第3節

 教室へ入ってくるなり、担任のぷっちんは教卓の上に持っていた名簿と………どうして今それが必要なのか謎だが、ポケットから取り出したバナナを1本置いて生徒達の方を向く。


「出席を取る。……あらお! えれおん! きんこん! こさみん!」


 順番に名前を呼ばれた生徒が、次々と返事をする。

 レッドプリズンでは、つい数年前までは男女が別々のクラスに分かれていたそうだが、「いっそまとめちまった方が、余った分俺らの休憩時間が増えるんじゃね?」と考えついたらしいエセ聖職者達の総意で、現在はほぼ全ての学年が男女共学という教員のための素晴らしい制度を導入している。


 世間では折からの少子化の影響で子供の人数が減っていると聞くが、紅魔の里はむしろ増えつつある。いや、回復しつつあったと言う方が的確かもしれない。

 というのも、元々は冒険者として生計を立てるために出て行った里出身の若者たちが、4年前の魔王討伐により平和になったことを期に仕事を辞め、子供を伴って実家へと帰省し始めたからだ。

 それにより以前は少なかった純血じゃない紅魔族も散見されるようになった。数こそ少ないが、今では紅い瞳ではない紅魔族の子供も珍しい話ではなく、だからといって紅魔族の他の特徴が受け継がれていない訳でもではないし、そんな子供に心無い言葉を浴びせる者もいない。いたとしても誰かしらに厳しく注意される。

 またそういった出戻り組のために、集落の隣には新たに住まいを拵えるためのスペースが設けられていた。


 同い年の子供は本来ならどろんぱを含む数人だけのはずだったのだが、そういう背景で俺達が入学する年には子供の人数が回復していた。

 とりわけうちの学年は人数が多く、女子が8人、男子が7人の計15人。座席は横に5席、縦に3席であり、縦横で同性の者が被らないようになっている。里に3人ぽっちの紅い瞳ではない紅魔族の子供はクラスに2人もいた。


「次、こめっ———」


 担任が言い終えるすんでのところで、後ろの扉が大きな音を立てて勢いよく開き、同級生達に比べても若干小柄である少女が、開閉音に負けじと大きな声で返事をして入ってきた。


「はい!!」


 勢いよく教室に入ってきた少女は息を切らしながらも自分の席に着き、手早く荷物を片付け、まるで初めからそこにいたとでも言うかのように、ピンっと高く手を挙げた。


「……こめっこ、お前の家は確か学校から目と鼻の先のはずだろう。だというのに、なぜお前はそうも毎日毎日ギリギリの登校になるんだ?」

 担任は名簿から顔を上げ、あらかじめ教卓に置いてあった謎のバナナの皮を剥き始め、真っすぐにこめっこの方に視線を向けて詰問を始める。


 しかし、責められているはずのこめっこは、未だ切らしている息を整えながら、ニコニコとした顔で担任の問いに答えた。


「悪魔と戦っていました!」

「なっ、なにい!? 悪魔がいたのか!? この学び舎の周辺に!」


 朝っぱらからハイテンションな我らが担任は、わざとらしく食べかけのバナナを手から落として驚いたリアクションをする。

 ほとんどルーティンかのように毎朝行われているこういった二人のやり取りは、いつの間にか一部クラスメイトの間で「こめっこチャレンジ」と呼ばれており、最近ではそのチャレンジの成否で飲み物を賭ける者まで現れる始末であった。


 今日も今日とてそんな生徒がいるらしく、ほとんどがぼーっと聞き流している中、数名のクラスメイトは固唾を呑んでこめっこを見守っていた。

 鼓動ひとつ分の間、教室は静寂に包まれたが、やがてすぅっとこめっこが息を吸い……。


「わたしの家に、お布団の悪魔がいるんです!」


 全員の視線を集めた少女は、自信満々といった態度でそんな謎の陳情を述べた。

 しかし、ここまでは全員の計算内。

 こめっこの陳情はほぼ毎日意味不明か、どう考えても無理があるものであるため、実際のところチャレンジの成否を決めるのは担任の気分だけなのである。

 今日に至ってはわざわざバナナまで用意していたこともあり、こめっこに軍配が上がるかと思われたが……。


「……そうなんだ、すごいねー」


 そう言って名簿にサラサラと何かしら記入をし、担任はテキトーに話を流した。

 それを受け、恐らくこめっこに賭けていたのであろう生徒が、小さく「チッ」と舌打ちをする。


 …………うちのクラス、治安わりーなあ。


「よし、遅刻はこめっこだけだな。欠席者はなし、と。……じゃあ一時間目は体育の授業だから、全員体操服に着替えて校庭に集まるように」


 途中から名簿を読み上げるのも面倒になったのか、担任は早々に出欠を切り上げ、教卓の上に落としたバナナを「3秒ルール」と呟いて口の中に放り込み、必要事項だけ告げて教室を後にした。

