第2話

「ベロニカ様、恐れながら今のままですと貴女は2年後に婚約解消されます」

「なんですって?」


 未来の王妃として無防備になるのを避けているのか、ベロニカ様は基本集団行動している。

 ゲームの記憶を取り戻したのが入学のタイミングだったので、もう時間がない。

 ジリジリとしながらベロニカ様を観察していた私は、寮の廊下で漸く彼女がひとりになったので素早く接近した。


「実は私、未来のことがわかるんです」


 時間が無いので家名を名乗り、単刀直入に切り出す。


「あなた頭がどうかしているのではなくて?」


 顔をこわばらせたベロニカ様が、一歩さがった。

 助けを求めているのか、視線を左右に走らせている。


 この態度。どうやら彼女は転生者じゃなさそうだ。

 もしゲームのことを知っていたり、前世の記憶があれば王子との関係を変えるなり、今の私の言葉にもっと別の反応を示しただろう。


「信じがたいでしょうが、私は至って正気です。この先なにも手を打たなければ、ベロニカ様は卒業直前に婚約解消され、侯爵令嬢が王妃となる可能性が非常に高いんです」

「我が国に現在婚姻可能な侯爵令嬢は存在しないわ」


 未婚の高位貴族は公爵家の令嬢が二名。うち一名がベロニカ様で、もうひとりは御年5歳。

 侯爵家に年頃の娘はゼロで、伯爵家はチラホラいるが全員婚約済み。


「今はまだ存在しない、です。彼女はこれから侯爵家の娘になるんですから」

「……」

「私に分かるのは限定的な未来だけです。この紙にこのさき2年間に起きる災害・大事件が書かれています」


 いまだに警戒の色が濃いベロニカ様に、メモを差し出す。


「ベロニカ様を追い落とす令嬢は、来週起きる洪水が原因で侯爵家に迎え入れられます」

「洪水……?」

「工賃を浮かせるため、杜撰な工事をされた堤防が決壊するんです。被害を受ける村についても、この紙に書いてあります。私のことが信じられないのは仕方ありません。でも聡明な貴女なら、この情報を無駄にはされないと私は信じています」


 ここでベロニカ様がうまくやってくれれば、ヒロインは侯爵家に引き取られない。

 即ちゲームが始まらずに終わる。

 それに洪水を未然に防ぐことができるなら、それにこしたことはない。



 2週間後。


「アゲラタム子爵令嬢。ベロニカ様がお呼びです」


 放課後になり、私が人が疎らな教室で帰り支度をしていると、悪役令嬢の取り巻きAことブルビネ伯爵令嬢が声を掛けてきた。

 彼女に連れられた先は、寮にあるベロニカ様の私室。

 高位貴族用の特別室だ。

 私の部屋がワンルームのアパートだとすると、ベロニカ様の部屋は億ション。生まれ変わっても変わらないどころか加速する格差社会……


 私が部屋に入ると、ブルビネ伯爵令嬢は静かに退室した。

 必然的に二人きりになる。

 これはもしかして、信用されたのでは?


「洪水の件、どうでしたか?」

「あなたの言葉通りでしたわ。決壊した部分を調べたところ欠陥が見つかりました」

「そんな!? 決壊すると言ったのに放置したんですか!?」


 てっきり調査して、決壊しないよう修復したと思いこんでいたので非難めいた口調になってしまった。


「あのねえ。他領のことに、確たる証拠もない状態で干渉できるわけがないでしょう」

「そ、そうですよね。すみません」

「被害を受けた村については、適当な理由を作って事前に住民を避難させたので人的被害は発生していません。これで満足?」

「ええと……」


 人命が救われたのは喜ぶべきことなのだが、村の水害は阻止できていない。

 住む家を失ったヒロインは、結局侯爵家に引き取られたんだろう。


「あなたの目的は、この国の災害被害を減らすことではない。そうでしょう?」

「……仰るとおりです」

「わたくしの信頼を勝ち取り、何かを成したいのでしょう。あなたの望みはなに?」

「私はベロニカ様に王妃になっていただきたいのです」

「確かにアゲラタムは我が家の寄り子だけど、わたくしが王妃になっても旨味は少ないのではなくて? それに何もしなくても、わたくしと殿下の婚約がどうこうなることはないわ」

