1:3 紅魔の里の若者達

第1節

 里の転送屋は商業地区の外れにあった。転送屋とは、その名の通り魔法で人や物を離れた場所に瞬時に送ることを商いにしている店であるが、といっても、紅魔族の魔法使いにとって転送魔法テレポートは標準装備であるため、そこを利用するのはもっぱら外から来る者ばかりだった。


 5月にしては肌寒い今夜、その転送屋の近くにローブのフードを目深に被るひとりの魔法使いがいた。時刻はとうに夜更けを過ぎており、周囲にはその魔法使い以外の人影は全く無かったが、それでも魔法使いは細心の注意を払っていた。

 この魔法使いの目的は、こそ泥をはたらくことでも、無駄な破壊や殺傷をすることでもない。ただ、転送屋の裏にある魔法陣を破壊することだった。


 魔法使いは紅魔族という人種を熟知していた。だからこそ、誰も傷つけず、誰にも見つからず、ただ魔法陣を破壊して逃走するという単純なことが、この里ではどれほど難しいことかも理解していた。泥棒でも放火魔でもないのに、細心の注意を払っている理由はそこにあった。


 魔法使いは転送屋の周囲を歩いて見て回り、人の気配がしないことを再度確認した。その後、用心するに越したことはないので、わざわざ大袈裟に遠回りをして店の裏の数十メートル先に広がる山麓の林から魔法陣を目指した。到着してから1時間以上が経っていた。心の中で、どうか結界がありませんようにと祈り続けた。


 魔法使いの祈りが通じたのかはたまた不用心なのか、恐らく後者だろうが、転送屋の周囲には人の侵入を知らせる結界などは張られていなかったので、魔法使いは容易に魔法陣の近くまで接近できた。

 魔法陣の周囲はちょっとした遺跡のような構造をしていた。地面より少し高く積み上げられた正方形の石壇の上に直径にして4メートルほどの魔法陣が描かれており、その四つ角には一本ずつ魔法を制御するための石柱が立てられていた。


 石壇に描かれている魔法陣だけを消せばたしかに転送は出来なくなるものの、それでは1日もあれば容易に再構築されてしまうだろう。ならばここまでする意味もない。

 完全にこれを破壊しなくてはならない。


 魔法使いは懐からワンドを取り出し、一度深呼吸をして胸の鼓動を抑え、魔法の詠唱を始めた。


 魔法陣を破壊した後、急いで逃げなければすぐにでも里の者が駆け付け捕まってしまう。逃走手段にはテレポートを使うと決めていて、わざわざ数少ないテレポートの登録先まで使っていた。

 また、使用する魔法もよく選ぶ必要があった。石造りの建造物を壊すのに火や雷では意味がない。かと言って風や水を使えば転送屋の母屋や周囲の商業施設まで巻き込み兼ねない。土も考慮してみたが、やはり現実的ではない。


 悩んだ末に、魔法使いは貴重なスキルポイントを使用し《炸裂魔法》を習得した。

 炸裂魔法であれば、魔力量の調節や放つ位置で破壊の規模をある程度操作出来るし、石造りだろうと問答無用で壊せるからだ。正直この魔法はほとんど使い道がないのだが、背に腹は代えられなかった。


 魔法の詠唱が終わる。

 魔法使いは最後にもう一度深呼吸をして、逃走で使用する分を差し引いたありったけの魔力を込めた魔法を石壇に向かって放った。



「『炸裂魔法バースト』ーッ!!」



 叫びと同時に、転送魔法陣の中心に炸裂魔法の魔法陣が重なるように浮かび上がり、やがて里中に響き渡る爆音を立てながら炸裂した。


 石壇は粉々に崩れ落ちた。

 少し魔力を込めすぎたらしい、炸裂の衝撃で吹き飛んだ石の礫が転送屋の母屋に降り注ぎ、壁や屋根を傷つけた。

 魔法使いは一抹の申し訳無さを抱いたが、目的を達成出来た嬉しさがやはり勝って自然と口角が吊り上がった。


 すると、夜の静寂に満たされた里に、外敵の襲来を知らせる警鐘を打ち鳴らす音が響いた。

 魔法使いはその音を聞いてはっと我に返り、急いでテレポートの詠唱を始めながら背後の森へと駆けた。息を切らせながら、嬉しさから「やった、やった!」と心の中で何度も呟きながら、ひた走った。


 さっきまで確かにあった申し訳無さはすっかり消え去っていた。胸の内にあるのは、再建されようが何度でも壊してやるという固い決意だけだった。


「―――これで、あの子はもう里を出られない……!」


 鐘の音を背に受けつつも、魔法使いは不敵な笑みを浮かべたまま森へと走り、テレポートの詠唱が終わると共に、その場から姿を消した。

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