第8節

「…………ここが、謎施設なのね」


 眼の前に広がる巨大な石造りの建物を見上げながらバンシーが呟いた。

 

 ———紅魔の里の謎施設。

 レッドプリズンの校舎2つ分ほどの巨大なこの建造物は、なんのために、いつ、だれによって作られたのか全く判明していない。

 施設の外装は灰色の硬い石で作られているけれど、通常の石造りとは違い継ぎ目のようなものはほとんど見られなかった。また年月で多少の劣化はしているものの、表面はまるでヤスリで磨かれたかのように滑らかな質感をしていた。

 通りから見て正面には施設に入るための階段が設けられており、その前には建物と同じ素材で出来ている背の低い、古代文字の掘られた四角形の石柱が立っていた。なんと書いてあるのかは分からないけど、恐らくこの施設の名称なのだろうというのが紅魔の里での一般的な見解だった。


 いつ見ても不気味に思える巨大施設を立ち止まって見上げていると、どろんぱが我先にと階段を上っていき、施設の入口に設けられているガラス製の引き戸の前でこちらを振り返って早く来るようにと催促をする。

 どろんぱに言われてわたしが駆け上ると、拾ってきた子猫のようにすっかり警戒しているバンシーは、その後ろから一段ずつ踏みしめて恐る恐ると階段を上ってきた。


「さ、まずは第一関門、謎のドアだねー」


 ガラス製のドアの前でどろんぱが説明を始める。バンシーは不思議なドアにずっと目をやりつつも、どろんぱの説明を聞き漏らすまいと黙って傾聴していた。


「この謎のドアはねー、親切にも勝手に開いてくれるんだけど、入ろうとするタイミングを間違えると挟まれる危険なトラップなんだよ」


 見ててねと前置きしてから、どろんぱはガラス製のドアの前につま先だけを伸ばす。すると、ドアが奇妙な音を立てながら開き、その隙にどろんぱは施設の中へぴょんと飛び込んで入った。

 どろんぱに続き、わたしも同じようにして施設の中に入る。


「ね、こんな感じで入るんだよ、バンシーさんもおいでー」


 ドア越しにどろんぱがそう言うと、バンシーは日傘を畳んで目を瞑った。そうして緊張をほぐすためにか、両手で胸を押さえながら大きく息を吐き、折り畳んだ傘の先でドアの前をコツコツと叩いていく。やがてドアが開いたのを確認したバンシーは、傘を引っ込めてごくりと唾をのみ、意を決した面持ちでぴょんと跳ね—————。



 ————————ゴンッ!


「痛いっ!!」


「「あっ」」


 飛び込んだタイミングでドアが閉まり、バンシーは勢いよく肩をぶつけて飛ばされた。


「あはっ、大丈夫?」

 転んで尻餅をついたバンシーを見てどろんぱが笑った。わたし達はパタパタと急いで駆け寄り、わたしがドアを抑えて開けている間に、どろんぱが手を引いてバンシーを立ち上がらせる。バンシーは涙目で手を引くどろんぱを見上げていた。


「うううっ…………危険はないって言っていたわよね……!?」

「ちゃんとうちらの真似してたら危険はなかったよー」

「抑えてるのしんどいから、早く入って!」


 手を握ったまま二人は施設の中に入る。わたしが抑えるのを止めてドアから離れると、開いた時と同様に奇妙な音を立てながら、ガラス製のドアはひとりでに閉まった。

 バンシーはどろんぱの手を離し、スカートのお尻や裾をパンパンとはたいて転んだ際に付いた汚れを払うと、潤んだ目でわたし達を見咎めて言った。


「…………ねえ、初めから抑えていてくれても良かったんじゃないかしら?」


 そんなバンシーのぐうの音も出ない正論に耳を塞ぎ、わたし達はクスクスと笑い合いながら先を歩いていった———。



          ※※※



『この先はクリーンルームです。ボウジン服に着替えてください』


 入って右にある、光魔法で青白く照らされた通路をまっすぐ歩いていき、やがて突き当たりの部屋へとわたし達が入ると、唐突に施設内に謎の声が響いた。

 わたし達は肝試しなどの遊びで何度か来たことがあるため慣れているのだけど、初めて来たバンシーは突然の人声に驚いて「ひっ」と息を呑んだ。


「第二関門は、謎の声と生暖かい風の部屋! ……この先の小部屋に入ったら、すんごい風が吹き出してくるんだけどね。さっきの声が言うには、ボウジン服って装備に着替えなきゃ入っちゃダメらしいよー」


「…………私達、その……ボウジンフク? っていうの装備してないのだけれど…………。ねえ、本当に大丈夫なのよね? 本当の本当に大丈夫なのよね!?」

「本当の本当の本当に大丈夫だってばー! 今度は手を引いて行ったげるから安心してよー」


 どろんぱが笑い掛けながら手を差し出すと、バンシーは少しためらったものの、好奇心に負けてかおずおずと差し出された手のひらを握った。

 今度はわたしが二人の先を歩き、内開きの扉を開いて小部屋に入る。

 長方形の小部屋の長さはほんの5メートル程度で、わたし達3人が入ってドアを閉めると同時に、横の壁や天井に空けられた手のひらほどの大きさの穴から、勢いよく生暖かい風が吹き出してきた。それを受け、わたしの後ろで腕を引かれて歩いているバンシーが甲高い叫びを上げる。

