第36話

「ねえ、エミリー。マダム……、茨木さんが亡くなって悲しくないの」

 エミリーが傘を回す気配。

 しばらく沈黙が続く。運動部の掛け声が遠いどこかでこだましている。

「それは、悲しい」

 エミリーがつぶやくように話す。

「突然だったし。持病があることは知っていたけれど、まったく予期していなかった。ううん、それは嘘だ。いつか茨木さんが亡くなることは覚悟していた。目をそらさずに覚悟していた。覚悟していたのに、訃報を聞いてすぐに駆けつけることもできず、部屋で泣いていた」

 また、沈黙。

「でも、」

 エミリーが息を吸い込む。

「通夜のミサにはゆくことができた。その式は厳かではあったけれど、信じられる? 明るい雰囲気があったの。茨木さんの友達が、みんな泣きながらも笑顔で賛美歌を歌っていたの。

 そうだよ、クリスチャンなんだから、天国にゆくのは喜びなんだ。そんな風に思えたのは初めてのことだった。

 確かに体はこの世にはなくなってしまったけれど、天国で再会できる。だから、わたし、茨木さんに会う時、恥ずかしくない自分でいようと思っている」

 エミリーも文月と同じようなことを言う。

 日傘がまた、くるりと回る。

「そんな、悲しいけれど、清々しい式の中央に飾られていた写真があった。見る人みんなが褒めていた。ううん、褒めるというより感動していた。茨木さんの惚れ惚れするような美しさ。プロが撮ったのだって誰も疑わなかった。

 それなのに、まさかあんたが撮っただなんて! それを聞いた時、驚いたけれど、誇らしい気分にもなった」

 わたしはまだ下を向いていた。

「だから、ヒーコ。写真をやめないで。茨木さんは、今も、空から、わたしたちのことを見ている」

 エミリーの声が震える。エミリー?

「こっち見ないで」

 振り向こうとしたわたしを制する。

「わたしは茨木さんと天国で会う約束がある。

 でも、今すぐじゃない。今、行ったら悲しませてしまう。

 だから、スコーンと紅茶でのもてなしは、ずっと先にとっておく」

 わたしはエミリーを見上げる。

「スコーン、わたしも食べたよ。あれはおいしかった!」

 エミリーはさっと視線をそらす。そのまま校門へ向かって歩き出す。わたしに背中を向けたまま、手をあげる。

「サンキュー、エミリー。バッチリだよ。あとは!」

「分かってるわよ。絶対に死んだりしない」

「気をつけて帰って!」

「ふん、じゃあね、ヒーコ。チャオ」

 エミリーは日傘をくるくると回し、涼やかに去ってゆく。

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