第4話 別れる

葬儀場にはすでに親戚が集まっていた。

棺に入った祖母はおだやかな顔だったし、しんと静かだった。

亡くなっているのだから当たり前だが、死んでいる人というのは全てのスイッチがオフになったような静けさを持っている。

固そう、というのもある。

固くて冷たいものは静かなんだな、と改めて思う。


うちの祖母が亡くなった時もそう感じたことが思い出された。

そして目の前に横たわる祖母よりも、やはり写真の祖母の方が「知っている祖母感」がある。

藤色の着物を着た祖母の写真はちょっと微笑んでいて素敵だった。

父母や伯父伯母、従兄弟たちは会場の外で話したり、畳敷きの控え室でお茶を飲んだりしていた。

その時会場の祖母の棺のそばにいるのは私一人だった。

祖母の顔と写真を交互に眺めながら、また飾られた花などもなんとなく眺めていた。

娘は今頃学校でどうしているだろう、今日の夕飯はパパとファミレスに行くのかな、などと取り止めもなく考える。

葬儀にも祖母にも関係のないことを思っていたからか、その時足元がちょっと揺れるような目の前に紗がかかるような感じがした。どこに自分が立っているのかがものすごく曖昧になった。祖母の手を触った時だっただろうか。

元々貧血持ちだが疲れてちょっと眩暈がしたのかもしれない。

背中がパンパンの喪服も、パンプスもストッキングもやはり着心地が悪かった。

そのせいかもしれない。


久しぶりの従兄弟とは20年ほど会っていなかったことを驚きあったし、互いの子どもの成長にも驚きあった。

そして昔一緒に遊んだことを、懐かしげに話す。

自分で言うのもなんだが、こういう時の私はコミュニケーション能力を異常に発揮させて盛り上げようとする。

案の定その場はとても話が弾んだ。

母は「みんな楽しそうだわ」とか「みんなで集まる良い機会になった」などと、よく考えるとその場には全くそぐわなくてちょっと不謹慎な事をうれしそうに言っていた。

葬儀場の薄い緑茶を飲みながら、ああでもないこうでもないと取り止めのない話が広がっていく。

話の中心にいるのは常に私だった。


そうこうしているうちに葬儀の時間になる。

この辺りの葬儀には独特の風習があることは、祖父の時に体験済みだった。そしてそのことを思い出した。

読経に合わせて集落の男性が鐘を叩くのである。

私は全く詳しいことはわからない。由来だとかそういうことだ。

ここはそういう風習がある、ということを知っているだけである。

読経は果てしない感じがする。いつまでもいつまでもこの時間を繰り返すような感覚に陥る。

そこへきて鐘の音である。

鋭い音でありながらもかえって眠気を誘われるような、ゆらゆらとする静かな波のような時間が流れていく。たまになんとも言えない抑揚の司会の声がする。

眠くはないのに視界が狭まるような、くらくらする感覚があった。


焼香などが続き、葬儀はごくスムーズに進んでいった。

皆の涙が一気に溢れて空気が変わったのは、祖母の内孫である従兄弟が弔辞を読んだ時だ。

それは彼が祖母との思い出を話すことで、みんなが「自分と祖母」についての思い出を呼び起こす起爆剤になったからだ。

あとは「知っている人」が話すからだと思う。嫌でも聞こうという気になりますよね。

私も祖母が私にかけてくれた言葉や、いつも優しかった事や忘れていたことまで大量に思い出した。

いくら大往生であっても痴呆が進んでいていも、関わり合った人がいなくなるのは喪失感があるのだなと思う。

子どもの頃の記憶というのは多かれ少なかれノスタルジーに包まれるものだ。

ここにいる皆は幼い時・若い時を祖母と過ごした面子ばかりなのだから、それは涙が出るに違いない。

私は悲しい、というよりはとにかく喪失感で涙が出てきていたような気がする。

2度と行けない・2度と食べられない、とかそういうどうやっても戻れないものはやはり人にとって大きな意味やインパクトを残していく。

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