 担任がいなくなった途端、クラスメイト達は先程中断させられた会話を再開したり、今朝のチャレンジに勝った者が喜んだりし、ワイワイガヤガヤとクラスが騒がしくなった。


「やー惜しかったね、こめっこ。後一押しで、遅刻取り消しに出来そうだったのにねー」

 ついさっき、隣で下品な舌打ちをかました敗北者のどろんぱが、俺の机を挟む形でこめっこに声をかける。


「……でも、お布団の悪魔は怖いよ。一度包まれてしまったら、二度と外に出ることは出来ないもん」

「あははっ、何言ってんだコイツ」


 こめっこの返答にツボったのか、賭けに負けてさらに頭がおかしくなったのか、どろんぱはゲラゲラと腹を抱えて笑った。


 ———こめっこ。

 俺の右隣の席であるその女生徒は、俺がライバル視している、紅魔族史上随一と称される天才少女である。

 この学年の生徒達より2歳下であるため本来ならば学年が違うはずなのだが、ずば抜けてポテンシャルが高かったことから飛び級で俺達と一緒に《レッドプリズン》に入学し、そして……年下にもかかわらず、入学以来ずっと首席の座をキープし続けている忌々しい神童なのである。

 おまけに本人だけではなく、彼女の姉もまたとてつもない大魔法使いであるらしく、なんでも学生時代は妹同様に卒業まで首席を貫いただとか、紅魔の里に攻めてきた魔王の幹部をとてつもない魔法の一撃で滅ぼしたとか、さらには、魔王を倒した勇者パーティの一人だとか、その伝説を挙げていくと枚挙にいとまがない。

 そんな彼女を、生まれながらの体質で遅れを取る俺が敵視するのには、それほど時間はかからなかった。


「あっ、そうだ。こめっこ、なーんかてってれえが話あるんだってさー」

 賭けに負けた腹いせがしたかったのか、出し抜けにこちらへ話を振ってきたしたり顔のどろんぱを、俺は非難の目で睨む。


「ん、なに? てってれえ」


 くりくりとした猫のような紅い瞳で、こめっこがこちらを見つめる。

 両隣から板挟みの形になってしまった俺は、こめっこの方へと向き直るも、どうしたものかと鼓動半分の間口をつぐむ。


 どろんぱの言う話とは、例の誕生日会のことなのだろうが……。

 そこまで言ったんならもう自分で言えよと思いつつ、バツが悪そうに頭を掻きながら口を開いた。


「あー、……いや、ほら、どうせまた、腹減ってんだろ? 俺の昼飯のおにぎりあげようと思ってさ」

「えっ、いいの!? やった!」


『おにぎり』という単語に過剰に反応したこめっこは、くりくりした目をキラキラと輝かせ、大喜びで「はやくよこせ」と食い気味に詰め寄ってくる。

 その距離が余りにも近すぎたため、意図せずこめっこのさり気ない匂いが香ってきた。こめっこの匂いは他人特有の嗅ぎ慣れていないものだったが、なんだか言葉にしがたい良い香りの気がした。

 そんな邪な考えから逃げるかのように、おれは机の横にかけていたカバンの弁当袋から、他のものより一段と大きめなおにぎりを1つ取り出してこめっこに手渡す。


 それを受け取ったこめっこは勢いよく包み紙をひん剥き、現れた光沢のある白米の塊に、じゅるりとよだれを垂らしながら口いっぱいにかぶりついた。

 もぐもぐと一心不乱におにぎりを頬張る姿が、まるで冬を前にした木鼠みたいに思えて、つい頬の端が緩む。


 しばらくの間、そうしておにぎりを咀嚼しているこめっこを温かい目で眺めていると、隣からどろんぱが耳元に顔を近づけてきて、俺にだけ聞こえる声量でそっと呟いた。


「……本当に勝つ気あるの?」


 声がした方を振り向くと、鼻先のすぐそこでどろんぱはニマニマとしたり顔をしている。


「うっせ、余計なお世話だ。あと、お前近い」

 左手でどろんぱの肩を持ち、「やーん照れてるー」と軽口を叩く少女の体を押して遠ざけ、自分の鞄の中から体操服を取り出し席を立つ。


「へっへへー、ひふもあひがほ!」

 頬袋に米をいっぱい含みながら、こめっこは満面の笑みで俺に感謝の言葉を告げる。


「ん、ゆっくり食えよー」

 赤くなった頬を隠すようにぶっきらぼうに答え、今では男子更衣室となっている隣の教室へと向かうため、2人に背を向けて歩き出したのだが。


「にししっ、じゃ、頼んだよ。ヘタレさん!」


 …………イラッ。


別れ際にそんなことを言ったどろんぱのため、俺はピタッと足を止めて踵を返し……。



「———っっっ! 痛っっったぁあああっ!!!」


いっつも一言多いお節介焼きの幼馴染の頭に、拳骨をくれてやったのだった!


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