが、

「〆にどうぞ」

と言って、出汁が入ったぐい吞みを出してきてくれた。

なんの変哲もない塩味の出汁に先ほどまで春で満たされていた胃と心が落ち着く。

私が、

「はぁ…」

と満足のため息を吐き、ぼーっとしていると、

「ご満足いただけましたか?」

と女将さんが微笑んだ。

「ええ。とっても」

と私も微笑み返す。

(これは、意外とお高い店に入っちゃったわね)

とほんの少し苦笑いしながら、

「ご馳走様でした。おいくらですか?」

と聞くと、

「はい。粒銀貨4枚です」

と即座に答えが返ってきた。

(え?安すぎない?)

と思って、ちょっと驚いた顔を女将さんに見せる。

すると、女将さんはまた優しく微笑みながら、

「銀貨でお釣りが出るから、銀釣亭っていう名前にしたんですよ」

と言ってくれた。


なんとも言えないいい気分で店を出る。

家庭的で優しい味と穏やかな時間が流れるいい店だった。

(あー。きっとアンナさんが店を出すとしたらああいう感じのお店になるんだろうなぁ)

と妙なことを考える。

そんな自分の想像に「ふふっ」とつい笑ってしまった。


きっと、春の味に酔ってしまったんだろう。

そんなことを感じながらおぼろ月がふんわりと照らす石畳の道をいつもよりもふわふわとした気持ちで歩く。

そして、ふと、

(優しい味だったなぁ…)

と、またあの女将さんの笑顔と最後に飲んだ出汁の味を思い出した。

(女将さんがどんな人生を歩んできたかなんてわからないけど、たぶん優しい家庭に育ったんだろうな…。いや、きっと優しい家庭を作った人なんだろうね)

と、勝手な想像を巡らせて、私はまた、

「家族かぁ…」

とつぶやいた。


家族。

信頼という名の絆で結ばれた小さくて優しい社会。

私はその優しい世界を確実に求めている。

そして、その理想はおそらくチト村のあの家にあるのだろう。

私は今までそのことに、なんとなく気が付いていながらも、気恥ずかしくて気が付かないふりをしていた。

(私はもっと素直に生きなきゃいけないんだろうな…)

そんな考えに苦笑いを浮かべる。

恥ずかしがり屋で素直になれない、まだまだ未熟な自分を思うと、情けないやら照れくさいやら。

(私もいつか大人になるのかなぁ?)

と、どうにも子供っぽい言葉が頭に浮かんで、また苦笑いをした。


コツコツと石畳を叩くブーツの音が軽い。

私の心はふわふわとしてあっちにいったりこっちにいったり。

でも、今はそれがなんとも心地よくて、

(まぁ、もう少し子供のままでいっか…)

と思うとまたまた苦笑いが浮かぶ。

王都の空にぼんやりと浮かぶおぼろ月を見上げて、

「ああ、春だねぇ…」

となんとも風流なことをつぶやいた。

春の夜風はまだ肌寒く、私の頬をひんやりと撫でていく。

私はその感覚を楽しむと、

(今日はいい夢が見られそうね)

とひとり悦に入りながら、宿屋への道をまたふんわりとした足取りで歩き始めた。

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