第8節

 ホールの壁に、『こめっこ誕生日おめでとう』と書かれた大きな紙が貼られており、その下に、明らかに後から思い出して付け足したのだろう、申し訳程度に『てってれえも!』と書かれていた。


「……なあ、俺の扱いひどくね?」


 それを見上げながら俺がぽつりと呟くと、いつの間にか後ろに立っていたてにすけがポンと肩に手を置いて、

「あの女子だぜ? 書いてあるだけマシってもんだろ」

 と慰めるように言った。クラスの男女の力関係がわかる一言だった。


 俺達が料理に集中していた間に、飾り付けの仕上げも完了していたようだ。友人達はそれぞれ一仕事終えた達成感を味わいながら、椅子に腰掛けて飲み物を飲み、話し、騒いでいた。

 俺がそれに混ざろうと友人の隣に腰を掛けてすぐ、厨房から出て来ていたどろんぱに呼ばれた。


「もう準備終わってるし、こめっこのお迎え行くよー」

「え? 俺も?」

「そ、あんたも。ま、悪いようにはしないからさー、騙されたと思ってついてきなよ」


 どろんぱはニヤリと口の端を持ち上げながら言った。

 正直ついさっきまでの調理作業でかなり疲れていたし、どろんぱの表情と妙な誘い文句も不審に思えるしで行きたくなかったのだが、近くで座っていた女子達に、


「そうそう、行ってきなよ!」

「こめっこも待ってますよ!」

「きっとお腹を空かせているだろうねえ」


 などと矢継ぎ早にまくし立てられたので、観念してどろんぱとこめっこの家へと向かった。



          ※※※



 店を出た俺達は大衆浴場の前を素通りし、こめっこの家の近くまで来ていた。

 まだ日は高いが、それでもだいぶ傾きかけていた。この分なら、きっと今日も帰るのは暗くなってからだろうと予想し、そういえば、姉に遅くなると伝え忘れたことを思い出した。あの過保護な姉のことだ、きっと一昨日の転送屋の襲撃事件で神経質になっていることだろう。もしかすると、誕生日会に乗り込んでくるかもしれない。

 どうしたものかと俺が悩んでいると、隣りにいたどろんぱが急に駆け出した。


「あっ、バンシーさん! こんなところで何してんのー?」


 名前を呼ばれた女性は、振り向いて日傘の下から顔を出し、駆け寄ってくるどろんぱを認めて少し目を見開いた。


「あら? どろんぱちゃんじゃない。こんにちは」


 バンシーさんとやらは温和な笑みを浮かべて迎えた。

 バンシー、……一昨日から何度かどろんぱの話題に上がっている、里の外から来た「綺麗な人」だったか。

 二人が話している姿を少し離れたところから見ていた俺は、なるほど確かに綺麗な人だと思った。


「災難だったねー、転送屋吹き飛ばされちゃってさ。どれくらいで復旧出来そうなの?」

「……それがよくわからないらしくて、困っていたのよ。二人は、こめっこちゃんのお家に遊びに行くの?」

「今日こめっこの誕生日だから、今からクラスのみんなで定食屋でぱーっとお祝いするんだよー」


「……へえ、そう、お友達と定食屋で、ね。……ふふっ、楽しそうね」

「楽しいよー。……あ、良かったらバンシーさんも来る?」

「えっ? あ、いや、それは流石に……」

「そりゃどっちも気まずいだろ」

「ええ、まあ、ちょっとね……。ええっと、こちらは……?」


 近付いてきた俺を目に止めたバンシーが訊いた。

 俺は軽く会釈をして、


「こんにちは、俺はてってれえです。バンシーさん、ですよね」 

「あ、はい、バンシーです。あなたは……、紅魔族、なのよね……? あの変な名乗りはしないのね……」

「まあ、変な名乗りなんで……」


 俺がそう答えると、バンシーは一瞬意外そうな顔をしてみせてから、すっと微笑んだ。それは見るものを自然と惹きつける、不思議な魅力のある笑みだった。


「この子変わってるでしょー」

「いや、お前らが変わってんだけど……」

「や、それはない。あんたが変わってんだー!」


 俺達がそんな不毛なやり取りをしている間も、バンシーはまじまじと俺の顔を見ていた。その視線が何を意味しているのか、今まで外から里に来た人が何度となく俺に向けてきたものだったので容易に分かった。

