第6節
買ってもらった服を置くためにわたしの家に寄り、そこから近道である獣道を通って学校の前まで出てきたわたし達は、手始めに最も近い猫耳神社を訪れていた。
「ここが紅魔の里の観光名所……その名も、猫耳神社だよー」
木造平屋の荘厳とした建物を右手で指し示しながらどろんぱが得意気に解説を始める。
「へえ、奇妙な造形の建物ね……」
「ふっふっふ、それもそのはず……その昔、モンスターに襲われてた旅人をご先祖が助けた時に、お礼にって作ってくれたらしいからね」
「なるほど、由緒正しい建物なのね……。神社ということは、神様を祀ってある宗教的な施設なの?」
「そだよー。奥に御神体があるから、見てく?」
「ええ、ぜひ!」
わたし達は履物を脱いで神社の中に上がり、板間を抜けて御神体のある祭壇へと向かう。
祭壇は贅を尽くしている訳ではなく慎ましいものの、それでいてなんとも言えない煌びやかさを放っており、その中央に設けられている真っ赤な祠の中には、手のひらよりも少し大きいぐらいの御神体が祀られていた。
「その旅人曰く『命よりも大切な御神体』らしいよ。……ま、なんの神様なのかは全然わかんないんだけどねー」
「…………えーっと、これが御神体?」
「そそ。耳生えてるし、動物由来の神様なのかな?」
わたし達の視線の先にあるのはこの神社の御神体……見た目はどう考えても動物の耳が生えた可愛らしい少女の彫像であった。
わたしからするとそれ程価値のあるものには見えないのだけど、バンシーは何かを感じ取ったのかもしれない。しばらくの間真面目な表情で腕を組んで考え込んだ後、ポンと手を打って何かを閃いたように言った。
「動物の神様……つまりは狩猟の神様なのかもしれないわね。その旅人の一族は元々狩猟を主としていて、獲物に恵まれるようにと動物を模した神様にお祈りを捧げていたのかも……」
それを聞いたどろんぱが、心底面白そうに笑う。
「あはは、バンシーさんってクソ真面目だねー」
「クソ真面目!?」
初対面にもかかわらず、いつも通りの毒舌を発揮するどろんぱに驚きつつも、バンシーは狩猟の神様? の御神体の前で指を組んで跪きお祈りを捧げた。
……見知らぬ神様にまでお祈りをするなんて、どろんぱの言う通りクソ真面目な人だな。
数分の間そうして祈りを捧げていたバンシーが立ち上がったのを見て、どろんぱが次の場所へと移動を促した。
「じゃあ次の観光名所行こっか。『願いの泉』にするか、『聖剣の岩』にするか……」
「聖剣からまわった方が効率良い」
「かなー? じゃ、そっち行くか」
「聖剣の岩!? なにそれ、すごく気になるわ!」
聖剣という単語に反応してテンションが上がったバンシーを先導して、わたし達は神社を後にし次の観光名所へと向かった。
※※※
———鍛冶屋のおじさんに挑戦料を払ってまで聖剣の岩に挑戦したバンシーは、後になってその仕組みをどろんぱにバラされ肩を落としていた。
「……これって抜けるようになるまであと何年かかるんだろうねー」
人に勧めるだけ勧めといて、落ち込んでも我関せずの態度を取る鬼畜などろんぱがわたしに訊いてきた。
「今が200人ぐらいのはず」
「え、これ出来たのいつだっけ?」
「……十年ぐらい前?」
「てことは、あと490年? ……ぷはっ、ウケる。抜けるのより錆びる方が早そー」
紅魔族の詐欺の新たな犠牲となったバンシーをよそに、どろんぱはお腹を抱えてゲラゲラと笑いこける。バンシーはガックリとして涙目のままチラリとそちらを一瞥し、再度抜けなかった聖剣の方へ歩み寄っていった。
「うぅぅ…………もうっ、挑戦する前に言ってよ!」
「あはははっ、ごめんごめん。次はちゃんと言うからさ!」
「…………待って。次ってことは、他にも似たような所があるの……?」
そう言ってわたし達に疑いの目を向けるバンシーに、どろんぱはニヤニヤとしながらわざとらしく肩をすくめてみせた。
「……いやー、こんなのに騙される人がいるなんて思わなくてさ。バンシーさん、意外と騙されやすいタイプ?」