「いいえ。このままだとお二人の婚約が解消される可能性が高いんです。ベロニカ様のお力になる理由としては、その……ご成婚のあかつきには私に良い縁談を用意していただけないかなぁと」


 自分で行っておきながら、動機が浅はかすぎて恥ずかしくなった。


「情勢を鑑みて組まれた政略結婚よ。それこそ国際的な異変でも無い限りわたくし達の成婚は揺らがないわ」

「今は国内外の情勢が落ち着いているので、王家の威信を強化するためにお二人が婚約されたことは存じております。しかし切羽詰まった事情が無いが故に、メリットを上回るデメリットがあれば覆される婚約でもあります」

「デメリット? そんなもの」

「失礼ながらお二人の仲は伴侶の距離ではなく、同僚のそれです」


 思案顔のベロニカ様に、畳み掛ける。


「お互いに心を許していません。相手に寄り添ったり、慈しみ合ったりしていません。替えのきく仕事仲間状態です」


 かなりハッキリ言ってしまった。


「今更どうしろと言うの」


 ポツリとベロニカ様が漏らす。


「ベロニカ様の家庭事情は存じ上げています」

「あなたに公爵家の何が分かるというの」

「ご家族と距離があること……いいえ、公爵家が家族として機能していないことで、親しい者とのコミュニケーションのしかたを知らないことを存じています」

「……」


 公爵夫妻は仮面夫婦だ。

 お互いに最低限しか言葉を交わさず、娘を可愛がったりもしない。


 ベロニカ様には弟がいるが、お互いに勉強で忙しい。同じ家に住みながら週に一回顔を見るかどうかの関係だ。


 家族団欒というものを経験したことがないベロニカ様は、他人とのコミュニケーションの基礎が使用人との上下関係と、城の教育係との師弟関係の二択になっている。


「ベロニカ様は雑談や、たわいない話ができないのが致命的なんです」

「わたくしは、ちゃんとお友達と会話できているわ」

「ベロニカ様の会話は、情報交換とか相手を指導しているだけです」

「あなた、言葉が過ぎるのではなくて?」

「不敬を承知で申し上げています。ここでハッキリお伝えしないと、ベロニカ様は変わりません」

「……」


 心当たりがあるのか、ベロニカ様は考え込んでしまった。


「よろしければ、今度我が家へいらっしゃいませんか? 他の家庭が、家族間でどんな会話をしているのか参考になると思います」

「そうね……」


 少し迷う仕草をした後、彼女は頷いた。



 丁度連休が近かったので、私はベロニカ様を大草原の小さな実家に連れて行った。

 両親に公爵令嬢だと知らせてしまうと、いつも通りの姿を見せるのは難しいので、家名は告げずに学校でできた友達とだけ紹介した。


 身分を隠して服を地味にしても、ベロニカ様の艶々の肌や髪、所作の美しさは隠しようがない。

 薄々察しつつも、家族は「アナベルの友達のベラドンナ嬢」を歓迎してくれた。

 子爵家の面々の遠慮のないやり取りに、おっかなびっくり状態だったベロニカ様も、最後の方は我が家のノリ慣れてくれたと思う。


「ウチの家族と打ち解けていただけてよかったです」

「諦めたと言うか、こういうものなのだと受けいれたのよ」

「もし殿下と婚約解消なんてことになったら、ウチの兄と結婚することになるので、相性悪く無さそうで安心しました」

「なんですって!?」


 うっかり失言してしまった私に、ベロニカ様が噛みつく。


「だっ、大丈夫ですよ! そうならないように尽力しますから!」

「冗談じゃないわ! 本当はそれが狙いだったの!?」

「違いますって。ヒロイン──じゃなくて、侯爵令嬢がベロニカ様の後釜に座ったら、そういう未来もあるってだけです」

「……前々から思っていたけど、あなたの未来視ってどうなってるの?」

「学園入学時から卒業までの限定的なものです。身の回りの人物とか、自分にも影響するような大きな出来事を所々わかる程度です」

「過去視や、自分の望む情報を視たりはできないの?」

「できません! だから卒業後に起きることは当てられませんからね! アテにしないでくださいね!」

「そう。そうなのね……」


 我が家での練習の成果が出たのか、後日デルフィニウム王子から「婚約者が世話になった」とお礼の品が実家に届いた。

 仰天した両親から「どうみても良い家のお嬢さんだから、事情があるんだろうと追及しなかったが、ブーゲンビリア公爵令嬢なら言うべきだろう。寄り親だぞ!」と、私にお叱りの手紙がきたのはまた別の話。



