Side B

第3話

「ベロニカ様、恐れながら今のままですと貴女は2年後に婚約解消されます」

「なんですって?」


 ある日、親しくもなんともない令嬢から突拍子もないことを言われた。


「実は私、未来のことがわかるんです」

「あなた頭がどうかしているのではなくて?」


 最近妙な視線を感じるようになったので、ひとりにならないようにしていた。迂闊にも寮の中だからと油断してしまった。

 視線の主はおそらく目の前の少女だ。

 中肉中背で特徴のない顔立ち。記憶を探り、我が公爵家の寄り子の娘だと思い出した。


「信じがたいでしょうが、私は至って正気です。この先なにも手を打たなければ、ベロニカ様は卒業前に婚約解消され、侯爵令嬢が王妃となる可能性が非常に高いんです」

「我が国に現在婚姻可能な状態の侯爵令嬢は存在しないわ」


 先程から無礼が過ぎるし、言っていることもおかしい。

 心の病なのか、非合法な薬物を摂取しているのか。どちらにせよ危険人物に違いない。


「今はまだ存在しない、です。彼女はこれから侯爵家の娘になるんですから」

「……」

「私に分かるのは限定的な未来だけです。この紙にこのさき2年間に起きる災害・大事件が書かれています」


 アゲラタム子爵令嬢は、自分に特殊な能力があると主張してきた。

 全く信じていなかったけど、この場を逃れるべく、わたくしは差し出されたメモを受け取った。



「どうしたものかしら」


 異常者に絡まれたのだから、対処しないわけにはいかない。

 問題はこの件に関して誰に報告して対策を練るかだ。


「……ベロニカ。君にしては珍しく、浮かない顔だね。どうしたんだ?」

「殿下」


 口にも顔にも出てしまっていたらしい。

 不甲斐ない己に喝を入れ、いつものように「問題ございません」と言いかけて止めた。


「実は寄り子の娘がおかしなことを言い出しまして……」


 この程度の問題、王妃になるのであればひとりで解決できなければ、と思いつつわたくしは婚約者であるデルフィニウム殿下に報告した。


 異常者の思考回路は、正常な人間には理解しがたい。

 先日だって、わたくしの対応次第では激昂した相手に危害を加えられていたかもしれない。

 女の細腕であっても、他人に致命傷を与えることは可能。

 幸い殿下はわたくしと同じクラスで学ぶ学生なので、協力を得やすい。


「──……そうか。たとえ相手が同性だとしても、対峙するのは怖かっただろう」


 幸いにも殿下は事態を重く受け止めてくださった。

 何気ない言葉だが、思えば殿下からこのように気遣う言葉を聞いたのは久しぶりで、わたくしはどう返事をしたら良いのかわからなかった。

 言葉が出てこないわたくしに、殿下は困ったように眉尻を下げた。ああ、またこの顔をさせてしまった。


「……今回の件、君はどうみてる?」

「今の時点ではふたつの可能性があると考えております。ひとつは流言で他人を操り何かを成そうとしている。残るひとつは……信じがたいことですが、本当に予知能力がある」

「彼女自身がどこかに所属する工作員、もしくはそういった人物に利用されている可能性もある。君に影から護衛をつけよう。その上で相手の狙いを探ってもらいたい。……いけるか?」

「ええ、もちろんです。お心遣い感謝いたしますわ」



 件の堤防を秘密裏に調べたところ、アゲラタム子爵令嬢の言葉通り杜撰な工事をしていたことが判明した。

 確かに水の勢いが増せば、水圧で崩れかねない。


 しかし殿下もわたくしも堤防に手を加えることはしなかった。

 本当に大雨が降るのか分からないが、堤防が決壊したとしても浸水するのは小さな村がひとつ。

 問題の堤防がある領地を治めるのは、かねてより汚職疑惑があった人物なのでこれを機に処分することになった。


 被害が出るかどうかもわからず、更に出たとしても小規模なものであるとわかっているならと、手出しせず自然に任せる案もあったが、慈悲深い殿下は「民に被害が出るかもしれないと分かっていて見過ごすことはできない」と、人手が必要な事業を打ち出して、村の人間を報酬アメ命令ムチを使って移動させた。


