第6節
明日の料理のための下拵えを済ませて客席側へと出てみると、そのあまりの変わり様に驚かずにはいられなかった。
天井から壁にかけて、多様な色の小さな三角形の紙を連ねた長い旗のようなものが何本も吊るしてあり、紙で作った花やこめっこを象徴する星型の装飾が、壁の至るところに貼り付けられていた。またその他にも、王都で数年前から人気があるらしい空気で膨らませた袋のようなもの———たしか、フウセンとか言うもの———がいくつも飾られてあった。
一つ一つはちょっとしたものばかりであるが、こうも大量に飾られているとお祭りのような奇妙な高揚感を覚えた。明日のお昼の営業を考慮してまだ全ての飾り付けが終わっていないとすると、誕生日会の時にはどれ程のものになっているのだろうか。現状でも、子供だけで作った空間にしては、これ以上のものはないように思えた。
料理係の他のメンバー達も同様に感動したらしく、ついさっきまでの疲れを感じさせる表情はすっかり消え失せ、飾り付け係の女子達を労ったり、ハイタッチしたりして興奮を分かち合っていた。
ふとテーブル席の方を見てみると、連れてこられた男子達がそれぞれ椅子を2脚重ねて簡易寝台にして、その上に寝転がっており、その表情から相当こき使われていたことが伺えた。俺は苦笑いを浮かべながら、一人一人腕を引いて起こしてやり、その労をねぎらった。
しばしの間、俺達はガヤガヤと店内で話していたが、やがて時間も時間なので帰ろうという流れになり、最後にどろんぱが音頭を取って翌日の段取りを確認し、店を出て固まって家路に就いた。
俺はその時になってようやく、明日クラスメイトの全員が集合することを知った。話によると、どうやらひと足早い卒業パーティーも兼ねているようだった。
5月の暗い夜道を、女子達は賑やかに前を行き、俺達男子はそれをトボトボと追いかけるように後ろを歩いた。
すると、ずっと黙りこくっていたあらおが急に、
「俺も、料理係に入れば良かった。なんだかんだでお前ら楽しそうだったもんなあ……」
苦労した俺の気も知らないでそんなことを言った。
「はあ? 人の気も知らないで、めちゃくちゃ苦労したんだぞ。……ジャガイモを潰せって言ってんのに、自分の指を潰すマゾとか、魚を締めろっつったら、人の首を絞め始めるバカとか」
「なんだよそれ、自慢かよ。お前はこっちの惨状を知らねえから言えるんだ」
「ああ、全くだぜ。俺も、ねるねると仲良く飾り付けが出来ると思ったから来たのによ……とんだ災難だったわ」
隣を歩くしっぺりんととんとんも疲れた様子で便乗して言い出した。
「……だいたい、なんでお前らなんだ? てにすけでも呼んでくれてりゃ、もうちょい楽出来たのに」
「ああ、女子も初めそう考えたんだろうな、いの一番に呼びに行ったんだぜ? そしたら———」
「アイツ、今日は用事がーとか言って手製の茶菓子で女子を買収しやがった!」
とんとんの言葉を引き継いでしっぺりんそうが言った。
「それで気を良くしたから、今日は見逃してやるってなあ」
三人は夜空を見上げて遠い目をしていた。口調からして、あるいはしっぺりんは怒っていたのかもしれない。
「俺、なびたんって男勝りで勝ち気なとこがあるけど、笑うと可愛いしアリかもって思ってたんだけどなあ」
「今日のあれを見るとな……もうそういう目で見れないわ」
「母ちゃんより怖い女、初めて見たよ」
「男勝りってか、ありゃあ暴君だな」
「とにかく、てってれえ、これだけは言っとくぜ……。なびたんには絶対に逆らうな。俺達は今日、それを早めに察したから良かったものの、しっぺりんなんてもうちょいでタマを———」
「おい! それは言わねえって約束したろ!」
……いったい何があったんだろうか。