「ついにこの日が来てしまったか……!」


 洪水の件で覚悟していたが、侯爵令嬢となったヒロインが編入してきた。


 さすがヒロイン。可愛いの権化。ベロニカ様が綺麗系なら、ヒロインは可愛い系。

 天然アイドルの化身のようなヒロインは、そこらの可愛い系女子とはオーラが違った。


「ベロニカ様、お願いですからカトレア嬢には絶対に近づかないでくださいね」

「わたくしから近付くことはなくても、彼女から挨拶に来るわよ」


 新参者が番長に挨拶するようなものだ。

 現在学園内の女社会はベロニカ様をトップに形成されている。公爵令嬢ヌシにお目通りして許しを得ないと、学園で女生徒達と交流することができない。


「挨拶は仕方ありませんが、最低限の会話にとどめてその後は距離をおいてくださいね」

「ダメよ。そんなことをしたら、未来の王妃が理由もなく特定の令嬢を爪弾きにしていることになるわ」


 ベロニカ様の生真面目さが悪い方向に働いている。


「良いですか。お二人の相性は最悪です。ベロニカ様にそのつもりはなくても、一緒にいるだけでカトレア嬢を虐げていることになってしまうんです。婚約解消の理由の一つがそれなので、回避するためにはカトレア様と同じ空間に居ないのが一番なんですよ」


「一緒にいるだけで虐げるなんて納得できないわ。確かにあなたから色々話を聞いたけど、遠目に見た限りでは問題のある人物には見えなかったもの」


「相性の問題なので、単身ならそれは問題なく見えますよ! とにかく、少しでも破滅の可能性を減らすために彼女とは距離をおいてください!」


「……わかったわ」


 よしよし。不満そうにしながらも、最終的にベロニカ様は了承してくれた。


 編入から今に至るまでサポートキャラである私に接触してこなかったことを考えると、ヒロインが転生者かどうかはわからないが、少なくともゲームの知識はない。

 となれば、不安要素すべて対策しなくてもベロニカ様との接触を阻むだけで、王子ルートはあらかた潰せる。


 念の為ヒロインには、溺愛タイプの攻略対象を紹介しておこう。

 彼女を放置して、うっかり王子ルートに入ったら困る。

 彼女に薦めるのはお色気担当キャラだ。

 女遊びが激しい色男だが、ヒロインに出会ってからは誰よりも一途になり尽くしてくれるスパダリだ。

 機転が利くしエスコートも上手いので、ヒロインが少々やらかしてもスマートにフォローしてくれるだろう。


 私は胸を撫で下ろした。

 きっと全部上手くいく。




 結局ヒロインが王子と親しくしているなんて噂は流れないまま、平穏無事に月日は流れた。

 遠目に見る侯爵令嬢は、最初のころはぎこちない感じだったが、徐々にこの学園に馴染んでいったのでヒロインにとっても悪役令嬢にとっても良い結果トゥルーエンドに終わったんだと思う。


 卒業式前日。

 教師に呼び出されて応接室へ行くと、そこにはデルフィニウム王子と両親が居た。

 ベロニカ様とは親しくさせていただいたが、王子には紹介されていない。このまま一度も言葉を交わさずに卒業するものだと思っていたので、寝耳に水のイベントに驚いた。


 もしかしてベロニカ様が王子に私のことを話して、婚約者との仲を取り持ったご褒美をくれるのかなと期待した。

 ベロニカ様を信用していないわけじゃないが、異性よりも同性が薦める男性の方が良縁な気がする。


「──……アナベル・アゲラタム」

「はい!」

「俺は君がしたことを全て把握している」

「はい!」

「なら俺が何のために君を呼び出したかは分かるな」

「え? ええと……お礼とか?」


 視界の端で両親が息を飲む。母に至っては、泣き出してしまった。

 私のマナーの拙さに肝を冷やしているのか、父の顔色が悪い。


 あれ? どうして私のノートがテーブルの上にあるの?

 ゲームの内容が書かれたノート。もしかして私の部屋を漁ったの? 誰が? なんのために?


「……話には聞いていたが、これは酷い。君のような危険人物を野放しにすることはできない。家族は無関係だと確認が取れたため、君ひとりが修道院に入れば家の咎は問わないこととする」


「──え?」

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