第5節

「じゃ、まず誰からやる? てってれえ?」


 言い出しっぺのくせに、自分からやりたがらないどろんぱに曖昧な返事をして渋っていると、こめっこが威勢の良い声でピシッと手を挙げて答えた。


「わたしやる!」

「おーやる気だね。んじゃ一発目、格好良いの頼むよー」


 こめっこが少し考える素振りを見せ始めたので、俺とどろんぱは静かに見守っていると、唐突にこめっこは両の手の平を俺たちに向けるようにして頭の上に持って行き、本人が格好良いと思っているのであろうポーズを取って名乗りを上げた。


「我が名はこめっこ! 最強の魔法使いを姉に持つ、紅魔族随一の魔性の妹! やがては爆裂魔法を極める者……!」


 こめっこの大仰な名乗りに俺が呆然としている中、近くに立っているどろんぱは「ほぉー」と感心した態度でこめっこにパチパチと拍手を送っている。


「こめっこすごいじゃん、格好良いね」

 どろんぱの誉め言葉を受け、こめっこは自慢げに「ふふん」と喜んだ素振りを見せる。そうして胸を張った拍子に、こめっこの体操服には、育ち盛りの身長にしてはやや大きめの、発育途中の膨らみが浮かぶ。

 不意にとはいえ見てしまったことに一抹の罪悪感がわき、それから逃げるように視線を背け、先程のこめっこの名乗りに抱いた疑問を頭に思い浮かべる。


 ……魔性の妹……爆裂魔法……?


 色々と聞き咎めたい気持ちに駆られていると、どうやら同じことを考えていたらしいどろんぱが、俺の代わりに口を利き始めた。


「……ねね、その魔性の妹とか、いつ考えついたの? あ、私も一応次女だし、魔性の妹って名乗ってもいいかな?」

「だめ! 昔、姉ちゃんが『魔性のこめっこを名乗っても良いよ』って言ってくれたの! だからどろんぱはだめ!」


 こめっこらしからぬ強い否定の言葉に、どろんぱは珍しく少し驚いた顔を見せる。

 しかしそれもほんの束の間で、すぐにケロリといつもの調子に戻り、

「えーだめー? いいじゃん、減るもんじゃ無いんだしさ」

「だーめー!」


 依然として否定するこめっこにどろんぱが駆け寄り、その小さな肩に右手をまわして顔を近づけ、左手の人差し指でこめっこのむくれた頬をグリグリと弄る。

 どろんぱのこういう淡白さは、昔から変わらず尊敬出来る、彼女の数少ない美点のひとつだなと納得する。

もっとも、ズボラな性格の裏返しでしかないのかもしれないが……。


「……やー、でもほんと、こめっこはお姉ちゃん好きだよねー」

「うん、大好き!」

 躊躇なく答えるこめっこの目を見るからに、恐らく本心からそういっているのだろう。


「珍しいよねーいまどき。うちなんて、昔から怒られてばっかりだよ。……そいや、てってれえのとこも、最近あんまり仲良くないんだよね? ねーちゃん、前にうち来た時嘆いてたよー。『ついに反抗期か!』って」

「ひとんちで何言ってんだあのアホ姉」

「ケンカしちゃダメだよ。ね、こめっこ? 仲良くしなきゃダメだよねー?」


 うりうりとこめっこを愛でているどろんぱに話を振られ、こめっこは目線を上げて俺をまっすぐ見る。


「お姉ちゃんと、仲悪いの?」

「いや、別に、仲悪いってほどでもないんだけど……。てか、どろんぱは知ってるだろ、うちのねーちゃんのめんどくささ。いつまでも小さい頃のこと掘り返して、過保護に構ってくるやつ」


 頼んでもいないのに何かと首を突っ込んできて、煩わしい思いをさせる心配性の姉。

 他にも、今朝の朝食の毒見のこととか、人の部屋にノックもなしに入ってくることとか、飲み止しのジュースを勝手に、しかもラッパ飲みすることとか、姉の嫌なところなんて挙げ始めたらキリがない。


 そんな数々の不満を飲み込んでどろんぱの方に目を向けると、「まあねー」とどろんぱも納得するような顔をしていたのだが、隣のこめっこはどうやらそうは思わなかったらしく、


