第19話 王都へ04
礼は聖女学校で習ったという私の答えにクレインバッハ侯爵は、
「ほう…。聖女学校を出ながら冒険者をしているとは。それはまたどういうことかな?」
と聞いてくる。
おそらくクレインバッハ侯爵は私の答えに疑念を持っているのだろう。
私はまた、心の中で盛大にため息を吐きつつ、
「失礼いたします」
とひと言断って、懐からバッチを取り出して見せた。
「なんとっ!?」
とクレインバッハ侯爵が驚きの声を上げる。
横に控える騎士も声にこそ出さないが、その表情は明らかに驚いていた。
私はその驚きに苦笑いで、
「私の場合はかなり特殊な事情がございまして…。いわゆる『はぐれ聖女』ということになります」
と答える。
「それはなんとも…」
とまだ驚きながら言葉を発したクレインバッハ侯爵だったが、はっと気を取り直すと、
「失礼した。すぐにお茶の用意を」
と言い、私の後に控えていたメイドに、向かって、
「すぐに支度を」
とひと言命じた。
ここでひと言、「急ぐ旅ですので」とでも言って断ればよかったのかもしれないが、それはそれで失礼に当たる。
そんなことを思って私は、
「お気遣い痛み入ります」
と答え、その招待を受け入れた。
「さぁ、まずはかけられよ」
と言ってクレインバッハ侯爵は私にソファを勧めてくる。
私もそれに、
「失礼いたします」
と素直に応じ、さっそくソファに腰掛けた。
「しかし、ジル殿もお人が悪い。最初からおっしゃっていただければ野宿などさせなかったものを」
と言いながら、私の正面に腰掛ける侯爵に、私は、
「王都まで急ぐ旅でしたので、失礼をいたしました」
と軽く頭を下げる。
すると、クレインバッハ侯爵は、
「いや。こちらこそ失礼した。しかし、ここでお会いできたのも神の思し召しというもの。王都へ行かれるというのであれば、滞在中に是非とも晩餐にお誘いしたい」
と、とんでもないことを言ってきた。
(侯爵家の晩餐なんてとんでもないわよ!?)
と私は慌てて、
「いえ、正装もございませんので、それはご遠慮申し上げます」
と一応なんとか平静を保ちつつも必死に断る。
しかし、クレインバッハ侯爵は、
「ははは。服などうちにいくらでもあります。そのように遠慮なさらずともけっこう。たいしたもてなしも出来ないが、せめてもの礼だと思ってもらいたい」
と鷹揚に答えた。
(あれ?もしかして、この人割と熱心な信者さんだったりする?)
と感じて私は心の中で冷や汗をかく。
教会の熱心な信者の中には聖女を神聖視する人も多い。
もし、クレインバッハ侯爵もそうなら厄介なことになると思って、私は身構えたが、クレインバッハ侯爵は、
「いや…実は最近、8歳になる娘が聖女の活躍する絵物語を読んだらしく一度聖女様と話をしてみたいと言い出しましてな。これは大変良い機会となりました」
と言って、「はっはっは」とまた鷹揚に笑った。
8歳と言えばちょうどユリカちゃんと同じくらいの歳頃だ。
そんな少女の夢を壊してはいけない。
そう思って私は、やや仕方なく、
「では、お伺いする際はせめて聖女服を着てまいります」
と苦笑いで答えた。
やがてお茶が運ばれてくる。
メイドさんの見事な手並みに感心しながら、ありがたくお茶を頂戴すると、クレインバッハ侯爵が、やや改まった感じで、
「昨夜はあの荷物を守っていただきかたじけない」
と頭を下げてきた。
私はその態度に慌てて、
「い、いえ。どうぞそのようなことはなさらないでください」
と顔の前で両手を振りながら、必死に止める。
しかし、クレインバッハ侯爵は、
「いや。実はあの箱は娘の宝物が入っておりました。大半はおもちゃや絵本ですが、娘にとっては大切な思い出の品ばかり。金で買えるものではなかったので、本当に助かりました」
と言い、なんとも優しい父親の表情を見せる。
そんな表情を見て、私は、
(ああ、家族を思う心に身分は関係ないんだな…)
と当たり前のことを当たり前に感じ、
「それは良かったです。大切な思い出を守れたのであれば何よりです」
と言って自然と微笑んでしまった。
ややあって、次に私の話になる。
私がなんとなく聖女学校を出たあと学院に通ったという話をすると、クレインバッハ侯爵は、
