生き残りゲーム

辻村奏汰

第1話

 人生の最期は突然に、呆気なくやってきた。

 シートベルト着用のサインが出たと同時に、力を失った機体が錐揉み状態で落下していく。

「墜ちる」

 鬼崎(きざき)たかおは身体が浮く感覚に死を覚悟した。頭上から酸素マスクが現れるが、ただの気休めだ。周りからから不安な声や悲鳴が聞こえる。

「やだ、死にたくない」と美佳(みか)がしがみついてくる。

 新婚旅行の帰りだった。これから、子供を作って、マイホームを建てて、孫に囲まれて――幸せな人生を歩むはずだったのに。

 終わった……。

 強烈な衝撃とともに前方から潰れるような大きな音を浴びながら、視界が真っ暗になっていった。


 次の瞬間、鬼崎たかおは、暗闇のなかで佇んでいた。ひんやりとして、たとえようのない異臭が身体に纏わり付いてくる。先ほどまで旅客機のシートに座っていたはずなのに。息遣いが聞こえる。自分のだけではない、何人もの気配がある。

 暫くすると夜明けのように周囲が明るくなっていく。朝焼けに照らされた荒れ果てた大地にたくさんの人が立っていた。何十万、何百万以上の人々がいるようだ。

 見たこともない光景にキョロキョロしていると、あんた新入りかい? と隣にいるイケメン男が声を掛けてきた。アイドルグループにいそうな風貌をしている。

「ここ、どこ? あんた、誰?」

「私は宮田」と鬼﨑よりも年下の男が笑みを漏らす。「ここは、現世と黄泉の狭間だ。君の名は?」

「鬼﨑たかおです。やっぱり、俺、死んでる?」

 間抜けな質問をしたと頭を抱えた。

「そう。死んでここにいる。これから行き先が決まる」

「天国か地獄ってこと?」

「ああ、私は地獄から来た」と目を細くさせる。「どんな方法でも勝負して勝ち残ると願いが叶う。負けると地獄行きさ」

 勝ち負けで天国か地獄かだなんてあり得ない。鬼﨑は宮田を疑った。

「ここにくるのは三度目だ。六十五歳でくたばった爺が言うのだから間違いないよ」

「ちょっと待った。六十五歳? 二十五歳の間違いでは?」

 どう見ても鬼﨑よりも年下にみえる。

 宮田は〝死んだら、自由に年齢を選べる〟と自慢そうに言う。

「これから戦いが始まる。お互いに戦わないという協定を結ぼう。困ったときは助け合う」

 信じて良いのか悩んだ。

「よろしくな」宮田は右手を出した。

 嘘偽りのなさそうな面持ちに、鬼﨑は頷いて握手を交わした。

「我はこの地を治める神なり」威厳のある初老の男の声が空から降ってきた。

「おいでなすった。始まるよ」宮田は天を仰いだ

「現世の時間でいう年に一度、戦いの日が来た。さあ、我を楽しませてくれ」

「戦いって何をするんだ」と宮田に問うと「何でもありさ」と楽しそうに答える。「とにかく、勝てばいいのさ」

 何をどうやって戦って勝てば良いのか、鬼﨑の鼓動は高まっていく。喧嘩は強いほうじゃない。中学まで剣道を習っていたが、級で終わった。周りを見渡すと腕っ節の強そうな奴はいない。鬼﨑が圧倒的に不利だということはなさそうだ。

「地獄がいいか!」ブーイングが反響した。

「楽園がいいか!」感声が地響きのように聞こえた。

「今回、残った十人に我と戦うチャンスを与える。我に勝った者は何でも望みを叶えよう。負けた者は即刻地獄行き。ただし、敗者復活で一年後にこの場に来られる」

「地獄って、やっぱ、辛い?」と宮田に耳打ちした。

「辛いってもんじゃない。魂をすり減らすほどの仕打ちを受ける。現世では味わったことのない苦痛だ。すり減らしすぎて、仕舞いには消えていく」と目を大きく開き、焦点が合っていない。絶望を思い出しているのだろう。

