桃子とひかる

クライングフリーマン

桃子とひかる

 50年前のある日。私は、小学校6年生。

 近所のクソ餓鬼が、私を虐めていた。罵詈雑言を言って、傷が残らない程度に、小突くのである。私は、町内の剣道教室に通っていた。先生に「剣道に限らずだが、武道やスポーツをする者は、喧嘩になりそうになった時、絶対手出しをしてはならない。一方的に「暴力を振るった」ことにしてしまう。我慢するんだ。」と教えられていた。

 だから、絶対に手出しは出来なかった。回り道をしても、奴らはやって来た。

 今のようなICレコーダーやスマホは無かった。録音データの為に、持ち歩ける機械はラジカセやMD位だったが、私は持っていなかった。証拠は残らない。

 ある時、うんざりしながら我慢していると、4つ年上の桃ねえちゃんが、通りがかった。

「あんた達、何?弱い者イジメ?」「弱い者イジメ?竹刀持ってるのに反撃しないから、虐めて欲しいんだよ。だから・・・。」

 桃ねえちゃんは、それ以上言わせず、頬を平手打ちした。真っ赤な紅葉が奴らの頬に残った。

 いじめっ子の親は、警察官を連れて桃ねえちゃんの中学校に乗り込んだ。

 暴力を振るった女子中学生、となじった。

 学校は、桃姉ちゃんの親を呼び出した。親である、須藤院長は、サラサラと一筆書いた。

「平手打ちは、行きすぎかも知れません。どうぞ私の娘を、私の目の前で生徒達に平手打ちさせて下さい。その代わり、天童晃(ひかる)君を、剣道を私刑に使ってはならないという師範の教えを守っているのを承知、小突いていたことを認めて下さい。口約束でない証拠にここに血判を押します。父兄の方も教育者らしき方々もご承知おき下さるのなら、ここに血判を押して下さい。」

 校長と父兄達は、黙ってそれを読んでいた。

「承知しないと言ったら?」と父兄の1人が言った。

「あなた方の親族と、学校関係者に限り、たとえ救急でも診療行為を行いません。『ひとの口に戸は建てられない』と言います。卑劣な行為をした者達は、裁判になった時に証人が多いことを確認出来るでしょう。」

「それって違法でしょう?」「違法?人間で無い者は診察しませんよ、私は獣医ではないので。」

 この話は、後で桃姉ちゃんに聞いた。

 ある日。私はテレビ番組を真似て、桃姉ちゃんに「付き合って下さい。」と言った。

 桃姉ちゃんは、「ごめんなさい。50年待って。」と衝撃的な断り方をした。

 私は、翌日、母の『転勤』に伴って、転校した。

 その後、幾つかの『出逢い』はあったものの、誰とも添い遂げることは無かった。

 50年後のある日。

 私が武道顧問をしている、テロ対策組織に、陸自から派遣されて、桃姉ちゃんが来た。

 医務室。50年前のことを話し合った。

「ばかね、ひかるは。5年待って、って言ったのよ。父の後を継いで医学の道に進むって、いつか言ったじゃない。医大に合格したら、正式に付き合うっていう返事だったのよ。50年も待つなんて、『天然記念物』だわ。そういう私もひかるが好きなまま年取っちゃった。」

 そう言うと、桃姉ちゃんは医務室で私にキスをした。その場の雰囲気は、助手の看護官に壊された。

「先生。血糖値も測るんですか?」「え、ええ。すぐ準備して頂戴。天童さん、先にその機械で血圧を測って下さい。」

 その夜、私の家で、私と桃姉ちゃんは結ばれた。

 それから、何ヶ月かが過ぎた。

 テロ対策組織に就職した看護師飯星と、桃姉ちゃんの助手の高坂の結婚式。

 賊が忍び込んでいることを察知した桃姉ちゃんは、自虐ネタで場内を沸かし、テロ対策組織に賊を捕えさせた。

 残念ながら、賊は亡くなった。

 その夜、ベッドに派手なネグリジェを着た、桃姉ちゃんは言った。

「ひかる。今夜から、桃子って呼んで。籍は入れなくていいけど、対等の夫婦でいたいの。」

「桃子。幸せになろう。」「もう、幸せよ、ひかる。50年も待ってくれてありがとう。」

 桃子には言わない方がいいな、と私は思った。実は、ガキどもに小突かれた後遺症で耳鳴りがしていて、50年に聞こえたのだと言うことを。

 ―完―



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

桃子とひかる クライングフリーマン @dansan01

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