「そ、そんなことないわよ! ……これ、鍛冶屋のおじさんが用意したテキトーな剣、なのよね……?」
「そのはずだよー」
どろんぱの返事を聞いたバンシーは、腕を組みながらクルクルと円を描いて岩の周りを回り、いろいろな角度から聖剣を訝しげに眺めて品定めする。
「うーん、……でもこれ、たぶん魔法が掛かってる剣だと思うんだけどなあ……。微弱だけど、なんだか特殊な力を感じるのよね…………」
「えー、ほんと? 私はなんにも感じないよ」
「わたしも分かんない」
「…………気のせいなのかな? まあでも、どうせ抜けないから関係ないのだけどね……」
バンシーは再びガックリと肩を落とし、聖剣から離れてわたし達の元に戻ってきた。
「じゃー次は、『元・邪神が封印された墓』と『元・名もなき女神が封印された土地』に行ってみよっかー」
そそくさと次の観光名所に向けて歩き出したどろんぱを、日傘を指したバンシーとわたしは小走りで追いかける。
「邪神と女神が封印されているの!?」
「元だよ、元。両方とも7年ぐらい前になんでか解けちゃったんだよねー。今となってはただの墓と土地だよ」
「なんだかこの里って、残念な所ばかりなのね……」
「あはは、まあこの里を観光しようって人は、だいたい魔道具目当ての冒険者だしねー。……バンシーさんはどうしてこの里に来たの? 冒険者って感じでもないのに」
横並びに歩きながら、わたし達はバンシーの身の上話に耳を傾けた。バンシーは少しだけ考え込む素振りを見せてから話し始めた。
「……私、昔は体が弱くってね……。今も日光に弱いのは変わらないのだけど」
「あー、それで日傘差してるんだね」
「……でも、昔、体調が良い時にお父さまに旅行に連れて行ってもらったことがあるの。……そこはあんまり有名な所じゃなかったのだけど、とっても楽しくって……。それで旅行が好きになって、今でも暇を見つけては色んな所によく行くのよ……。特に、あんまり人が行かないような、隠れた名所みたいなのを探してね……」
遠い過去を懐かしむように……まるで鏡の前で独り言を呟いているかのように、儚げな微笑を浮かべてバンシーは話した。
「それで、紅魔の里なんだ?」
「ええ、あまり観光には向いていないとは聞いたのだけど、ぜひ、行ってみたいと思って……」
バンシーの話を聞いて、どろんぱはなにか思うところがあったのだろう。いきなりわたしたちの先を駆けて行ったかと思うと、いつものニヤニヤとした悪戯好きな顔ではない、年相応の少女らしい無邪気な笑顔を浮かべてこちらを振り向いた。
「ま、あんまりすごい所はないけどさ。……バンシーさんがいつか、懐かしんで笑えるような、楽しい人が紅魔族にはいっぱいいるよ、うちら筆頭に! ……ね、こめっこ?」
「……うん、紅魔族は面白い人いっぱいだね」
わたしは微笑みながら頷いてどろんぱに同意する。
そんなわたし達を、バンシーはあの柔らかい、ついつい魅入ってしまう不思議な笑みを浮かべて見つめる。
「ふふっ、そうね……。こめっこちゃんに、どろんぱちゃん。……貴女達のことは、きっと一生忘れられないわ」
無邪気な笑みを浮かべたどろんぱがバンシーの腕を取る。
「にしし、でしょー? なんてったって、紅魔族随一の魔性の妹達だからねー」
「……魔性の妹はわたしだけ。どろんぱ、ダメって言ったよね」
「たはっ、あんた蒸し返すねー」
「……ふふ、二人は仲良しさんね」
クスクスと笑うバンシーにどろんぱは「まあねー」と答え、腕を引いたまま邪神の墓だった場所を軽快な足取りで通り過ぎていく。わたしは、導かれるままに先を行くバンシーを速歩きで追いかける。
「でもね、実はそれだけじゃないの……。知り合いから、この里には4年前の魔王討伐にも参加した、爆裂魔法が使えるすごい魔法使いがいるって聞いてね。ぜひ、会ってみたいなって思って来たのよ」