 人間の考える地獄とは比較にならないほど辛そうだ。そんなところには絶対に行きたくない。

「私は地獄から敗者復活でここに来た。四千万人ぐらいが敗者復活している。地獄はもうごめんだ。今度も地獄行きになると、魂が消滅するだろう」

 世界で年間六千万人弱が亡くなっている。つまり、この大地には総勢一億人ぐらいいることになる。

「まず、このゲームに参加したくない者はいるか」と神が問うと手を上げる者がいた。すると炎が消えるようにいなくなった。


「では、まず半分にしよう、恒例のジャンケンだ」と声が降ってくる。

「勝負だ」と宮田と反対側の男が鬼﨑に声を掛けてきた。欲望丸出しの薄気味悪い容貌でジャンケンの姿勢を作る。

 勝つ確率は三分の一だ。何をだそうか考える余裕も与えてもらえず、ジャンケンをさせられた。

 相手はパー、鬼﨑はチョキで勝った。

「勝てると思ったのに……」と頭を抱えながらフェードアウトするように消えていった。

「誰か、ジャンケンしてくれ」と対戦相手が決まらない痩せこけた男が慌てて、相手を探している。待ってくれ、と叫びながら身体が透明になり、消えていった。

「戦わないと消えていくから気をつけろよ」と背後から宮田の声がする。

 神の〝さあ次はジャンケンを使った勝負だ。始め〟という合図とともに、本格的な戦いが始まった。

 ジャンケンを使った勝負って何? 鬼﨑には何のことかわからない。

 走り寄ってきた狐顔の男が〝勝負〟と声を掛けてきた。

 何の勝負なんだ、と声を掛けようとすると「ジャンケンポイ」とジャンケンをさせられた。

 負けた。

 終わったと心が凍り付いた。

 次の瞬間「あっちむいてほい」と男が人差し指を右に向ける。

 やばい、と下を向いた。

 いきなりジャンケンさせられて〝あっちむいてほい〟になった。確かにジャンケンを使った勝負だ。

 三回目で鬼﨑が勝つと男は、こいつだったら勝てると思ったのに、と言い残し、消えていった。

 こいつだったらって、舐められている。

 二回目の勝負で約二千五百万人になった。

 次は、団体競技だ。神の声とともに、ドサリと音を立てて太い綱が降ってきた。人々が綱の端へと移動する。鬼崎は宮田に促され、綱の先へと走った。

「綱を持って引くんだ。鬼﨑君、綱引きだよ」

 鬼﨑は宮田と綱を持って引いた。

「何の勝負をするのか、説明がないんですか」

「毎回決まっているんだ。できなきゃ消えろということだ」

「それじゃ、新参者は圧倒的に不利じゃないですか。冷たすぎる」

「そうだよ。あの神は無慈悲だ。私の一度目はジャンケン勝負を知らず、消えたんだ」

「神の考えを汲み取って、戦えだなんて――勤めていた会社の上司よりたちが悪い」という鬼﨑の言葉に宮田は「そうに違いない。ここは究極のブラックだ。できなきゃ地獄に送還されるのだから」と大笑いした。

 幾人もが綱を持って引き合った。周りにいた者が次々と加勢していく。十分くらい膠着状態が続いたが、相手側が力尽きて勝った。負けたほうは一列、きれいにいなくなった。

 何かに背中を押された。目に見えない壁のようだ。

「人口密度が変わらないように、徐々に大地の境界が狭くなっていく。境界を背にして戦ったほうが分がいい」

 興奮した宮田が叫ぶ。

 さあ、次は相手を完膚なきまで叩きのめせ、と神が挑発する。

 襲ってくる人々を鬼﨑は蹴り飛ばして応戦した。

 いかにも暴力を得意とする強靱な身体を持った男達が勝ち進んでいく。どう見たって、勝ち負けは見えている。こっちに来るなと願うばかりだった。境界を背にしているので前方にだけ注視すればいい。

「この中に天使と死神が紛れ込んでいる」宮田が呟く。「ああいう凶暴な奴らを、懲らしめてくれる」

 宮田の言うとおり、黒尽くめのマントを羽織った男が鎌を振り廻し、白一色のワンピースを着た女が光輪を放って荒くれ者を倒していく。

 何でもありの状況に、体が震えるほどに興奮していく。


 戦いが始まって、半日経った感覚がある。

 残ったのは十一名。残り一名が消えることになる。

「あんたが消えろ」

 聞き覚えのある女の声に鬼﨑たかおは唇を噛んだ。新婚旅行で一緒だった美佳だった。憎しみのこもった形相だった。

「知り合いかい」という宮田の声に「妻です。新婚だったのです」と答えた。

「ここでは、妻も夫もないからね」と忠告するように囁いた。

「お前が死ね」と鉄パイプを手にして、たかおに襲い掛かる美佳。永遠の愛を誓い合ったはずなのに、どうしてこんなことになるのだろうか。死んだら、お互いの想いは消えてしまうのだろうか。美佳は、鬼﨑の想いを感じ取ったかのように〝死んだら、愛も旦那もない〟とパイプを振り回してくる。