しっぺりんのタマがどうなりかけたのかかなり気になったのだが、思い出して震えている友人達を見て憐れに思い、その肩にポンと手を置いて慰めながら集落までの道を歩いた。
※※※
集落の近くまで来たところで出戻り組の友人達と別れ、その後少し遠回りをしてじゃすたとぷにまるを家の前まで送ってやり、俺達は自分の家へと向かった。どろんぱの家は、俺の家から田んぼを一つ挟んだ後ろにあった。
少し前までの賑やかさは鳴りを潜め、星が瞬く夜の畦道を俺達は横並びに歩いていた。いつもは騒がしいどろんぱも今日ばかりは疲れているのか、二人きりになってからはすっかり口を噤んでしまい、斜め上の夜空を見上げてぼーっと星を眺めていた。
先に気まずさを感じて、口を開いたのは俺の方だった。
「なあ、今日絶対俺ら二人のほうが早くなかったか?」
どろんぱは呼吸数回分間をおいてから、「あはは」と思い出したように笑って答えた。
「ま、でも、楽しかったでしょ?」
「……うん、まあ。それにしても疲れたけどな」
「たはっ、なら良いじゃん。文句ばっかり言いなさんなー」
それっきりどろんぱはまた黙ってしまった。
俺は幼馴染のこの「たは」と短く笑う癖が何となく好きだった。飄々としいて、笑う時は誰の目にも分かるように笑う幼馴染の、思わず漏れ出してしまった笑いという感じがするからだ。普段は憎らしいどろんぱの、唯一可愛らしい点でさえあると思えた。
「それにしても飾り付け、すごかったよねー」
今度はどろんぱが話し出した。
「あー、ビックリしたなあれ。……てか、あれ作ったの大半はお前だろ?」
「私は作り方教えるために何個かだけ、あとはみんなが作ったみたいよー。ま、あの子の誕生日だし、地味なのより派手なのが好きそうでしょ?」
「……あいつなら、飯食えたらなんでも喜びそうだけどな」
「あはは、間違いないね」
どろんぱは相変わらず夜空を見上げながら笑った。
「にしても愛されてんな、こめっこは。他のやつの時に、あそこまではやんないだろ」
「卒業も近いしねー。みんなもきっと、騒ぎたかったんじゃない?」
「いや、俺が言ってんのはお前の話だよ。俺やねーちゃんの時ですら、あそこまではやんないだろ」
「んー、私も同じだよ。……卒業したら、もしかすると祝えなくなるかもしれないしねー。最後になるかもしれないなら、そりゃ気合も入るってもんでしょ」
「……あいつ、冒険者になるつもり無さそうだったから、卒業しても里にいると思うけどな」
「そりゃ、あんた目線の話でしょー」
「……はあ? どういう意味だよ」
「そのまんまの意味。……ま、あの子を愛してるってのは間違ってないけどねー」
「お前ら仲良いもんな」
「まーねー。……私とこめっこは、一番近い他人だけど、一番遠い親友なんだよ」
「はあ? なにその矛盾」
「たはっ、あんたにだけは秘密!」
どろんぱはそう言って笑顔で走り出した。
※※※
走り出したどろんぱに追いついた頃には、とっくに家の前に着いていた。玄関を開ける前に、一度こちらを振り向いたどろんぱは、いつものふざけた調子ではない寂しい笑みを浮かべていた。
「……昨日ね、みんなとも話したんだけどさ。卒業したら、こんなふうに楽しい時間もなくなっちゃうのかなって」
いつになく真面目な目で話すどろんぱに、俺はどう返そうかと少し悩んで、
「急に何言ってんだ。……別に、スキルポイントが足りても魔法を取らなけりゃいい話だろ。皆と一緒に取ればいいじゃねーか」
「や、私が言ってんのはあんたの話。ま、卒業するんかは知らんけど、冒険者になるんでしょ?」
「ま、まあ、確かに卒業するかは分かんねーけど……、そのつもり」
「……里を出てくんでしょ?」
と、どろんぱは俺の手を取って、
「……ねえ、どうしても、冒険者じゃなきゃ駄目なの?」
上目遣いで、紅い瞳をいつもよりも輝かせながら、
「……他の生き方じゃいけないの?」