 わたくしが持ち込んだ情報を真摯に取り扱ってくださるそのお姿に、改めてこの方の隣で国を支えていきたいと烏滸がましくも強く願った。



 子爵令嬢の言葉は流言ではなかった。

 彼女の背後関係を洗っているが、今のところ不審な動きや怪しい人物との接点はない。


「洪水の件、どうでしたか?」


 ブルビネ伯爵令嬢が席を外すなり、アゲラタム子爵令嬢が切り出してきた。

 退出と言っても続き部屋に移動しただけなので、会話は丸聞こえだ。

 迂闊すぎる言動に、わたくしの中で彼女自身が工作員という可能性は消えた。

 残るは誰かに利用されているか、人の身に余る力を持ってしまっているかだ。


「あなたの言葉通りでしたわ。決壊した部分を調べたところ欠陥が見つかりました」

「そんな!? 決壊すると言ったのに放置したんですか!?」


 出どころの怪しい情報を一蹴しなかっただけ感謝してほしいのに、上から目線で批難されてわたくしは気分を害した。


「あのねえ。他領のことに、確たる証拠もない状態で干渉できるわけがないでしょう」


 それに常識で考えてほしい。

 内部告発があったことにして、強制捜査するにしても彼女が情報を持ってきたのは期日エックスデーの一週間前だ。そんな直前に言われても時間が足りない。


「そ、そうですよね。すみません」

「被害を受けた村については、適当な理由を作って事前に住民を避難させたので死傷者はいません。これで満足?」


 彼女が過ぎた情報を持て余している善良な人間なら、この結果に満足するはずだ。


「ええと……」


 わたくしの言葉に、バツの悪そうな顔をする子爵令嬢。

 やはり彼女の目的は2年間、我が国を襲う不幸を回避することではなく、もう一つの侯爵令嬢と殿下の婚姻の阻止のようだ。

 災害の情報は、わたくしを信用させるための材料でしかない。


「──……あなたの望みはなに?」

「私はベロニカ様に王妃になっていただきたいのです」


 単刀直入に問うと、彼女は迷うこと無く答えた。


「確かにアゲラタムは我が家の寄り子だけど、わたくしが王妃になっても旨味は少ないのではなくて? それに何もしなくても、わたくしと殿下の婚約がどうこうなることはないわ」


 わたくしと殿下の婚約は、現在の貴族間のバランスを崩さないことにある。

 今の状態を安定させるためなので、成婚したところで各方面への大きな影響はない。


「いいえ。このままだとお二人の婚約が解消される可能性が高いんです。ベロニカ様のお力になる理由としては、その……ご成婚のあかつきには私に良い縁談を用意していただけないかなぁと」


 取ってつけたような理由を述べると、彼女は誤魔化すようにぎこちない笑みを浮かべた。


「──……失礼ながらお二人の仲は伴侶の距離ではなく、同僚のそれです」


 今まで殆ど交流がなかった人物に言い切られて、わたくしは絶句した。


「お互いに心を許していません。相手に寄り添ったり、慈しみ合ったりしていません。替えのきく仕事仲間状態です」


 身に覚えがある。だが傍から見てもそう感じるような状態だったのかと思うとショックだった。


「今更どうしろと言うの」


 知らず言葉がこぼれ落ちる。

 今がダメだと指摘されたところで、ならどうすればクラスメイトの婚約者同士のように仲睦まじくなれるのか見当もつかない。


「ベロニカ様の家庭事情は存じ上げています」

「あなたに公爵家の何が分かるというの」


 知ったような口をきかれて苛立った。


「ご家族と距離があること……いいえ、公爵家が家族として機能していないことで、親しい者のコミュニケーションのしかたを知らないことを存じています」


 我が家の内情を言い当てられて絶句した。

 その情報はどこから得たものなの?

 内通者?

 予知というのは他家の事情まで見通すことができるものなの?