「でも……過保護ってことは、それだけてってれえのこと心配してて、好きなんだよ? 好いてくれてる人を、悪く言うのは良くないよ。たったひとりのお姉ちゃんなのに」

「うっ……いや、まあ、そうなんだろうけどさ…………」


 こめっこの、純真無垢の権化のような瞳で見据えられ、それ以上の反論が出来ずに固まってしまう。

 するとさっきまでこめっこに擦り寄っていたどろんぱは、ぱっと体を離して助け舟を出すかのように会話に参入してきた。


「さっすが魔性の妹、いいこと言うねー。お姉ちゃんに憧れて、爆裂魔法を習得するんだもんね?」

「うん! いつか、すごい爆裂魔法使いになって、姉ちゃんと勝負するんだ!」



 ———爆裂魔法。

 炸裂魔法、爆発魔法、爆撃魔法に次ぐ、魔法スキルの中で最も高い威力を誇る、究極の破壊魔法。

 しかし、その習得方法はほとんど伝えられておらず、長く魔法研究に携わった者でも必ず習得出来るというわけではない。

 おまけに非常に高いスキルポイントが必要であったり、消費魔力が極端に多いため習得しても扱えるというわけではなかったり、またほとんどのシチュエーションでは使用するデメリットの方が遥かに高かったりと、その習得難易度に比べて余りにも使い勝手が悪いことから、魔法使い職の間では「ネタ魔法」とさえ呼ばれている欠陥スキル。


 話を聞く限り、こめっこの姉はどうやらその爆裂魔法を扱う魔法使いのようだが、それにしてもそんな欠陥魔法を習得したいなんて、やっぱりこめっこは変わっているなと感心すらしてしまう。

 どうやらどろんぱも同じ感想を抱いたらしく、笑いながら爆裂魔法の話を続ける。


「あははっ、ほんと、こめっこはブレないねー」

「爆裂魔法ってすごいんだよ! ドゴーンって音がして、バーンって爆発して、ドビューンってすごい風が吹いて……!」


 学年首席にもかかわらず、壊滅的な語彙力で爆裂魔法の良さを熱弁するこめっこ。

 ……バカげた考えではあるが、それでも、これだけ一つのことに熱中出来るということは、たぶん、良いことなんだろう。


「で、スキルポイントは後どんくらいなの?」

「ふふんっ……あと2ポイント」


 誇らしげにそう言ってこめっこは胸を張る。

 邪な欲望が頭によぎるも、なんとか理性でそれを押し殺し、俺はこめっこから自然に目を逸らす。


 ……逸らした先で、たまたま担任とばったり目が合ってしまった。


「じゃ、次のテスト明けぐらいで卒業じゃん」

「そ、だからすんごい楽しみなんだ!」


 じろりとこちらを睨みつけている担任の視線にはまるで気づかずに、相も変わらず無駄話をしている2人に、「まずいまずい」と声を掛けて、戦闘訓練もとい名乗りの練習に戻るように促す。


「えー。じゃ、次はてってれえの番だね」

「やなんだけど……。そういうお前は、なんでしねーの?」

「おっと……、学年首席はやってのけたのに、次席殿は出来ないというわけですかな?」


 ………………イラッ。


「ま、そうだよねー。出来ないから、次席なんだもんね! そんな調子じゃ、一生掛かっても次席のまま———」


「はああ!? 出来ますが? 出来るとも! やってやるよ!」


 度重なる次席煽りを受け、ついムキになってやると言ってしまった。

 しかし、俺とて紅魔族の端くれ。

 馬鹿馬鹿しいとは思っていても、こういった名乗りを考えなかったわけではない。

 俺は大きくすぅーっと息を吸って、以前考えついた決めポーズを取って大きな声を上げる。


「我が名はてってれえ! 紅魔族随一の剣士にして、冒険者を目指す者! やがては世界中を旅する者!」


 …………息巻いてやったはいいものの、冷静になってみて恥ずかしさが込み上げてきた。

 2人の方に視線を向ける。

 こめっこは「おー」と聞き入っていたが……どろんぱの方は案の定、口に手を当てて笑いを堪えていた。


「ぷぷっ…………すぅーーーはあああーーーーー……。いやー次席殿、流石だね……。すごい、格好良かったよ……ぷふーーっ‼」


 …………だめだ、すげー殴りたい!


 感想を言い終えるやいなや、堪えきれずにゲラゲラと笑いこけるどろんぱとは違い、こめっこはずっと無言でいる。

 その無言の圧力がさらに俺の羞恥心を掻き立て、顔を真っ赤にして立ち竦んでいると、ひとしきり笑ってようやく落ち着いたどろんぱが続ける。


「いやー、いいもの見せてもらった。普段クールぶってるくせに、なんだかんだちゃんと考えてたんだねー」

「うっせー! そりゃあ、俺だって紅魔族なんだから一度や二度ぐらい、考えたことあるわい!」


 そうしてしばらくの間、ガミガミと言い訳をする俺とそれを笑うどろんぱを無言で見守っていたこめっこが、ぼそりと小さい声で呟いた。


「……2人、なんだか兄弟みたいだね」


「え? うん、そう? こんなでも幼馴染だしねー。10年も付き合ってたら、まー兄弟みたいにもなるよ」

「お前と兄妹とか願い下げだっての」


 そう言って邪険にすると、どろんぱは「つれないなー」と言いながらにじり寄ってきて、こめっこに見せつけるかのように俺の右腕に腕を絡ませ「お兄ちゃん」と言いながらクスクス笑った。