俺の目をじっと見据えて、そんなことを言った。
そんな幼馴染の仕草に、言葉に、瞳に、不覚にもドキッとしてしまい、俺はすぐに言葉を返すことが出来なかった。
「…………これは、お前にも話してなかったことなんだけどな。昔、入学してすぐの頃、学校をやめようと思ってた時期があったんだよ……」
俺は、震えているどろんぱの手をそっと握り返した。
「俺だけアークウィザードになれないって言われてな。だから、諦めろって、学校に通ってもきっと無駄になるから、しんどくなるだけだから今のうちにやめた方がいいって言われたんだよ。その気はなかったかもしれないけど、ああ、俺は馬鹿にされてるんだって思った。アークウィザードになれないことで、みんなに否定されてるって気がした。でもまあ、ほんとにバカだったから何も言い返せなかったんだけどな」
「……でも、やめなかったじゃん」
「やめようと思ってたんだよ。家に帰って、かーさんに相談して、もうやめようって。そう思ってたら、通りがかりのババアに怒られたんだよ、『下向くのは飯食う時だけにしろ、見ていて気分が悪い』って。……これがもう、不愛想で口の悪いクソババアでさ。やれガキのくせにだとか、やれチビのくせにだとか。おまけにずっと煙草吸ってて、とにかく臭くて堪んなかった……」
そこで一旦切って、短く息を吸い呼吸を整える。
どろんぱは手を握ったまま、俺の長い話に耳を傾けていた。
「……でも、カッコ良いって思ったよ。あのババアを見てたら、今落ち込んでることなんてどうでもいいことなんだって。ババアみたいにカッコ良くなって、アークウィザードじゃなくても凄い奴なんだってみんなに認めさせてやるって思えたんだ。……だから、やめないことにした。『アークウィザードじゃない奴が、一番の紅魔族になったぞ』って言ってやりたかった。たぶん、みんなを見返したかったんだな……」
「……もう見返せたよ。てってれえのこと、『アークウィザードじゃないから凄くない』なんて言う人は、もう里にはいないよ。だから———」
「でも、まだ一番にはなれてない。俺はまだ、あいつにすら勝ててない」
俺がそう言うと、どろんぱはほんの一瞬、きっと何かを睨むような目つきをして、
「それと里を出るのと、何の関係があるの? 次はもっとレベル上げて、勉強すればいいじゃん。……それに、あの子ならもうとっくにあんたのこと認めてるでしょ」
「少なくとも、あいつは自分が負けるだなんて微塵も思ってねーよ。それに勉強だけじゃなくて他にも、あいつの姉ちゃんとかゆんゆんとか、里の凄い奴なんていっぱいいるだろ。確かに、アークウィザードじゃないからって馬鹿にされたりはしないだろうけど、この里で一番かって訊かれたら、俺はまだこめっこにすら勝ててねんだよ。……俺が思ってた一番の紅魔族ってのは、まあ、そんなに単純な話でもなかった訳だな」
どろんぱは黙ったまま俯いていた。
「……それで、ババアに言われことを思い出したんだよ、『里で一番になりたいなら、まずあたしにそれを認めさせな』って。『でもあんた里の人じゃないじゃん』って言ったら、『大人になったら会いに来い。ついでに世界も見てこい。あたしに認められたら、その時は誰が何と言おうが一番の紅魔族だ。でも大人になるまでは家にいなガキンチョ』ってさ。ほんと暴論だし口悪ぃーんだよあのババア」
「……だから、会いに行くの?」
「おう、だから本当に会いに行ってやる。14歳になって、大人になったら世界を見る。そんでもって、まずあのババアに『一番の紅魔族だ』って言わせてやるんだよ」
「……その人ってどこの人?」
「それが訊いても教えてくんなかったんだよなあ。分かってんのは、この国じゃないってことだけで、『名前教えたんだから、それで探してみせな』って。だから手当たり次第色んなところに行くしかないんだよ」
