第9節
涼やかな音色のドアベルを鳴らしながら入店するなり、カウンターの向こうから店主のとろすけが快活に挨拶をする。
「らっしゃい! 紅魔族随一の、我が喫茶店へようこそ! おっ、なんだ。こめっことてってれえじゃないか。学校帰りかい?」
「甘い物食べに来た!」
「お邪魔します。てかこめっこ、とろすけさんと知り合いなのか?」
「たまにご飯食べさせてくれるんだ。てってれえも?」
「まあ、たまにな。飲み物だけってこともあるけど」
「ふたりとも普段は独りなのに、今日は珍しいな。もしかしてデートかい?」
「デート?」
「ちっ、違いますよ。普通に寄り道として、甘い物を食べに来ただけです!」
「ははは、まあとにかくいらっしゃい。すぐにメニュー持って行くから、どうぞ好きな席に掛けてくれ!」
「ありがとう!」
「ありがとうございます」
平日の晴れ渡る穏やかな昼下がりにもかかわらず、喫茶店は他の客もおらず閑散としていた。
店内は椅子やインテリアなどを除けば全体的に茶褐色を基調とした内装をしており、入ってすぐ左に比較的落ち着いた雰囲気のテーブル席が2つ、右に日当たりの良い4人掛けのテーブル席が3つあり、その向かいにはスツールが9席分のカウンターテーブルが設けてある。
それに加えて店の前にはテラス席もあり、今日この頃のようによく晴れた日であればそちらへ行くのも悪くないのかもしれないが、さすがにこの時間は学友達の目に入る恐れもあるので、俺は手近な日当たりの良いテーブル席へとこめっこを促し、自分とこめっこのローブをウォールハンガーへと掛けて席に着く。
俺達が腰掛けたことを確認して、とろすけはカウンターのスイングドアから鷹揚にこちらへ歩み寄り、テーブルのちょうど真ん中にメニューを開いて差し出した。
「決まったら声を掛けな!」
声を揃えて店主に礼を述べ、2人でメニューへと向かう。
「ここのパンケーキ美味しいんだよ! 生地が綿菓子みたいにフワフワしてて、クリームもすんごい甘いの」
「そうなのか? じゃあ俺はそれにしようかな……。こめっこは、どれにするか決まってるか?」
「ん、えっとね……。『天翔ける白雲パンケーキ』と、『凍結龍の落涙と血肉のパフェ』、『暗黒に潜みし饗宴のガトーショコラ』と、あとは、あとは……」
「ちょ、ちょっと待って! 取り敢えずそこまでにして、食べてから考えよう、な?」
放っておいたらデザートメニューの端から端まで全て注文しそうな勢いで捲し立てるこめっこを遮り、俺は店主に向かって自分のパンケーキと、こめっこのガトーショコラまでの3品、それからアイスティーを2人分注文する。
店主はこめっこの食い気を熟知してか、苦笑いを浮かべたものの「あいよ!」と元気に答え、最後に、アイスティーのタイミングを確認し、奥の厨房へと調理をするために姿を消した。
「ねえねえ、これってデートなの?」
出し抜けにこめっこが訊いてくる。
「えっ、いや……急にどうした? ……さっきも言ったけど、寄り道であってデートではないと思うぞ」
「そっか。デートってしたことないけど……じゃあデートってなに?」
「……まあ、うん、どうなんだろ。……恋人と一緒に、どこかに行ったりすること、じゃないか?」
「恋人?」
「それは、好き同士の人たちのこと」
「ふーん。てってれえはわたしのこと好き?」
「———っ! はあ? いや、別に俺は……」
「きらい?」
「い、いやっ、そうじゃなくてだな……。そう、クラスメイトとしては、たぶん、好き……な、ほう。あくまでクラスメイトとして!」
「ふーん、煮えきらないね」
「煮えきらない!? じゃあ、そういうこめっこは、好きな人とかいるのか?」
「よくわかんない」
それっきりこのちょっとした恋バナには興味がなくなったのか、気まずい沈黙だけ残してこめっこは口をつぐむ。
そうしてしばらく、窓の外の飽き飽きする晴天を眺めたり、特に意味もなくシャツの袖のボタンをいじったりして沈黙を埋めていると、出し抜けにこめっこが意を決したかのような面持ちで、今朝の口論の話題を持ちかけてきた。
