愛(エロース) ll
「いやぁ,面白い。体験の内容ももちろんだが,まず話し方が巧いな」
「別に面白く伝えようとしてるわけじゃないんだが......まあ,楽しんでもらえたなら」
「おもしろいっつうのは興味を惹かれるっていう意味で,だ――『突然現れた美しい青年,僕は確信したんだ。彼を見たことがあるわけでもないし,データバンクに記録されているわけでもないのに。でもわかるんだ,彼は大天使ジブリルだと』きれっきれだねぇ」
「なんだ馬鹿にしてるのか!」
「ちがうっての,なんで伝わらないかな。あの迫真の語り!あれは迫力があったぞ。卓がガタっと」
エステスとルークは動物園を出ると,行きつけのパブに立ち寄って話の続きを始めたのだった。パブでは酒の代わりに一時的に思考を陽気にするチップが提供される。体内に取り込まれた有機物をエネルギーに変換する内燃機関があるために食事自体まったく意味がないわけではないし,酒を飲むこともできないことはないのだが,いかんせん酔えないので風情がない。このチップを手や目のセンサーで読み取れば,――それはそれで風情がないことには目を瞑るとして――彼らアンドロイドでも酔うことができる。元は戦闘用アンドロイドの機能を奪う手段として開発された技術が娯楽用に転用された形だ。
「まあ,僕も信じてほしいと思って話しているわけではないから楽しんでもらって一向にかまわないんだけどね,話し方に注目されてもさ」苦笑を浮かべたエステスは前髪を撫で付け,その手でグラスを手に取り,精製水を口に含んだ。
「信じるも何も......」頬の赤らんだルークはロックの精製水を呷ると,「おめぇ,プールで泳いでたら陸について,そっから神様に会っちまった,なんて言われてもなあ。お前はいつも本ばっか読んでるから自分で物語を作りたくなっちまったんじゃないのか,としか思えんのよ」と下唇をつんと突き出して言った。
「それはそうだな。別にいいんだ,面白い体験だったからね,自分一人で独占するのは惜しいじゃないか。楽しいことはみんなで共有しないと」
「そうですね,酒も,肴も,独りでよりも皆でのほうが進みますから」ルークのグラスを替えに来たマスターがエステスに答えた。整ったカイゼル髭のマスターは蝶ネクタイにぱきっとしたシャツ,黒いトラウザーとそれを吊る革製のサスペンダー,先のとがったストレートチップの革靴を身につけていて,英国紳士を思わせた。
「何かおつまみなど要りますか?本日は桜チップが入荷しましたので,燻製がおすすめですよ」
「そうだな,ソーセージを一皿。ルークはどうする?」
「俺はナッツにしよう」
「かしこまりました」
「エステス,酒を飲んだことはあるか?」マスターがつまみを用意しにキッチンに戻った後,ルークはそんなことを尋ねた。
「ああ,海で人間を相手にしてた頃の話だ。400年は前のことになるな。仕事が終わった後に,人間の女の子に声をかけられてね。」エステスは頬杖をついてルークの正面に並んだ調味料に顔を向けた。
「僕が働いてたところは労働時間外のアンドロイドの管理が緩くてね,退勤後すぐに休眠ポッドに戻る必要はなかったから,今みたいに人間やほかの
「ほう......」
「まあ,そういうわけで僕は彼女の話を聞いてあげたわけだ。そのうち,彼女はずいぶん酔ってしまってね。だから彼女を滞在先のホテルに――」
「ほう......!」
「それで,ああ,この話はこれで......」
「終わるわけないよな,え?」
「その,彼女をおぶって居室に連れて行ったら,ベッドに誘われてだな.......」
「よし!いいねぇ,お前もやるやつだな,初めて聞いたぞ!」
「いや,でも,その,がっかり,されて......」
「あん?」
「無い,から」
「......ああ。そうだな」
二人は同時に目の前に並ぶワイン瓶,そのどれもが数百年物の希少なボトルだが,それをぼんやりと眺めた。彼らアンドロイドが形だけでも生殖器を持たなかったのには,世界的に出生率が低下の一途をたどる中でアンドロイドと人間のセックスがその傾向に拍車をかけるのではないかという懸念があった。アンドロイドの開発者たちに反論する余地はなく,結果としてアンドロイドはエロースから見放されたわけである。
「こちら,ソーセージと,ナッツになります。ソーセージにはお好みでハニーマスタード,トマトソース,ペッパーをお使いください」
ダークブラウンの卓に山盛りのナッツ,6本のソーセージ,そして付け合わせのトマトとブロッコリーが並んだ。
「結構大盛りだな」
「いつもより多いな。気ぃ利かしてくれたんだろ」
「今の話のどこで気を利かせるんだ」
「ヤれなかったとこだろ」
「ああ,その話なんだけど,指で」
「......はあ?なんだよ。慰めてやろうと思ったのに。ちっ。愛の女神に見放されたのは俺だけかよ」
がっくりと項垂れたルークはソーセージにマスタードをたっぷりつけると真ん中から噛みちぎり,歯の噛み合う音が聞こえるほど強く咀嚼して,水で流し込んだ。
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