 昔なら不快感を隠せなかっただろうけど、慣れてしまった今となってはなんてこともない。俺はいつもそうするように、


「えっと、あんまりジロジロと見つめられると、ちょっと困るんですけど……」

「あっ、その、ごめんなさい、不快にさせてしまったかしら?」

「や、そんなことないです。ただ、お綺麗なので、ちょっと照れます」

 とわざとらしく頭を搔き、視線を逸らしながら言った。


「ふふっ、あなたもお上手ね。どろんぱちゃんと一緒」

 バンシーは薄く笑いながら言った。


「えー、こないだバンシーさんの話したら、『興味ねー』とか言ってたんだよー。……やっぱりあんたもケダモノだったんだ。バンシーさん、気を付けてね。この子、性格だけじゃなくて性癖も変わってるから!」

「お、お前なあ。初対面の人の前で、そういうこと言うのやめろって……!」


 そのおしゃべりな口を閉じてやろうと手を伸ばすと、どろんぱは例のごとく体を隠して守るように、

「わっ、ほら、やっぱり! 私の体が目当てだったんだー! そう言えば、昔一緒にお風呂に入った時も、舐め回すように私の体見てたよね!」

「誰が見るか! お前のツルツルの絶壁になんて興味ねーわ! てか、お前、その話よそでするなってついさっき言ったよな!?」

「あは、聞いてませーん! またねバンシーさん! 早く逃げたほうがいいよー」


 どろんぱは言い捨てて、こめっこの家へと駆けて行った。それが突然のことだったので、俺は追いかけるタイミングを失い、その場に二人で取り残された。


 ……この流れ、なんか見たことがあるな。

 そう思い、ふとバンシーに目をやると———。


「ふふっ、面白いわね、貴方達」

 バンシーは口元を隠しながらクスクスと笑っていた。その仕草は紛れもなく、美人のものだと思った。

 なるほど、これがモテる女か……。


「や、面白いですかね……。いっつもあんな感じだから、もうずっと困ってるんですけど……」 

「一緒にお風呂に入るぐらい、昔からの付き合いだものね……」

 そしてバンシーは、今度は悪戯っぽい目をしながら笑った。


「いや、確かに入ったことはありますけど……。違いますからね? ほんとに、あいつの体を見たりとか、変な性癖もしてませんからね?」

「……もちろん、分かってるわよ?」


 とバンシーは笑うのをやめ、どこか懐かしそうに、遠い目をしながら……、


「でも、そういう古い付き合いの友人は、大事にしなさいね。……会いたくても、もう会えないってこともあるんだから」


 まるで自分に言い聞かせるように、そんな事を言った。

 それを見ればどんなバカにだって、バンシーがいつか大事な人を失ったことがあるのだと分かる、そんな顔をしていた。


 少しの間、気まずい沈黙が流れて、俺はあえて思い出したように別れを切り出した。


「あー、じゃあ、俺あいつを追いかけるんで……。帰れなくてお困りでしょうけど、せっかくなんでゆっくりしていってください」

「ええ、ありがとう、てってれえくん。きっと、また会いましょうね」

「えっ、まあ、また会うかもしれないですけど……」

「また会うわ。あなたからは、なんだかそういう感じがしているから」


 バンシーはあの魅力のある笑みを湛えて、俺の目を真っ直ぐに見据えながら言った。


「……なんかの口説き文句ですかね? 気を付けた方がいいですよ、その気になっちゃう奴もいるんで」

「誰にでもは言わないわよ? たまたま、貴方にだけ」


 美人に見据えられた気恥ずかしさもあったが、同時に妙な寒さも覚えて、俺は返答に窮しながら愛想笑いを浮かべ、

「あはは、えっと、……じゃあ、また」

 と言い残して、バンシーに背を向けてどろんぱを追いかけた。

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