第9節

 こめっこの家の前の、砂利道のちょっとした登り坂の半ば程で、どろんぱは俺を待ち構えていた。


「……やっときた。もー、おそーい! 何してたの?」

「お前が急に逃げ出したから、気まずい空気になってたんだよ!」

「たはっ、美人と話せて良かったっしょ?」

「たはっじゃねーわ」


 合流した俺達は坂を登りきり、やがて見えてきた里に似つかわしくない新築の一戸建ての前で立ち止まった。

 すると山麓の林に面した庭の方から、少女の猫なで声が聞こえた。


「あら、どろんぱじゃない」


「カリフラワーちゃんじゃん、お久だねー」

 バンシーを見かけた時のように、どろんぱは勢いよく声の主の方へと近付いて行った。


 こめっこの家の庭の、林のすぐ隣に植えられているこの少女は、『安楽少女』と呼ばれる歴としたモンスターで、聞いた話では、数年前、こめっこの姉のパーティーが里に来た際に植えていったらしい。里の外でならかなり危険な類のモンスターなのだが、こめっこ一家が上手く躾けたのか、ここにいる安楽少女は未だに紅魔族や里に来た者に危害を加えたことはなかった。一度は討伐するという話も上がっていたのが、そういう事情を考慮して未だに残されていた。


 見た目はまんま十数歳の少女であり、白い肌と深い緑色の髪をしている。「カリフラワー」とは、恐らくこめっこがその肌の色を指して付けたド直球な名前なのだろうが、髪の色を考慮すればむしろ「ブロッコリー」のほうが的確にも思えた。そもそも、その命名からして食べる気なのがありありと伝わった。

 どうやらこめっこにとって、対象の姿形は食欲を抑える動機にはならないらしい。


「久しぶりね、元気にしてた?」

 安楽少女は少女らしい口調で答えた。


「してたよー。カリフラワーちゃんも元気そうで良かった。まだ食べられてなかったんだねー」

「……その話題、こめっこの前で絶っ対にしないでね。じゃないと二度と会えなくなるわ……」


 急に震えだす安楽少女。

 …………苦労してんだなあ。

 俺は生まれて初めて、モンスターに同情したかもしれない。

 しかし、どろんぱは笑いながら、


「実はねー、今からこめっこの誕生日会なんだけど……。丁度、サラダの品目が少ないかなーって思ってたんだよねー」

「どろんぱ!? ねえ、冗談よね!? 冗談って言ってくれない!?」

 焦り出す安楽少女を見て、体をくねらせながら笑うどろんぱ。


「あははっ、冗談冗談。こめっこがその気にならなければ、まだしばらくは生きていられるよー!」

「…………ねえ、私にとっては笑えないのよ、その手の冗談は」


 安楽少女が震えながら、さっきまでの猫なで声とは打って変わって低いドスの利いた声で言った。

 それから安心した様子で、はあと溜め息を吐いて、

「最近気が休まらないわ……。もちろん、こめっこの食い気もなんだけど、なんだか嫌な感じがするのよ……」

 と気になることを呟いた。すかさずどろんぱが訊ねた。


「ヤな感じ?」

「ええ、一昨日の夜……というより、昨日の深夜の方が良いのかしら……? まあとにかく、里が襲撃されたじゃない?」

「そだねー。……でも、カリフラワーちゃんはたぶん大丈夫じゃない?」


 どろんぱは首を傾げながら訊き返す。俺はどろんぱの隣に立って、カリフラワーの話に聞き入っていた。


「それがそうでもなさそうなの。私、株分けするためにもっと大きくならないといけないから、じゃないと今日にでも食べられちゃうから、この後ろの林に根を伸ばしてるんだけどね……」


 ……そんなことまでしてんのか。

 ついさっきまでの同情心が失せ、むしろ引き気味に聞いていると、カリフラワーは話を続けた。


「一昨日の夜、どうもその伸ばした根の先に、妙な気配を感じたのよ。そこであの襲撃騒ぎでしょ? だから、不安になっちゃって」


「んー、モンスターなんじゃない?」

「モンスターはないわよ。ほら、私達って本来は人間の屍を養分にするじゃない? でも、肉食モンスターは屍を狙うでしょ? だから、私達は自衛の為もあって、モンスター避けのフェロモンを出せるのよ。私のフェロモンを受け付けないのは、あなた達人間みたいな、そもそも私や私の養分を捕食対象としないものだけなのよ」

「……いやに生々しい話だねー」


 俺に続いて、どろんぱも少し引き気味に言った。

 もう食べられてしまえば? と、喉まで出掛かった言葉を俺は飲み込んだ。

 少し間を置いたどろんぱが続けて、

「でもさー、ゆんゆんの話では、あの襲撃犯はテレポートで逃げてったらしいよー」


「……そう、それは初耳だわ。でもね、どうにも嫌な感じがして…………。一昨日の夜だけなら、それで済ませられるのだけど、もうずっとなのよ」


 俺達は安楽少女の言葉に驚いて目を剥いた。

 もうずっととは、どういうことなのだろうか? 今度は俺が訊ねた。


「もうずっとって、一昨日の夜だけじゃなくて、昨日も今日も?」


 安楽少女は首を縦に振って答えた。

「ええ、一昨日の夜は私もモンスターかなって思って特に気にしてなかったんだけど。……ほら、商業地区が近いから、鐘の音より先に爆発音の方が聞こえてきて目が覚めたのよ。その時にはいなかったから、きっとここから襲撃に向かったんだわ。それで、昨日は昼過ぎから夜にかけてで、今日は少し早かったわね、お昼からで、2、3時間ぐらいで感じなくなったわ」