「うちの里に爆裂魔法を使える魔法使い……? 紅魔族で爆裂魔法が使えると言えばこめっこ、めぐみんぐらいだよね?」
「……めぐみん?」
「わたしの姉ちゃんです」
「…………こめっこちゃんのお姉さんが、爆裂魔法を使える、あの魔王討伐に参加していた紅魔族の魔法使いなの……?」
「そうだよー。実はこめっこは、とんでもない魔法使いの妹だったのだー」
「うん、姉ちゃんはすごいんだよ!」
「…………へえ、そうなのね。……ああ、だからさっき、最強のアークウィザードを姉に持つって言っていたのね……。すごいわね、こめっこちゃん」
バンシーはそう言って優しく微笑みながら、白くて細い指でわたしの頭を撫でた。髪を滑り落ちるバンシーの優しい手は、その手つきに反して意外にもひんやりとしていた。
「…………お姉さんは、よく帰ってくるの?」
「ううん、姉ちゃんは男にかまけてるから、ほとんど帰って来ないです」
「…………そうなのね。さみしくない?」
「全然!」
元気よく答えると、バンシーの腕を引くどろんぱがひょっこりと顔を覗かせてわたしを見た。
「……たしか去年の魔王城ピクニックも凄かったんだって? めぐみんが爆裂魔法を撃ったら、魔王軍が慌てて逃げ回ってたらしいねー」
「うん、らしいね」
「…………あら、それ本当? ぜひお姉さんに会ってみたかったわ……」
「里にいたらそのうち会えるよー。……バンシーさんはいつまで里にいるの?」
クスクスと笑うバンシーにどろんぱが尋ねる。バンシーは少し申し訳無さそうに、どろんぱに笑いかけて答えた。
「……実はあまり長居出来ないのよ。たぶん、明後日には王都に帰ると思うわ」
「えー、短いね! てか、王都から来てたんだ」
残念そうに放ったどろんぱの言葉にバンシーは目を伏せる。
「ええ、転送屋さんにお願いして、ね」
「バンシーさん綺麗だし、乗り合い馬車とかあんまり似合わなそうだもんねー」
「ふふ、お上手ね、ありがとう。……でも、私も偶には乗ったりもするのよ?」
誇らしげに腰に手を当てるバンシーを、どろんぱは訝しげに見上げた。
「うっそだー! ……だってバンシーさんって貴族でしょ?」
どろんぱがそう訊くと、バンシーは鳩豆に驚いてみせた。
「……えっと、どうしてそう思ったの?」
「だってさー、こんな庶民はいないよ? もしいたとしても、領主とか貴族がほっとかないっしょ。……服もなかなか上等な生地だし、髪もツヤがすんごいし、おまけに手も綺麗。そんでもって王都から来たって聞いたらねー」
「…………貴女、軽薄に見えて意外と聡いのね」
「ね、それって褒めてる?」
馬鹿にされたと感じたどろんぱが非難の目でじーっと睨むと、バンシーは慌てて手を振り「もちろんよ」と返した。
「……で、でも、そんなに大した家柄でもないのよ。地方に小さな領地を持ってるってだけだから……」
「いいなー。私も貴族になって、召使いを毎日こき使ってやりたいわ。……ね、こめっこも貴族になりたいよね?」
バンシーを挟んでどろんぱが訊いてきた。
貴族になりたいかって訊かれても、貴族の生活とか知らないんだけど……。別に召使いとかも欲しいとは思わないし、領地なんてなくてもいいし。
「……べつに、興味ない」
「……こめっこー。貴族になったら、毎日腹いーっぱいに好きなもの食えるよー?」
「……ほんとに!? 最っ高じゃん、私もなりたい!」
「だっしょ?」
そんなふうにもし貴族になれたらという話題で盛り上がるわたし達庶民を、貴族のバンシーは温かい目で見つめながら歩いている。
これが本物の貴族の余裕かとわたしが考えていると、バンシーは聞こえるか聞こえないかくらいに小さく溜め息を吐いて、ほんの一瞬だけ、冷たい目で自分の足元に目をやって何事かを呟いた。
どろんぱは分からないけど、わたしは努めて聞こえなかったフリをして里の道を歩いて行った。
「…………そんなに良いものでもないのよ」
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