 滑らかな銀髪をなびかせて怯えているバンシーの隣で、どろんぱがクスクスと笑い何事か言った。


「…………!」

「えっ、なに? 聞こえない! ねえ、本当にこの風大丈夫なのよね!?」


 そんな二人を背に、わたしは次の部屋へと続くドアノブに手をかけた。



          ※※※



 ドアを抜けて次の部屋に入る。歩いてきた通路や部屋と同様に、青白い光魔法の灯りに照らされたその空間には、わたしのみぞおちほどの高さの長い作業台のようなものが並べられており、またその先や周囲には鉄で出来た大きな箱のようなものや、複雑なゴーレムのようにも見えるものがいくつも置かれている。

 わたしがそこで立ち止まっていると、後ろからバンシー達が急いで風の吹き出る小部屋を飛び出してきた。

 ほんの数メートルの移動で不自然なほどに呼吸を乱しているバンシーは、どろんぱになにかを言おうと顔を上げ…………眼の前に広がる謎の空間に呆気にとられ、ポッカリと口を開いたまま立ちすくんだ。


「ここが最終関門、謎の設備だよ。一応この奥にも一個小さな部屋があるんだけど、そっちにはあんまり面白いものはないかなー」


 呆然と謎の空間を眺めるバンシーがごくりと固唾を呑む。

「……ここは、何をするところなの? なんだかとても奇妙なものばかりに見えるのだけど……」

「さー? それがわっかんないから謎施設なんだよね。……今はもう討伐されちゃって動かないけど、昔はこの長いテーブルに乗ったら最後、あっちの奥にある大きな鉄の箱に飲み込まれて二度と出てこれなくなってたらしいよー」


 ニヤニヤと微笑むどろんぱは、今はもう動かない作業台のようなものを撫でながら悪戯っぽく話した。

 確かに不思議で不気味な施設だけど、わたし達紅魔族にとっては生まれた時からあったものなので恐怖心などは特になく、学校から近いこともあり昔はよく探検したりして遊んだけれど、最近はほとんど来ることもなかったので、数年ぶりにこうして来てみるとなんだか懐かしさを覚えた。

 しかし、外の人からするとこの上なく奇妙に映るのだろう。バンシーはわなわなと唇を震わせながらわたしの腕にしがみついた。


「ねっ、ねえ、それ、本当に討伐されてるのよね? わたしが近づいた瞬間、動き出したりしないわよね!?」


 …………どうやら施設の謎ばかりではなく、紅魔族の悪戯心にも怯えていたらしい。


 今、急に叫んだらどんなおもしろい反応をしてくれるのかなと考えつつも、初対面で年上の、しかもさっきからずっと怯えてきょろきょろと周りを警戒しているお姉さん相手に、そこまでするのはかわいそうだとわたしは思い至った。


 ………………しかし、


「…………わっ!!」


「きゃああああああ!!」


 そう思わなかったどろんぱがこっそりとバンシーに近付き、唐突に大きな声をだして脅かした。

 バンシーはビックリしてわたしに抱きついたのだけど、その力が意外にも強くてわたしも少し驚いてしまった。

 声の正体がゲラゲラと笑うどろんぱだと気が付いたバンシーは、本人は怒っているつもりなのだろうが、可愛らしく頬を膨らませて涙目でどろんぱを睨みつける。


「…………もうっ! どろんぱちゃん、本当にやめてよね!!」

「ごめんごめん! いやーバンシーさん、ほんといい反応してくれるよねー」


 二人がそんなやり取りをしている間も、わたしの体はバンシーによってキリキリと絞め上げられていた。

首筋に当たった腕からひんやりとした冷たさが伝わってくる。バンシーの体はずっと冷たい気がするけど、もしかすると病弱な人は体温が低いのかもしれない。

 まあ、それはそうと……。


「……バンシーさん、苦しいです」

「わわっ、ごめんなさい、こめっこちゃん」

 バンシーは無意識に絞め上げていたようで、慌ててわたしの体から腕を離した。


「……ま、こんな感じの施設だからさ。里の人も滅多に近付いたりしないんだよねー。だから、周りの視線が気になったらここに来れば良いよ」

「私、独りでここに来る勇気がないわ……」

「慣れればそんなことは無いんだけどねー。……ま、あと一日じゃ慣れる暇もないかー」


 ひと通り見て回り、バンシーの反応も楽しめたどろんぱがもう満足だという顔で来た道へ歩き出す。バンシーはまだなにかあるかもしれないと警戒し、私の腕を取りながらぴったりとくっついて歩いた。


 その後も再び生暖かい風が出たり、謎の声が響いたりしてその度にバンシーが怯えたものの、わたし達は無事に謎施設の入口まで戻ってきた。

 ガラス製のドアから透けて見える空は日が暮れ始めている。わたしは思い出したようにあくびをして、二人に「早く帰ろう」と帰宅を促した。

 


 出る際に再び肩を強打して痛がっているバンシーの背中をさすって慰めながら、3人横並びにわたしの家までの道を歩く。

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