第2節

 東の尾根の向こうから差し込む無遠慮な陽の光の眩しさに、玄関を出てすぐのところで立ち止まって目をすがめていると、庭の方からなにやらこちらに語り掛ける声が聞こえてきた。


「あら、こめっこ、おはよう。今日はずいぶんと早いじゃない」


 眉根を寄せたまま声のした方を向くと、年若い少女の姿をしたカリフラワーが腕を目一杯広げて光合成をしていた。それは数年前に我が家の庭のそこに勝手に植えられて以来、いつ食べてやろうかと思いつつ、もっと大きくなるかもしれないからと期待して今日まで見逃してやっている野菜だった。


「おはよう。今日は重い日だから」

「ん? 重い日? ……なにが?」

 まるで人間のように小首を傾げて訊いてくるカリフラワーの姿を横目で見ながら、ローブのポケットをまさぐってカギを取り出し玄関を施錠する。


「テスト」

「テスト……? ……ああ、たまにやってる学力を測るやつのことね」

「うん」


 よくよく見るとかなり熟れてきた体をしているカリフラワーはポンと手を打って、それで珍しくゆんゆんが来ていたのかとひとりで納得していた。施錠し終えたわたしは跳ねるような足取りでカリフラワーににじり寄り、根っこになっている足元から頭の先まで舐めるように見つめる。

 唐突に近付いてきたわたしに体中を検分されたカリフラワーは、その視線から何かを感じ取ってか日光浴を止め、自分の体を守るように腕を抱えて困り顔でこちらを睨む。そんなある種の媚びたような視線を無視して、わたしは口の端からこぼれたよだれをローブの袖で拭き、今日の夕飯には新鮮なカリフラワーのスープでもどうかと思案していた。


「……じゅる。カリフラワー、大きくなったね」

「こっ、こめっこ!? 私もっと大きくなれるから、お願いだから獲物を見る目で見つめてくるのはやめてもらえない? 心臓に悪いし…………」

「……もっと大きくって、どれぐらい?」

「……え、えーっと、具体的には、あと半年もすればたぶん株分け出来るぐらいに……」

「株分けしたら大きくなるの?」

「はっ、はい、私が2人に増えるので今よりももっと大きくなります……」

「増えるの!? じゃあ待つ!」


 もうすぐ2人に増えるというカリフラワーの主張を信じて、溢れ出るよだれをなんとか口の中に押し戻す。

 とりあえず今日のところは食べられずに済んだカリフラワーはほっと一息吐いて胸を撫で下ろし、あたふたしながら努めて話題を変えた。


「あっ、ほら、せっかく早起きしたんだし、重いテストがあるんだから早く学校行かないと!」

「……ん、そうだね。じゃあわたしは行ってくるから、もっと大きくなってね!」

「わ、わかったから……! 早く行ってらっしゃい! 気をつけてね!」


 そう言って、目尻に少し涙を浮かべながらも引きつった笑顔で手を振って送り出すカリフラワーに、わたしも笑顔で手を振り返して挨拶に代えて、真っ直ぐに学校へと続く獣道に向かって駆け出した。



          ※※※



「あれ、こめっこ、今日はまた随分と早いじゃん」


 教室に着き、自分の席に向かいながらクラスメイト達と軽い挨拶を交わしているわたしの姿を見つけた又隣の席の友人が、挨拶よりも先にそんなことを言い出した。それを聞いた周りの学友達も、口々に珍しい早めの出席をやんやと囃し立てる。


「わっ、ほんとだ。今日早いねー」

「まあ昨日ちょっと怒られたしね……。でもこめっこ偉いよ!」

「となると、今日は無効試合か……」


 クラスメイト達の言葉にテキトーな相槌を返しさっさと自分の席に着くと、わたしの机の上に包み紙で包まれた大きいおにぎりがそっと置かれているのに気が付いた。


「……おにぎり!」


 ゆんゆんのサンドイッチが入った袋を机の横の掛け鉤に掛け、わたしの両の手のひらでも包み込めないほど大きいそのおにぎりを持ち上げる。

「てってれえ、これ食べてもいいの?」


 左隣の席に座る、たぶん昨晩はもちろんのこと学校についてからもずっと勉強しているのだろう、死にかけの顔をしている友人に確認を取る。ゾンビのような隣人はこちらをチラリと見て、ほとんど吐息のようなか細い声でぼそぼそと答えた。


「おう、召し上がれ」

 それを聞いてから、わたしは包み紙を解いて中から現れたピカピカの白米に齧り付く。


 てってれえはほとんど毎朝おにぎりをくれるのだけど、律儀なことに中に入っている具は日によって違っていて、実のところそれが毎朝の楽しみの一つだった。

 一昨日はきゅうりのピクルス、昨日はツナマヨで、今日は甘辛いお肉のしぐれ煮。明日はなんだろう?