すると、どろんぱが笑い出した。ついさっきまで俯いて暗い顔をしていたので、いつもの明るさが見られて俺はほっとした気持ちになった。
「その人、変わってんねー」
「……俺がそれ言ったら、『紅魔族にだけは言われたくない』って言ってたぞ」
「たはっ、ウケる」
「出たな、たはっ」
俺はつられて笑顔になった。その頃にはもう暗い雰囲気はなくなって、俺達は二人で笑い合っていた。この時ばかりはどろんぱの笑顔は、年相応の少女らしい純朴なものに感じられた。
「やー、泣き落としで出て行かせないようにって思ったんだけど、そんな裏話があったんだねー。なんか格好良いね、紅魔族的に!」
「カッコ良いか? つか、お前の泣き落としとか、この10年間で何回見たと思ってんだよ」
「長い付き合いだもんねー。でも、そんな話知らなかったなー」
「まあたぶん、俺以外はあの人のこと覚えてすらないんじゃねーかな。里にいたのも3日だけだし、浮浪者かってぐらいそこら辺ふらついてたしな」
「意外となんかお宝とか盗みに来てたとか?」
「職業が盗賊だったから、それもあるかもな。……でも、この里に宝なんかあるか?」
「さー? ま、聖剣やら邪神やら、物騒な名前のところが多いからねー。……にしても、運命的な出会いだね。そりゃ、会いに行かなきゃだわ」
どろんぱは俺に背を向けて、玄関のドアを開いた。
そこでもう一度振り返り、光ったままの紅い目で俺を見据え、
「ま、そんならもう止めないよ。どこへなりと出掛けてしまえ、この分からず屋ー!」
「いや、別に今日明日行くわけじゃねんだけど」
「かたいなー、言ってみただけじゃん。じゃ、送ってくれてありがとね、おやすみー」
「どういたしまして、おやすみ」
そう言ってお互いに手を振り合い、どろんぱは玄関に入って、——————
「あっ、てか、たぶん分かってないんだろうから教えたげるよ」
「しつけーな、なに?」
帰ろうとしたところを話しかけられた俺は少し不機嫌に訊き返した。
どろんぱはドアの隙間から首だけ出してこちらを見つめ、
「さっきの話、一番の紅魔族ってやつだけど」
と、前置きして、
「てってれえはもうとっくに、随一の紅魔族だよ」
どろんぱはニシシと悪戯っぽく笑い、「じゃねー」と言い残してドアを閉めた。
俺はどろんぱの言った意味がよく分からなかったが、まああいつのことだしと深くは考えず家路に就いた。
※※※
「ただいまー。あー、疲れたー」
帰宅するなり、真っ直ぐにリビングへ向かった。いつもならある程度身支度をしてから晩御飯を食べるのだが、今日は思いの外疲れていたため早く済ませて休みたかった。
「あ、てってれえ、おかえり」
「おかえり」
食卓には夕食が並べられており、祖母と姉が席に着いていた。
「あれ、親父とかーさんは?」
「二人は巡回。あたしはそこまですることないと思うんだけど、一応何かあるかもって」
昨日の襲撃を受けてのことなのだろう、夕食だけ拵えてうちの真面目な両親は自警団と一緒に里の警戒に当たっているようだ。
「ねーちゃんは行かねーの? ニート仲間に会いに」
「あたしは入れ替わりで今帰ってきたとこよ、てかニートじゃないから!」
「はあ、そうですか」
ソファーの上にカバンと上着のローブを置き、食卓につく。
今日の献立は—————
「おっ、今日は普通の料理ばっかじゃん。ねーちゃん、ようやく諦めてくれたんだな!」
「わっ、悪かったわね! 普通じゃない料理作って! ……今日は疲れてたからずっと寝てて、起きても巡回に行ってこいって言われたから作る暇がなかったのよ!」
「……やっぱニートじゃねーか」
「ニ、ニートじゃないから!」
涙目で叫ぶ姉を横目に、俺は祖母のピクルスから食べ始めた。
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