「ベロニカ様は雑談や、たわいない話ができないのが致命的なのです」

「わたくしは、ちゃんとお友達と会話できているわ」

「ベロニカ様の会話は、情報交換とか相手を指導しているだけです」

「あなた、言葉が過ぎるのではなくて?」

「不敬を承知で申し上げております。ここでハッキリお伝えしないと、ベロニカ様は変わりません」

「……」


 恐怖を感じながら会話を続ける。まともに受け取ってはダメよ。

 占い師や詐欺師は、相手にショックを与えてから寄り添うような態度をとるものなのだから。

 今彼女が言った言葉だって、もしかしたら大多数に当てはまることを言っただけで、心当たりがあるわたくしが動揺しているだけかもしれないのよ。


「よろしければ、今度我が家へいらっしゃいませんか? 他の家庭が、家族間でどんな会話をしているのか参考になると思います」

「そうね……」


 彼女の招待に応じれば、真の目的がわかるかもしれない。



「ベロニカ様……」

「あなたもそう思っていたの?」


 アゲラタム子爵令嬢が部屋を後にすると、別室で控えていたブルビネ伯爵令嬢が姿を現した。


「私はベロニカ様が真摯で、御身に相応しい振る舞いを心がけていらっしゃることを存じております。そんなベロニカ様だからこそ多くの子女が従うのです」

「……友人同士の会話ではないと言われたわ」

「そもそも彼女の言う友人とは、どんなものなのでしょうか。平民や、下級貴族同士の馴れ合いを指しているのではありませんか? ベロニカ様は公爵令嬢で、後に王妃となる御方。言葉ひとつ、態度ひとつが大きな影響力を持つのです。子爵令嬢のような交流はできません」


 彼女は言葉を尽くしてくれているが、それすらわたくしが言わせているんじゃないかと疑わしく思ってしまう。


「ベロニカ様。招待の件だけでなく、ご自身の抱える不安に関しても殿下に相談なさるべきです」

「そんなこと──」

「夫婦の形はそれぞれです。それにこう考えてください。お二人は公人なのだから責務を果たすために報告・連絡・相談をしないことのほうが問題なのだと」

「相談って、どこまで許されるのかしら」

「お互いの許容範囲であれば問題ございません。それを知るためにも、まずは殿下にお話なさってください」

「……ありがとう。あなたが居てくれて良かったわ」

「お役に立てたのであれば幸いです」


 ブルビネ伯爵令嬢は微笑むと、殿下付きの騎士に連絡してくれた。

 子爵令嬢によって乱された心は幾分和らいだが、一度うまれた小波はいつまでもわたくしの中に不安として残り続けた。



「──……公爵家の親子仲については聞き及んでいる。君を搾取したり、危害を加えているわけではないので静観していたが、まさか対人関係の構築で悩んでいるとは思わなかった」

「お恥ずかしい限りです」


 ブルビネ伯爵令嬢とは幼い頃からの付き合いだ。

 彼女はいつもわたくしに対して誠実だった。

 彼女の指摘は正しいと思ったので殿下に相談したのだが、話している内に弱音をはいているだけではないかと段々自信がなくなっていった。


「恥じることはない。本来なら最も身近な家族、次に親戚や友人を参考に対人能力を育むものだ」

「使用人が職務に専念できるよう気を配っています。意見を求められれば答えられます。でも殿下やクラスメイト相手ですと、どう接するのが最善なのかわからないのです」

「人間関係に正解なんてないさ。誰もが手探りで、日々小さな失敗を繰り返しているんだ」

「でもわたくしの立場で失敗は許されません」

「大きな失敗はね。だから先ずは俺相手に練習しよう。俺達は家族になるんだから。身内相手の失敗なら問題ないさ」

「殿下を練習台にするなんて、そんな恐れ多いこと……!」


 外の人間に対して失敗したら取り返しのつかないことになるから、まずは内々で練習をということなのだろうが、その相手が王太子だなんてとんでもない。


「二人の関係は、当事者が決めれば良いんだ。俺は君に失敗しても良いから、頼ってもらいたいと思っている。君はどうだ?」

「……殿下にとって替えのきく仕事仲間なんて嫌です」


 ああ、どうしよう。殿下の問いに対して、ズレた回答をしてしまった。

 これが授業であれば、教師から叱責される。


「子爵令嬢の言葉は気にするな。俺はそんなこと思ってない」

「でも。……他人からそう思われている、というのは事実です」


『心を許してない』

『相手に寄り添ってない』

『慈しみ合ってない』


 あれは周囲から見た、わたくしたち二人の評価だ。


「……もしかしたら彼女の狙いはそこかもしれない」

「え?」

「僕達の関係に亀裂をいれることだ。信用を得た上で、弱点を刺激して君を不安定な状態にしている」


 反射的に「違う」と言いそうになったが、思い当たる節がある。

 わたくしと殿下の関係について、子爵令嬢は不安を煽ることを告げるだけだった。

 対してブルビネ伯爵令嬢は、わたくしに建設的な提案をしてくれた。

 そこが二人の大きな違いではないのか。

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