 毎朝のおにぎりといい、この前の喫茶店といい、ローブのことといい、いかにも餌付けされているという気がしてならないのだけれど、まあ悪い気はしないし別にいい。食べ物はねだるものだって姉ちゃんも昔言ってた。


「あひがほ!」


 律儀な隣人に律儀に感謝を伝えて、自分の席に着いて引き続きおにぎりを頬張る。てってれえはちらっと横目でこちらを盗み見てから、軽く右手を挙げてそれを返事とした。

 わたし達がいつもの朝のやり取りをしている間、奥で何やら訳知り顔をしているどろんぱは体ごとこちらを向いて左手で頬杖を突き、ずっとペンを手に勉強しているてってれえの横顔を眺めていた。


「毎日殊勝だねー。……せっかくこめっこが早く来てるんだし、勉強やめて仲良く話せば?」


 軽い口調で話しかけられたてってれえは、依然としてペンでノートに何かを書きつつ、消え入りそうな声で「うっせ」と呟いて幼馴染をぞんざいにあしらった。

 おにぎりの大半を食べ終わり、包み紙にへばりついた残りのご飯粒を舐め取っていると、机にかじりついているてってれえの背中の上からどろんぱが話しを振ってきた。


「で、こめっこ。今日はなんでそんなに早いの? なんか悪いものでも食べた?」

 口の中でもぐもぐと咀嚼しながらわたしは答える。

「ゆんゆんが起こしに来た」

「え、次期族長が? ……どこから話が行ったんだろうねー」

「わかんない、……答えなかったから」


 食べ残しまで綺麗にした後、てってれえに「ごちそうさま」と手を合わせてもう一度お礼を言い、包み紙のゴミをきれいに丸くして上着のローブのポケットに突っ込んでから、座ったまま思い切り伸びをする。お腹が膨れたからか今朝方の眠気がまた襲いかかってきて、伸びが終わるよりも早く大きなあくびが漏れ出た。


「こめっこも眠そうだねー」

「うん、すっごい眠たい。今日は重たい日だから」

「「!?」」


 私がそう言うと、突然、隣で勉強していたてってれえの椅子がガタリと鳴る。

 どうしたのかと思いどろんぱの方に視線を移すと、普段は飄々としているその友人の顔が珍しく苦笑いを浮かべていた。


「あはは……、あー、えっと、薬とかいる? 私一応持ってるけど……」

「いらない。……なんで?」

「え? だって、重たいんでしょ? テストもあるんだし、薬飲んだらちょっとは楽になるよ」


 眠気覚ましの薬とかだろうか? 別にそこまでするほどではないと思うんだけど。

 思いやりとかデリカシーに欠けていることに定評のあるどろんぱの思いがけない提案に、小首をかしげて悩んでいると、先ほど来ずっと黙り込んで勉強をしていたてってれえが、ペンを置いて机から顔を上げ、なんだか少し居心地が悪そうな表情で息を絞り出すようにして口を開く。


「あのー、一応男子いるから。聞こえてるし、そういう話は他所でやってくれない?」

「まあこめっこもそういうお年頃だしねー。男子にはわかんない辛さってのがあるんだよ、女の子には」

「……分かんないからこそ聞きたくないんだけど」

「……なにが?」

「いやー、私も基本軽いからあんまり分かんないんだけど。他の子に聞いてみてもやっぱり結構辛いらしいよ」

「……お前のそういう話、全然聞きたくないんだけど。ねーちゃんの次に嫌だわ」

「とりあえず、こめっこ。ほんとに辛かったら薬あげるから、言ってきなよー」

「ん? ありがとう?」


 なんだか気まずそうに話すふたりは、それで朝の挨拶代わりの会話はおしまいというように前を向き、てってれえは勉強を再開し、どろんぱは読んでるんだか眺めてるんだかわからないけれどとにかく机の中から教科書を出して開いた。

 3日目は重い教科ばかりだって言ってたのはどろんぱなのに、どろんぱは軽いってどういうことなんだろう? 『魔法学』とか『古語』とか、どろんぱは得意だったっけ? てってれえは『歴史』めちゃくちゃ得意なはずだけど。

 そんなことを考えている内に始業を告げるチャイムが鳴り響き、それと同時に担任のぷっちんが名簿表片手に教室のドアを開けて入ってくる。


「全員席に着けー。おっ、こめっこ、今日はちゃんと来てるな。…………じゃあ試験最終日の出欠を取る!」

 教卓の前に陣取った担任の言葉を聞いてクラスメイト達が姿勢を正す間も、ずっと勉強しているてってれえを横目にわたしはさっきのやり取りについて考えを巡らせていた。



 とにもかくにも、試験期間最終日、もしかしたらわたしの卒業が決まるかもしれない日が、こうして幕を開けたのだった。

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