紀元 III

 エステスとルークは買い物客で賑わうマインカイの通りを抜け,かつてアンジーに潰されたキオスクの跡地に建つセブン・イレブン(水金土の日中に勤務するショッパー・アンドロイドがアジア系でキュート)を二人して眺めた後,ヴェックマルクトの通りに出た。鏡面のような先進的ビルディングはレンガ色の空を反射して,中世ヨーロッパの趣ある建物を装っている。その中に,本物のレンガで建てられた歴史を感じさせる建物が一つ――フランクフルト大聖堂だ。


 喝采――。


 エステスは人間の遺したもののなかで機械たちにとって最も存在意義の乏しい教会をじっと見つめた。その姿は,金銭的,物理的,精神的様々な困難を乗り越えて待望の聖地巡礼を果たす敬虔な信徒そのものであったが,その実,彼の脳内ではマルウェアに感染したコンピュータのように大量の検索タブが開いては閉じてを繰り返していた。脳はオーバーヒートを起こし,緊急冷却に伴ってこめかみから水が排出された。

「まったく不思議なもんだな」ルークは教会を首を傾げて言った。「建材ならいくらでもこの星にあるのに,どうして人間はわざわざ地球から土を持ってきて,それを焼いたのを使ったんだろうな」

「地球にあったフランクフルト大聖堂を再現するためだろう」エステスはきっぱりと答えた。

「再現?はん,馬鹿馬鹿しい。13世紀に作った時と同じ工程で作ると?その論理で言うならば地球の土は当時と何もかもが違うだろうが。ペタベクレル級の核汚染が各地で発生したんだ。その土だって,汚染された土を洗浄して用いたんだろう。そんなものが『母なる大地の』土なのか。」

「君が訊いたんじゃないか……」となりで耳の下から斜め下方向に蒸気を噴出させているルークに肩をすくめて言いかけた。

「人間は意味を大事にするから。彼らにとって意味があったのは,火星の潤沢な石材を使うことではなく,汚染されていない資源を使うことでもなく,地球のものを使ったという事実なのさ」

「ああ,そうか」ルークはすべてを理解して勝手に納得がいったような,意地の悪い顔を作った。「またお決まりの魂というわけだ」

「甚だ不愉快だ。滅んだ種族のことをいくら語ったところで不毛なのはわかっているが,癪に障るんだ。何のために人間は我々を作ったというんだ。効率のためだろう。なのにどうして非効率なことをせんと欲したのか。それが魂だの気持ちだの愛だので理由付けされて,さぶいぼがでるぜ,ううっ」

 ルークは自分の体を抱きしめて大げさに震えてみせた。

「君は人間のこととなると本当に熱いよなあ。本当は人間が好きなんじゃないのか?」エステスは意地悪そうに問うた。

「やめろ。おれはマイツァイルのなんとかっつうウェア・カートリッジ店の9942WS一筋だ」

「一筋ってなんだよ」

「あ?」

「好きってことか」

「そんなんじゃねえよ,ただ……」

「ただ?」

「しつけえぞ。なんだ929,今日は」

「いや,なに,今日MSレジャータワーのプールに行ってね,そこで面白い体験をしたものだから。こう,世界観とか価値観ががらっと,ような」

「変わ……」

 ルークは驚愕してエステスを見つめた。今は単なる工業用水路でしかない人工河川マイン川を背に,エステスはルークと教会の間らへんに視線をあわせて悠然と立っていた。


「おじさん,たいへん,オプティカルセンサーからレンズなみだ護溶液がこぼれてるよ。MS修病院センターに行かないと。」

 しゃぼん玉をふいて遊んでいたジュ―ヴァナイル・インフォメーションロボットが身体に異常をきたしているルークに適切なアドバイスを与えた。

「ああ,そうだな,俺はどうやらおかしくなってしまったようだ」ルークは少年に無価値なトークンに等しい、小さな銀色の1ドイツマルク硬貨を与え,「ありがとう」と笑顔で感謝した。

「大丈夫だよ,そんなに大変じゃないよ。きっとゴムパッキンを替えてもらうだけで済むと思うよ。じゃあね,おじさん」少年は去っていった。しゃぼん玉は日の光をうけて黄色く光り,少年を不思議そうに見ながらルークのほうへと歩いてくるエステスを避けるように二手に分かれて高く空へと飛んでいった。

「今の話を聞いていたな。俺のセンサーが不調らしい。確かに最近ゴムパッキンを替えたのは2年以上前と記録に残っている。一応耐用年数は3年なのだが,まあ,そういうこともあるだろう。というわけで俺は修理センターに行くがお前はどうする?」

 ルークは流されていくシャボン玉を見送った後に目線をエステスの方に戻して問いかけた。

「まあ,俺はひまだからついていこうかな。どうせ修理センターは予約なしだと2時間は待たされるだろう?それにセンターシティの修理センターなら僕の友達もいるからちょっと顔出してあげたいしね」エステスのサラサラなブロンドヘアーが風に揺れた拍子に,しゃぼん玉の最後の一つが毛先をつんとつついて弾けた。

「そうか,じゃあ道すがら聞かせてくれよ。お前がプールで体験したという面白い"出来事"について」ルークは"出来事"のところでイーグルクローをした。

「長くなるぜ」エステスはにやりと答えた。それに対してルークは「ならその後は動物園にでもいこう」と応じた。

 エステスとルークはフランクフルト大聖堂の前を横切り大通りに出た。

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