沈黙のケーキ

藤泉都理

沈黙のケーキ




 ショートケーキ。

 オペラ。

 モンブラン。

 チーズケーキ。

 ロールケーキ。

 シフォンケーキ。

 タルト。

 パイ。


 一度食べたケーキを具現化できる魔法を会得した私は、走って、走って、走り抜いていた。

 私を追いかけるケーキ屋さんたちから逃げる為だ。

 そりゃあそうだ。

 一度食べたケーキを無限に具現化できるなんて。

 具現化したそのケーキを売買された日にゃあ、商売あがったりだ。

 そりゃあ、さっさとそんな魔法消去しちまえと、鬼の形相で追っかけられても仕方がない。

 だが、私はそんな悪用はしない。

 断じてしない。

 そう、人生で一番真面目な顔をして訴えても、涙を流しながら訴えても、聞く耳を持ってくれない。

 そりゃあ、そうだ。

 そんな殊勝な事を言っても影では売りまくってるんだろうって勘ぐるケーキ屋さんたちの気持ちは痛いほどにわかる。

 わかるが、本当に悪用しない。

 私はただ。

 ただ一人の為に、この魔法を取得したのだ。

 ああ、ああ、わかっている。

 私が具現化した数多のケーキたちを捧げたい方が、ケーキ屋さんたちの常連客だという事は重々理解している。

 その常連客を失うかもしれないのだ。

 だって、買わなくても、私が魔法でどしどしケーキをあげてしまうからだ。

 そりゃあ、この魔法を消去しろと鬼の形相で追いかけるってもんだ。

 理解している。重々理解している。

 だから、一回きりだ。一回だけ、見逃してほしい。

 あの方に、思いっきり、ケーキを。

 いつも数を制限しているケーキを思いっきり食べてほしいのだ。

 一度だけだ。

 そうしたら、あの方はまた、常連客に戻るから。

 私も魔法を消去するから。

 だから。






「………べう」


 私は慌てて隙間ができていた口を強く閉ざした。

 沈黙だ。沈黙を貫くのだ。

 口を開いたが最後、言葉を発したが最後、あらゆる罵詈雑言を一日、いや、一週間は寝る間も惜しんで絶え間なく吐き出し続ける事だろう。

 ゆえに、沈黙だ。

 この魔法会得に五年かかったとか。

 この魔法を会得してから、一年かけてあらゆるケーキ店を梯子してケーキを食べ続けたとか。

 その努力の結晶が、壮大な予定が無に帰してしまったのだ。

 この日の。この日の為にしてきた事すべてが。


(パッパラパー)


 沈黙である。

 沈黙。

 ちんもく。


(魔法局め。今に見ていろ。必ず、復讐してやる。この恨み、晴らさでおくべきか)


 沈黙である。

 手だけ、目だけ、足だけを動かすべし。

 ケーキ屋さんにそっぽを向かれた日にゃあ、自分で作るしかないってもんだよ。

 作るケーキに怨恨を籠めちゃあいけないってもんだよ。

 表面だけではだめだ。

 内心も。

 沈黙を貫かなければ。


(………………………)





















「ご。ごべんね。こん。こんな。こんなもんしか。ようび、でびばぐで」

「謝らないでください。師匠。とっても美味しいですよ。このホットケーキ」


 弟子の魔法学校入学に合わせて綿密に立てていた予定が。

 ケーキ大好きの弟子に喜んでもらおうと、また、初めての学生生活が始まるから応援も兼ねていた、ケーキきゃっほい大作戦が。

 痛い。とても。痛い。

 弟子の優しさが、身体中のあちこちにできた擦り傷を治してくれる。

 それがとっても、痛い。


(魔法局め。今に見ていろ。必ず、復讐してやる。この恨み、晴らさでおくべきか)


「師匠」

「べう」

「僕、聞きましたからね。魔法を消去されたからと言って、魔法局に復讐しようなんて考えちゃだめですよ」

「………」

「師匠。だめですからね」

「………」

「師匠」

「………魔法を消去するって。トッテモワルイコトダトオモウ。ワルイコトヲシタラ、テンバツヲクダサナイトイケナイよ」

「確かに、魔法を消去するなんて、いけない事ですけど。ケーキ屋さんの商売に関わる事ですから。今回の魔法消去は妥当だと思います」

「べう」

「師匠」

「べう」

「でも、僕、すっごく嬉しかったです」


 痛い。痛い。とっても、痛い。

 弟子の優しさが。


「また作ってください。師匠のホットケーキ。世界で一番美味しいですから」

「………」


 こくんと、小さく頷いた。

 頷くだけ。

 沈黙である。

 沈黙を貫くのである。

 だって、口を開いたら、











(2024.4.4)



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沈黙のケーキ 藤泉都理 @fujitori

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