「でも、てってれえが世界を旅したいってのは知らなかったなー。え、じゃあ卒業したら、里から出て行くつもりなの?」

「当たり前だろ。もう転送屋に送って貰えるだけのお金も貯めたし、旅支度だって、とっくに始めてるよ。てか近い、離せ!」

「なに、照れてるの? いいじゃん、兄妹なんだし?」

「違う。いいから離れろ!」


 強引に腕を引き抜いてどろんぱから距離をとり、余計な勘違いをされていないかとこめっこをチラッと見てみたが、いつも通りこの不思議ちゃんは何を考えているのか分かり辛い。


「それで、いつ頃出発する予定なの?」

 先程までのやりとりなどなかったかのように、気を取り直して尋ねてきたどろんぱに対し、どう答えるか悩んだものの、どうせすぐにバレるわけだし嘘をついても仕方がないと言う考えに至る。


「……近いうち。14になったら、もうそれなりに大人だし」

「14って、やがてどころか、再来週じゃん。え、そんなすぐ出発するわけ? 学校は? どうすんの?」


 次々と質問を重ねるどろんぱに、俺は少し辟易した気分でぶっきらぼうに答える。


「再来週かどうかは分かんねーよ。まあでも、とにかく早く俺は冒険をしたいの!」

「えー、意外、そんなこと考えてたんだね。言ってくれれば良かったのに。でも、てってれえがいなくなったら、寂しくなるね」

 思ってもいなさそうな顔で告げられた世辞を、俺はテキトーに「はいはい」と軽くあしらう。


 一連の話の流れで、こめっこのことをすっかり置いてけぼりにして、どろんぱと他愛もない話をしていると、普段はマイペースなこめっこが珍しく話題に入りこんできた。


「てってれえって、アークウィザードじゃないのに、卒業出来るの?」


 そんなこめっこの何気ない、しかしさっきあえて答えなかった話題についての疑問に、それまでの和気あいあいとした雰囲気が崩れ、しばしの気まずい沈黙が訪れた。


「……わーお。こめっこ、それ地雷だわ」

「別に、アークウィザードじゃなくたって魔法は習得出来るし、卒業だって出来るだろ」

「でも、冒険者のままだと、上級魔法を覚えるためのスキルポイントいっぱいいるよ? わたしは分からないけど、冒険者って色んな職業のスキルを覚えられる代わりに、スキルポイントもいっぱいいるんじゃなかった?」


「なにも上級魔法だけが魔法ってわけでもないだろ。中級魔法や初級魔法だって、使い方によってはそれなりに役に立つだろうし」

「効率悪いと思う。それだったら、強い魔法使いとパーティを組んで、その人に任せた方が良いよ。でも、それだと卒業できないもんね」


 他でもないこめっこに、図星を言い当てられたことの怒りと恥ずかしさから首元まで真っ赤にし、苦り切った声で俺は反論する。


「はあ? 効率云々で言うんだったらお前だって———」



「ああああああーーっ!!」



 躍起になって言い返そうとしている俺のすぐそばで、出し抜けにどろんぱが何かを指差しながら大声で叫んだ。

 そのあまりの声量に、一緒のグループの俺たちはおろか、他でペアを組んでいるクラスメイト達や担任までも、どろんぱが指を差す方へ向き直る。


「校長が大事に育ててるヒマワリの芽が、ことごとく燃えていってるんですけどー!」

「む、まずい! あまりの完成度の高さに、生徒達の目だけでなく、ヒマワリの芽にまで俺の魔法が焼き付いてしまったか……!」

「せ、先生―っ! 今そういうのいいんで、早く消した方がいいんじゃないですか!」


空気を読まない担任の軽口に、どろんぱだけでなく他のクラスメイト達も慌てた様子で叫びだす。


「そうだな。生徒諸君! 急いでバケツに水を入れてきて、一つでも多くの芽を保護するんだ! それ、突撃―っ!」


 担任の掛け声と同時に、クラスメイト達が一斉に花壇の近くにある水道へと走り出す。

「変なとこでムキになってどうすんの」

 どろんぱは去り際にちらりとこちらを見て小さくそう呟き、クラスメイト達を追いかけて走り去った。

 深呼吸をひとつして、それが彼女なりのフォローだったと思える程度に落ち着きを取り戻してから、皆の後を追いかけて俺も走り出す。

 こめっこはいつも通り、何を考えているのか読めない面持ちで、独りポツンと校庭に佇んていたが、


「ほらー! こめっこも、早く行くよ!」


 少し離れたところからどろんぱが振り返り声を掛けると、「わかった」と言ってこめっこも駆け出した。



 この日、クラスみんなで必死のバケツリレーを行った甲斐もなく、校長が半月の間、手塩にかけて育てていたヒマワリは、見事に全て灰になり水に流れた。

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