第35話
しばらく誰からもメッセージは届かず、誰にも会わない時間が過ぎた。朝からあれほど騒いでいた蝉の声もやんでいる。もう1度シャッターを切る。
パシャン。
それは冷たく廊下に吸い込まれる。
課題がスタートしてから、50分を越えようとしている。制限時間は3時間。それすらわたしは破ってしまうかもしれない。
課題のことなど、どうでもよかった。このまま逃げてしまってもよかった。
でも。
そんなにわたしにカメラをやめて欲しくないなら、その覚悟ってやつを見せてよ、と思う。だけど、誰も覚悟が必要なほど写真に撮られることを怖がっていない。わたしだけがバカみたいに怯えているのだ。
スマートフォンが震える。びっくりしたわたしは、手元から落としてしまう。頑丈なスマートフォンの画面は今度も少しもヒビが入らなかった。
>来たわよ
それはエミリーからのダイレクトメッセージだった。
>どこ?
>校門
>すぐゆく
走ってわたしは校門を目指した。ざあっと風が吹いて、校庭の砂を巻き上げる。砂嵐がやむと現れる人影。それはものすごいドレスアップしたエミリーだった。
レース編みの白い日傘、明るく長い髪の毛は丁寧に編みこまれ、まるでティアラのように頭に巻きつけられている。白いノースリーブのタイトなワンピースは、腰に大きなリボンを背負っている。ヒールの高い靴もピカピカに真っ白。日傘の手元は、それに合わせるような白いレースの手袋。とても品がいい。晩餐会とかレッドカーペットとか、そういう場所にふさわしい。ここまでくる間にどのくらいの人に振り向かれたんだろう。とびきりエレガントな装いだ。
「死んでもいいように、一張羅で来てやったわ」
「死なないんでしょ」
「当たり前じゃない。あんたのカメラでわたしが殺せるかっつーの」
いつも通りの上から目線だ。
「よろしくお願いします」
わたしは深く一礼する。
「どんなポーズをとればいいの?」
「うーん、そうだな。エミリーらしく、偉そうにしてよ」
「はあ? こうかしら?」
顎を上げすました表情。日傘は畳まれて剣のように地面に突き刺される。エミリーはその柄に両手を置き、体の前に立てている。まったくエミリーらしい、いいポーズだ。
わたしは蜂飼くんのカメラを構える。そのカメラには85mmの単焦点レンズがついている。ポートレートに最適のレンズだ。
適度な距離を取り、わたしは震える指でシャッターを切る。目をつぶってしまった。おそるおそる再生した画像はブレまくってひどい写真だった。
「あんた、テキトーな写真なんか撮ったらタダじゃおかないからね」
わたしはエミリーをにらむ。
エミリーもわたしをにらみ返す。
ふう、と息を吐いたあと、わたしはバシャバシャと連写するようにシャッターを切り始める。最高の写真を撮ってみせる!
このカメラに瞳オートフォーカス機能はなかったけれど、顔認識はしっかりしてくれる。手前の瞳にピントが合うようにしっかり構えて撮影する。
「もっといろんなポーズが見たい。日傘を差して」
そうリクエストすると、エミリーはびっくりするくらいその表情を変化させる。どこぞの深窓の令嬢かっていうほどおしとやかな表情に変化する。
背景はぼかすから、後ろが砂埃でも構わない。でもミラーレスカメラじゃないから被写界深度、ボケの具合は撮影した後でないと分からない。でも撮影のリズムを崩したくないから、夢中で撮り続ける。
エミリーはモデルみたいにシャッター音に合わせて、いろんなポーズを取ってくれる。思わず声が出る。
「何、エミリー、モデルなの?」
「知らなかったの?」
小一時間ほど撮影を続けた。メモリーカードも半分以上の容量を使ってしまった。
わたしは再生画面を凝視する。上からエミリーも覗き込む。日傘の影が落ちる。
液晶画面に浮かび上がるエミリーは力強く前を向き、美しい。ああ、いい写真が撮れた。わたしは下を向いたまま、画面から目をそらさずに尋ねる。
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