第10話

 ♦︎


「お、オオミズアオ。よくこんなの撮れたな」

 わたしは、その日の夜、さっそく撮影した写真を自分のタブレットで現像する。RAWで撮った写真はそのまま出力するととても眠い写真になってしまう。眠い写真というのは、メリハリがなくてのっぺりした写真のこと。そこで、現像という作業が必要になるわけ。タブレットの中には現像用のアプリがインストールされているから、わたしはそれを使って明るさや色の補正をする。スライダーを動かして暗い部分を持ち上げると、隠されていた本来の色が蘇ってくる。

「この蛾、オオミズアオっていうんだ。すっごい綺麗だね」

 写真を覗きに来たお兄ちゃん。

「綺麗だけど、ちょっと怖いよな。結構でかいんだろ」

「うん」

 そう言って、わたしはマダムとオオミズアオが一緒に写っている写真までスクロールする。

「うわ、でか!」

 オオミズアオの写真をズームする。多くの写真はブレていたけれど、何枚かはピントがしっかりと合っている、すごくよい写真が撮れた。

「解像感がハンパないな。これ、マクロレンズで撮ったのか?」

「そう。分かる?」

「分かる分かる。さすがカミソリマクロって言われるだけあるよな」

 写真の解像感っていうのは、どう説明したらいいだろう。セピアとカラー、というのはちょっと違うな。解像感の高いセピアの写真もあるもんな。そうだ! 時代でいえば昭和と令和くらいの違いかな。ほら、昭和のものって、カラーなのにすっごく懐かしい色合いというか風合いがあるでしょ。生まれてもいないのに、そういう風に感じちゃう。使い切りカメラで撮ると、そういう写真ができるよね。フィルムのカメラで撮られる写真は、そういう柔らかい感じがある。それに対して、今のカメラはレンズの性能もよくなって、カリカリに撮れるって表現したりするんだけれど、自分の目で見た以上のものがその写真には写されている。そういう驚くようなきめ細やかさが解像感と呼ばれるものの正体のような気がする。

 マクロレンズで撮影したオオミズアオは、木の葉のアンテナみたいな触角の一本一本まで撮影できている。マダムの目元のシワのスジまでもしっかり写っているけれど。でも、そのシワの陰影がなんともいえず美しくて、わたしは、ほっと溜息をつく。

 そしていよいよマダムの肖像画の現像に取り掛かる。

 こちらも数十枚あるけれど、レンズの開放値による明るさ以外は、ほとんど変わりのない写真が撮れている。パンフォーカスされているので、背景の壁や少し写り込んだカーテンもしっかり解像されている。

 現像ソフトの中には、プリセットといって、あらかじめ数値の設定されたフィルターが用意されている。フィルグラのフィルター効果と似たようなもの。でも今回は、それを使わず、なるべく撮影時に近い、わたしのまぶたの裏側に焼き付けたあのヒスイ色とマダムの肌の白さを表現しようと思っている。

「柊はポートレートも撮るようになったんだ」

「うん。今度お兄ちゃん撮ってあげようか」

「お、いいぞ。ばっちりスーツで決めてやる」

「えー。お兄ちゃん、スーツ着ると、なんかチャラくなるから嫌だな。普段のボーダーTとかの方がいいよ」

「オレ、チャラいか……?」

「うん。チャラいね」

 心なしか、お兄ちゃんがとぼとぼとリビングを出ていったのは気のせいだろうか。

 ともかくわたしは、しっかりとこのポートレートを仕上げなくては。仕上がったら、お兄ちゃんの部屋(仕事場だ)にあるA3ノビまでプリントできるプリンターで、印刷しよう。

「あ、待てよ」

 わたしは、時々お世話になっている写真屋さんの存在を思い出した。あそこなら銀塩プリントという、写真の印画紙に薬品を使った焼き込みをしてもらえるはずだ。インクジェットのプリンターでも十分綺麗なんだけれど、なんか、写真を焼くという方が、マダムの好みかもしれない。時間が経っても退色が少ないはずだしそれがいいね。

 そうと決まれば、現像したデータをjpgに書き出さないといけないな。USBメモリに入れて持っていけばいいから、お兄ちゃんにお願いして貸してもらおう。

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