「でも、安楽少女のフェロモンが効かないモンスターもいるにはいるんだろ?」

「いるにはいるわね……。もしそうだとしても、モンスターが一つ所にじっとする? 私の根だって、最近になってようやく伸ばし始めたばかりなんだから、長くてもせいぜい数十メートル程度のものなのよ。自分の目と鼻の先の距離で、じーっとしてるの。……ね? 不気味だと思わない? まるでこちらを監視しているかのようでしょ?」


「うーん、それってどんなのかは分かんないの? 例えば……体重がどれくらいのーっとか、大きさはこれくらいでーっとかさ」

 またどろんぱが訊ねた。


「根っこだから、そこまではさすがに……。あっ、踏まれてるって感覚しかないの。……だから、3日とも違うものの気配かもしれないし、そうなったら、私の気にしすぎって可能性も捨てきれないんだけど……。襲撃事件があって、私も敏感になりすぎているのかもね……」


 俺は口を噤んだまま、しばらく頭の中で情報を整理した。


 つまり、安楽少女の見解では転送屋の襲撃犯は逃げてはいない、あれからも度々この近くで潜んでいて、何らかの理由でこちらを監視しているということだろうか。


 もしそうだとすると、監視している目的は? 安楽少女を警戒している? いや、それはない。炸裂魔法やテレポートを使える魔法使いが、人知れず安楽少女を倒す手段がないとは思えない。まずそもそも、動けない相手を警戒する理由なんてない。


 ならば、考え得る現実的な可能性はあと2つ。一つはこめっこの一家を次の標的に選び、監視しているか。しかしそれこそどうなのだろう。わざわざ連日の監視などしなくても、転送屋と同じ手口で襲えば良いだけの話だ。両親の反撃を警戒しているにしても、寝込みを襲えば容易に目的は達せられる。それに、そもそもこの家族が他人に狙われる動機がない…………いや、たしかここの親父って変なポーションを売り付けて阿漕な商売をしてるんだっけ? まあそれにしても、結局のところ襲撃自体は容易に出来るはずだ。


 となるともう一つ、監視をしているのではなく、ただ単にここで休んでいるか。ここは里の外れで、人の往来もほとんどない。こめっこの両親も基本的に家にいないし、さっき安楽少女本人が言ったことも加えれば「人もモンスターも寄り付かない安全地帯」と考えることが出来る。この立地と安楽少女の存在を知って、いち早くそのことに気が付き、里の者の目を盗んでちょっと休める場所として選んだのかもしれない、次の襲撃計画に備えて。


「……んー、ま、よく分かんないけど、カリフラワーちゃんが気になるって言うんだったら、一応里の人にも話しとくよー」。

 非現実的な選択肢としては、よく分からないがカリフラワーちゃんを追いかけている里の変態がいるのかもしれないというもの。あとは本人が言ったように、過度な被害妄想。なんの関係もない偶然を、実際にあった事件と関連付けして考えてしまっているのかもしれない。いや、これむしろ現実的ではないか? どっちも普通に否定しきれない。


 とはいえ、

「ええ、お願いね。これで私も安心できるわ……いや、結局こめっこの食欲が減るわけじゃないし、安心は出来ないわね……」

 これ以上このことについて俺が考えても、こめっこの食欲が減るわけでもないし、安心出来ない。どろんぱが言ったように早めに大人に相談し、その監視しているかもしれない何者かとやらを明日にでも捕まえてもらおう。


 しかし、もっと根も葉もない、

「たはっ、そっちも今日は安心していいと思うよー。いーっぱいの料理作ってあるからさー」

 たはっとした推論をするのなら、あえて安楽少女の領域に入ることで、ここに里の人の意識を向かせる、とか……?


「そう、それは良かったわ。……どろんぱ、心の底からお願いするわ。こめっこのお腹はいつも満たしてあげてね」

「やー、必死だねー」

「当り前じゃない、文字通りよ。こめっこに食べられると私死ぬんだから」


 盛り上がっている二人をよそに、俺は少し考え疲れてふうと一息吐く。


 すると、こめっこの家から、


「あっ! あんたら来てんなら呼び鈴ぐらい鳴らしなさいよ! 準備は出来てるからすぐ下りるわ! 待ってなさい!」


 と、男勝りな暴君との定評のあるなびたんが、窓から顔を出して叫んだ。

 俺達はテキトーな挨拶を交わして安楽少女から離れ、玄関先で三人を出迎えた。

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