 信じられない。美佳に出会った頃を思い出しながらパイプをかわした。

 残業続きの辛い仕事に心を蝕まれる中、会社の同僚に誘われて参加した合コンで美佳に出会った。話上手じゃない俺が、珍しく会話が続き一時間で意気投合して、毎週デートを重ねて、六ヶ月でプロポーズした。新婚旅行はフランスに行った。その帰りに飛行機事故に遭った。呆気ない三十年の人生だった。

 死んだのはいいが、神様の暇つぶしのようなゲームにつきあわされて、妻に地獄送りにされかかって。死んでも、こんな辛い目に遭わされるなんて。

 あんまりだ。

 悪魔のような目付きをした美佳が本当の姿なのだろうか。お互い裏表のないおっとりした性格だと思っていたのに。

 パイプが左上腕に当たった。痛さのあまり呻きを漏らしながら右腕で押さえる。

「絶対に殺してやる」と美佳は薄笑いを浮かべながらパイプを振り回す。

「鬼﨑君」と宮田は美佳と同じ鉄パイプを放ってきた。

 受け取った鬼﨑は美佳のパイプを力一杯にはじき返した。美佳の手からパイプが離れ、遠くに飛んでいった。鬼﨑にパイプを向けられた美佳はヘナヘナと座り込んだ。

「畜生。お前と一緒になったばかりにこんな目に遭うなんて。一生恨んでやる」

 負けを確信した美佳は涙を流し、両手で地面を叩きながら消えていった。

 それは、お互い様だよ、と美佳のいた場所に呟いた。

「十人になった。では、望みを懸けて勝負だ」と光り輝く人物が大地に降り立った。

 二メートルぐらいの中肉中背で顔は光で見えない。どうみても勝てるとは思えない。

「俺からだ」と一人が鬼﨑と同じ鉄パイプを持って神に向かった。走りながらパイプを振り上げた瞬間、身体が真っ二つになって消えた。

 もう一人が、槍を持って背後から突き進んだ。振り返った神の視線だけで消滅していった。

「まともに正面切って突っ込んでも勝てねぇ」宮田が真顔で言う。「頭を使うんだ」

 倒そうと近づくと、殺気に反応した神にやられる。チャンスは一回しかない。しかも一瞬で勝負を決めなければならない。ならば……。

「よし、行ってきます」

「鬼﨑君、駄目だって」

 殺気を見せない。無我の境地だ。思念の全てを無にした鬼﨑は、パイプを引きずりながら一歩一歩神に近づいていった。俯き加減で神と視線を合わせないようにした。

 視界に神の足下が見えた。鬼﨑はパイプを持つ手に力を入れた。

 居合い抜きの要領でパイプが神にヒットした。

「勝った?」

 意に反してパイプを持つ手が透けていく。

「負けたか」と悔いなしと諦めたとき、元に戻っていった。

「鬼﨑君、すごいよ。勝ったよ」と宮田の奇声が聞こえる。

 力が抜けた鬼﨑は座り込んだ。

「望みはなんだ」冷たい声が耳に飛び込んできた。

 神を見上げて「楽園行き」と答えた。

 

 鬼﨑は、どこまでも続く草原で寝転んでいる。青い草の匂いが鼻をくすぐるが、嫌味に感じない。

 十人のうち、神に勝てたのは二人だったと天使から聞かされた。

 神になぞなぞで勝った宮田は、黄泉がえりしたらしい。

 宮田さんの生き方が正解だったか。

 ずうっとこんな生活を続けるのだろうか、と将来の自分を頭に描いた。ぼんやりして寝転がっている姿しか思い浮かばない。現世なら、惚けて、健康を蝕まれ、あっと言う間に死ぬ。ここにいるとそれも起こらない。何も変わらない日々を延々と暮らす。

「楽園って意外とつまんないな」と呟き、雲一つない空を眺め続けた。   〈終〉

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生き残りゲーム 辻村奏汰 @Tsujimura_Kanata

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