「ほう。年頃から考えてエリオット殿下が通っておられたころと近いのでは?」
となかなか鋭いことを言ってきた。
私はここでも、
(…やってしまった)
と思いつつも素直に学友であったことを白状する。
するとクレインバッハ侯爵は、
「ほう。それは素晴らしい。しかし、聞けば聞くほど驚きの経歴ですな」
と言い、
「その辺りのお話は是非ともじっくり聞かせて欲しいものです。来たる晩餐の日を娘ともども楽しみにお待ちしておきましょう」
と本当に娘おもいの優しそうな目でそう言った。
その間30分ほどだろうか。
私は苦笑いのクレインバッハ侯爵から金貨2枚をこちらも苦笑いでいただくと、再び晩餐の席に伺う約束をしてその離れを辞する。
帰り際、メイドさんに王都での滞在先や連絡方法などを伝えたのでおそらく招待状が届くことになるのだろう。
そのことを若干気重に思いながらも私はエリーに跨り、クレインバッハ侯爵一行よりもやや早くその村を発った。
エリーの背中に揺られ、ポリポリと行動食をかじる。
私は、ずいぶんと面倒なことに巻き込まれてしまったと思いため息を吐きながらも、
(まぁ、娘さんの思い出が守れたんだからそれはそれでよかったよね)
と頭の中を前向きに切り替えた。
きっとあの箱の中には大切な家族との思い出が入っていたんだろう。
クレインバッハ侯爵が一瞬見せたあの優しい笑顔が脳裏に浮かぶ。
(ふふっ。どんな思い出が入っていたのかしら?)
と、会ったこともないその侯爵令嬢のことに想像を巡らせてみた。
(ユリカちゃんみたいに元気な子なのかな?それとも大人しい子なのかしら?ああ、でも貴族様のご令嬢だったからちょっとわがままなところがあるかもしれないわね。ふふっ。でも、きっといい子よね。だって、あんなに優しいお父さんの子なんだもの)
と勝手な想像をして微笑む。
そして、いつの間にか自分がまるで誰かの母親のような目線に立っていることに気が付いた。
「家族かぁ…」
と不意に頭に浮かんできた言葉をつぶやく。
辺境の田舎町で居酒屋をやっている両親の顔が浮かんできた。
(父さんと母さん元気かな?手紙は出してるけど、もうずいぶんと会ってないし、そのうち会いに行かなきゃ)
そんな言葉を胸の中でつぶやくと妙に里心がつく。
実家の小さな食卓で囲む朝食の温もり。
少し大きくなってからは居酒屋の隅で常連のおっちゃんたちと一緒にご飯を食べることもあった。
きっと忙しくて私を見てあげられない両親が取った苦肉の策なんだろうけど、ガヤガヤとした雰囲気の中でみんなの笑い声を聞きながら食べた父さん特製のシチューの味は今でもよく覚えている。
きっと、あの味が私の基礎を作ってくれたんだろう。
だから、アンナさんのシチューがたまらなく美味しく感じてしまうんだ。
そう思うと、両親への感謝とともに、アンナさんとユリカちゃんの顔が浮かんできた。
胸がきゅっと締め付けられて、でも、じんわりと温かくなる。
「家族かぁ…」
私はもう一度そうつぶやいた。
柔らかく霞んだ春の空から降り注ぐ麗らかな日差しが私を照らす。
「ふぅ…」
私は少し気分を切り替えるように短く息を吐いた。
大切な人、大切な思い。
みんなそれぞれに大切なものを抱えて生きている。
当たり前すぎて、普段はなかなか気が付かないそのことに気が付いて私は改めて家族というものに想いを馳せた。
田舎の両親のこと、チト村のアンナさんとユリカちゃんのこと。
これまでに出会ったいろんな人のいろんな顔を思い浮かべる。
私はこれからどんな家族を作っていくんだろう?
まだ何も決まっていない自分のこれからのことを想像すると、楽しいような妙に気恥ずかしいような気持ちになった。
また、
「ふぅ…」
と短く息を吐く。
気が付けば、街道には行商人たちの姿が増えていた。
王都が近い。
「さて、頑張らなくちゃね!」
と明るくエリーに声を掛ける。
「ひひん!」
とまるで私の言葉がわかっているかのように鳴き声で答えてくれたエリーに私はついつい微笑んで、
「あはは。よし、ちょっと急ごうか」
と言い、軽く速足の合図をだした。
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