「てってれえはもうすぐ里を出て行って、冒険者になるの?」
「……まあ、うん。そのつもりだけど」
「……てってれえは賢いし強いから、きっとすごい冒険者になれるよ」
「……いや、首席のお前がそれ言う?」
「でも、本当にすごいと思うもん」
「はあ、ありがとう……。そういうこめっこは、もうすぐ卒業だろ? その後は、冒険者にはならないのか? お姉さん、爆裂魔法を使えるような凄い魔法使いで、たしか魔王を倒した冒険者パーティの一人なんだろ?」
「うん、姉ちゃん達はすっごいんだよ。だから、わたしも爆裂魔法を覚えるんだ! ……でも冒険者になるとか、里を出るとか、考えたこともなかった」
意外だった。てっきり、姉の後を追って、冒険者になるつもりなのだろうと思っていたが。
「なりたいと思ったことはないのか?」
「うーん……。ある!」
「……じゃあ、俺とパーティを組んで、一緒に行くか?」
「えっ!」
日頃のお返しとばかりに悪戯な笑みをしてそう言うと、こめっこは誘われるなどとは夢にも思わなかったのか、クリクリとした紅い瞳を大きく見開いて、見るからに驚いた顔をしていた。
「なんてな、冗談だよ……。お前は爆裂魔法を覚えるんだろ? だったら、パーティを組む相手はよく考えたほうが良い」
……今の俺ではきっと守れなくて、それどころか、こめっこの足を引っ張ってしまうだろうから。
「……もし、わたしが爆裂魔法じゃなくて、上級魔法を覚えたら、一緒に冒険してくれる?」
俺の言葉を曲解したのか、こめっこはいやに真面目な調子でおずおずとそんな事を訊いた。
「……うん、そりゃあ、お前ほどの魔法使いは、世界中探してもほとんどいないだろうけどさ……」
そこまで言って、赤くなっているであろう頬を隠すため、頬杖を突いて呼吸ひとつ分間を置き、視線をこめっこから窓の外の景色に移す。
大通りには、道端に生えている背の高い草を棒で叩いたりして遊んでいる学校帰りの生徒達がちらほら見えた。
「……そんなこと冗談でも言うなよ。俺が知ってるこめっこは、基本自由奔放だし、変なやつで、何考えてるのか分かんねーし、年中食い意地が張ってるし———」
「失礼」
「……でも、自由だからこそ誰よりもカッコ良くて、俺の……ライバルなんだよ。だから、カッコ良いやつが、効率がどうとか現実的にどうだとか、そんなカッコ悪いこと気にすんなよ」
熱さから察するに、たぶんもう、顔全体が茹でダコみたいに赤くなってしまっているに違いない。
こめっこと目を合わせることは出来ないけれど、俺はなんとか自分が伝えたかった事を伝えきった。
「……てってれ、なんで顔赤いの?」
「晴れてるから! ちょっと暑いんだよ」
「……ふーん」
そんなやり取りの後、2人きりの店内に静寂が訪れる。
紅潮した頬を冷ますために、俺は黙りこくったまま依然として窓の外ばかり眺めていた。
「……体育の時、ごめんなさい」
「……おう、気にしてねーよ」
「そっか」
「うん」
「……あと、——————」
「お待たせ!」
おりしも、店主のとろすけが注文の品をトレンチに乗せて厨房から現れ、先程と同じように、鷹揚とした佇まいで俺達のテーブルまで近寄って来、一つ一つ丁寧に品名を言いながら各々の前に差し出す。
一品だけだったからか、真っ先に俺のパンケーキがテーブルに置かれ、「ありがとうございます」と感謝を述べると、とろすけは微かにしたり顔をし、次にこめっこの3品をゆったりとした趣で並べて置いた。
こめっこは、料理が来たことがよほど嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべる。
「———ありがとう!!」
俺の方へと向けられていたその笑顔は、心なしか、頬が少し赤くなっているような気がした
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